桜瀬と佐野の祝辞

 机の後ろに立った桜瀬は一度大きく深呼吸をすると、すっきりとした表情を浮かべた。彼女のサイドテールが優しい風に揺れている。


「それじゃあ、アタシから祝辞を述べさせて頂きますね」


 桜瀬はそう言うと、ひな先輩の顔を見ながら祝辞を始めた。


「ひな先輩、まずはご卒業おめでとうございます。今言っておかないと忘れちゃいそうなので、先に言っておきました」


 桜瀬らしいスピーチの始まりに、ひな先輩は笑いながら「ありがとう」と返した。


「ひな先輩には本当に感謝しています。アタシが保健室登校を始めた日、アタシが保健室登校を始めた理由を話したら、ひな先輩が抱きしめてくれたことをよく覚えてます。「もう大丈夫だよ、辛かったね」って抱きしめられて、アタシ大泣きしましたよね。ああやってアタシのことを受け入れてくれて、この人の側には居ていいんだなって、はじめて学校に居場所が出来た気持ちになりました」


 淡々と語る桜瀬の言葉を、四人はじっと聞いている。


「それからひな先輩のことが大好きになりました。放課後にご飯食べに連れて行ってくれたり、休日に遊びに連れて行ってくれたりして、その度に無邪気なひな先輩の姿を見れてすごく元気を貰えました」


「こちらこそだよ」とひな先輩が笑うと、桜瀬も笑って返した。


「真っ暗な場所からスタートしたアタシの高校生活が、ひな先輩のおかげでどんどんと明るくなって行ったんです。保健室登校を始める前のアタシは、こんなに高校生活が明るくなるなんて思ってもいませんでした。それから屋上登校も始まって、湊が仲間に加わって、本当にアタシには贅沢すぎる毎日でした」


 桜瀬はそこまで言うと、深呼吸をしてから微笑んだ。


「ひな先輩、卒業しても絶対に遊びに来てください」


 その声は震えていた。


「やば、今日は泣かないようにしようと思ってたんだけどな……ほんと、アタシって泣き虫ですね。これ以上喋ると泣いちゃうので、最後に一言だけ──ひな先輩、大好きです。社会人になっても頑張って下さい」


 桜瀬は声を震わせながらも、最後まで笑顔のまま祝辞を終えた。頭を下げた桜瀬に、四人の拍手が送られる。


「次は湊かな、よろしくね」


「おう」


 顔を上げた桜瀬に名前を呼ばれたので、椅子から立ち上がって机の後ろに立つ。俺の座っていた席には桜瀬が座り、ここからだと四人の顔が見渡せる。そしてその四人全員が俺のことを見ている。それを意識しただけで、なんだか緊張してくる。


「ええと、それではひな先輩への祝辞を始めます」


 そう言って軽くお辞儀をしてから、ひな先輩に視線を向ける。彼女は満面の笑みを浮かべたまま手を膝の上に乗せて、俺からの言葉を待っている。


「ひな先輩、ご卒業おめでとうございます。ひな先輩とはまだ半年くらいの付き合いなのですが、昔からの付き合いかって思うくらいの距離感で接してくれたのが嬉しかったです。正直、最初はめちゃくちゃな先輩だと思ってました。制服脱いで下着姿のまま寝てるし、夜の学校に忍び込むし、抱き着くし……でも一緒に居る時間が長くなるにつれて、このめちゃくちゃさに慣れてきちゃいました。今では抱き着かれても何とも思わなくなったし、今から太平洋を泳いでアメリカまで行くって言われても驚かないと思います」


「そんなこと言わないよ! もう、わたしを何だと思ってるのか」


 その口ぶりとは裏腹に、ひな先輩はどこか嬉しそうな表情をしている。


「でもそれくらいひな先輩のことを知れたんです。この半年間だけで。それもこれもひな先輩が俺に遠慮なく接してくれてたからだと思うんですよ。だからその、なんていうか、ありがとうございます」


 ひな先輩は笑顔のまま「いえいえ」と反応してくれる。

 そこで言いたかったことは言い切ったが、ひとつだけ話のネタを思い付いた。


「それとひな先輩、卒業してもまたウチ来て下さいよ。また一緒にドラモエやりましょう」


「おー! いいねいいね! またオールでドラモエしよう!」


『オール』という単語に桜瀬と柊、さらには推川ちゃんがピクリと反応した。そう言えばひな先輩とドラモエオールをしたことは、誰にも言っていなかった。きっと言わない方が身のためだろうが、今日くらいは許して欲しい。


「ウチはいつでも空いてると思うので好きなタイミングに来ちゃっていいですよ」


「おーけー! 任せとけ!」


 拳を作ってこちらへと向けるひな先輩に、俺も拳を作って返した。


「ということで、最後はひな先輩との会話になっちゃいましたが、俺の祝辞はこれで終わります。ご清聴ありがとうございました」


 まだまだ話したいことは山積みだが、それを全て話す気にはなれなかった。全て話し終えてしまったら、本当にこれで最後になってしまう気がしたからだ。

 頭を下げると四人から拍手が送られる。顔を上げて、まだ祝辞を述べていない柊へと視線を向ける。


「じゃあ次の祝辞は柊、頼んだ」


「うん、分かった」


 柊はいつもの無表情のまま頷くと、椅子から立ち上がって机の後ろに回り込んだ。柊と入れ替わるようにして、彼女の座っていた椅子に腰掛ける。


 柊が長くスピーチをしている姿を想像出来ないので、彼女の祝辞が楽しみだ。

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