銀髪美少女は空に投影する
ひな先輩が卒業して一週間が経過した。
高校一年生でいられるのも、今日が最後の日となる。まだ学年が上がる実感は湧かないが、毎年こんなもんだった気がするので平常運転だろう。
扉を開いて屋上に出ると、テントの脇に座る人の姿があった。銀髪を風になびかせる柊だ。
「おはよう」
声を掛けながら近づくと、テントの入口付近で三角座りをしている柊はゆっくりとこちらを向いた。
「湊、おはよう」
彼女の表情は普段通りの無表情。
ひな先輩の卒業式で涙を流したのを最後に、彼女の感情は姿を隠してしまった。
「隣、座ってもいいか?」
「うん、いいよ」
柊から許可を貰い、彼女の隣に腰を下ろす。屋上の床はヒンヤリとしていて、ちょっと冷たすぎるくらいだ。
隣に座る彼女に視線を向けてみると、じっと空を眺めている。今日の空は、色々な形をした雲が浮かんでいる。
「また空を見てるのか?」
「うん、空見てる」
「今日はどんな空なんだ?」
柊の横顔に問いかけると、その瞳がパチパチと瞬きをした。
「今日は……分からない」
「やっぱり分からないか」
「うん、ごめんなさい」
「いやいいんだ、俺も分かってて聞いたから」
今日の空はどうかと柊に尋ねて、「分からない」意外の言葉が返って来たことがない。しかしいつの日か、「分からない」意外の言葉が返って来ることを信じている。
「分かってて?」
「そう、分からないのを分かってて聞いた」
「……うん?」
「あー、ややこしい言い方だったな。忘れてくれ」
「うん、忘れる」
ちょこんと頷いてからも、柊はずっと空を見続けている。
その横顔から視線を逸らして、俺も空を見ることにした。空には色々な形をした雲が流れていて、そのどれもが不規則に形を変えている。
「なあ柊。前に柊が言ってた「空は同じ形を作らない」っていうの、俺にも何となく分かった気がするんだ」
ひな先輩の卒業式に見た空は、普段目にする空とは大きく違って見えた気がした。それを思い出して言うと、柊はキョトンとした顔をこちらへと向けた。
「あれさ、空を見てる時の感情によって見え方が違うってことじゃないか?」
「そうなの?」
「多分だけどな。例えば柊はさ、ひな先輩の卒業式の日に見た空ってどんな形をしてた?」
「あんまり覚えてないけど、明るいのに悲しく見えた……かも?」
それを聞いて、俺の中では確信めいたものがじわじわと思い浮かんだ。
「柊はもしかしたら、知らない内に今の感情を空に投影してるのかもな」
「私の感情は空を見れば分かるってこと?」
「まあ、簡単に言えばそんなとこかな」
ひな先輩の時に見た空は、明るいのに悲しく見えたと言っていた。これはもしかしたら、ひな先輩が卒業して悲しいけど皆が明るく見送ったから、そういう空に見えたのかもしれないと思ったのだ。
柊は「ふーん」と言いながら、空へと視線を向けた。
「じゃあ今は、楽しいと思ってるのかな」
「というと?」
その意図が汲み取れずに問い返すと、柊は三角座りしている膝をぎゅっと腕で抱き寄せた。
「湊が登校してくるまで空を見ても何も思わなかったのに、湊が隣に座ってからは空が楽しい形をするようになった」
ということは、柊は俺が隣に座った途端に楽しいと感じ始めたということか? そう思うと、なんだか少しだけ照れくさい。
「そ、そうなのか。なんか、照れるな」
「そう?」
キョトンとした顔のままこちらに振り返り、柊はこてんと首を傾げた。
「まあ、うん」
何とも曖昧な返事を返すが、柊は不思議そうな顔をするばかりだ。そんな彼女は俺に視線を向けたまま、キョトンとした顔を浮かべている。
その視線に耐えかねて、俺は次なる話題を持ち掛けることにした。
「そういえば進路希望調査のプリント、今日までだよな。書いてきたか?」
「まだ書いてない」
「まじか。親とは相談したのか?」
「したけど、瑠愛の進みたい道に進みなさいって言われた」
「そうなのか」
「うん、湊は書いてきた?」
「書いてきたぞ」
そう言いながら、スクールバッグの中に入っていた進路希望調査のプリントを取り出して柊へと手渡す。
「湊、進学するの?」
親と電話で相談してみて、働く覚悟がないなら進学しなさいと言われたのだ。だから今のところ、進学するという旨を記入して推川ちゃんに提出するつもりだ。
「おう、今のところな」
俺が手渡したプリントをまじまじと見つめると、柊は不意にこちらへと顔を向けた。
「私も進学にする」
その言葉にドキリとさせられる。
もしかして、俺が進学をするから柊も進学をすると言ったのだろうか。
「そ、そんな簡単に決めてもいいのか?」
「うん、湊も紬も進学なら、私も進学にする」
桜瀬はとっくの昔に進路希望調査のプリントを提出していて、進学をするのだと言っていた。
なるほど。俺と桜瀬が進学をするから、柊も進学をしようとのことだったのか。一瞬でも思い上がりそうになった自分が恥ずかしい。
「なるほどな、じゃあ出欠確認の時間にはプリント提出できそうだな」
「うん、間に合う」
柊はそう言うとその場から腰を上げた。俺も立ち上がろうかとした時、柊は振り返ってこちらに手を差し伸べた。
「掴めってことか?」
そう尋ねてみると、柊はこくりと頷いた。
そういうことならばお言葉に甘えようと、柊の手を握る。冬の寒さに晒されていた手は冷たいが、彼女の体温はしっかりと伝わってきた。
柊の手を頼りにして立ち上がったちょうどその時、屋上の扉が音を立てて開いた。そこから顔を出したのは、サイドテールを風に揺らしている桜瀬だった。
「あー、またイチャイチャしてるー。しかも朝から」
呆れた顔を浮かべている桜瀬は、扉の鍵を閉めてから俺たちの元へと歩み寄った。
柊と繋いでいた手が、自然と離れる。
「イチャイチャじゃないわ。立つために柊の手を借りただけだ」
「立つくらい自分で出来るでしょ」
ごもっともな意見だ。俺はそれ以上何も言えなくなると、桜瀬は満足げな表情をしたまま柊に抱きついた。
「ほらほら、早くテントに戻ろう。風邪引いたら大変だよ」
「うん、戻る」
桜瀬は柊に抱きつきながら、テントの中へと入っていった。二人がテントの中に入ったのを確認してから、もう一度だけ空を見る。そこに広がっていた空は、まるで楽しい未来が待っていることを暗示しているかのようだった。
――第四章 完――
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