推川ちゃんの祝辞

 一般生徒の卒業式は昨日に終わったらしく、今日はひな先輩の卒業式当日。

 屋上に繋がる扉の前で、俺とひな先輩は並んで立っている。桜瀬と柊、それと推川ちゃんは、現在屋上で最後の打ち合わせ中である。それまでの間、俺とひな先輩はここで待機をしているのだ。


「うおお、なんか緊張するよー、まさか後輩たちが作ってくれた卒業式に出るなんてー、まだ心の準備がー」


 制服で萌え袖をしているひな先輩は、落ち着かない様子で足踏みをしている。


「ははは、桜瀬に呼ばれたら屋上に入りますよ」


 ひな先輩には卒業式を開くと前もって伝えていた。そのつもりで彼女は登校してきたのだろうが、屋上を目の前にするとやはり緊張してしまうらしい。


「わたしなんかのために卒業式を開いてくれるなんて……先輩嬉しくて泣いちゃうよ」


「今日はひな先輩を泣かせるつもりで来たのでちょうどいいですね」


「ええ……なんだか今からいじめられるみたい」


 二人きりの空間でも会話は途切れることなく、気まずい雰囲気になる気配もない。それもこれも、ひな先輩が居てくれるおかげだ。彼女が居ると、場の雰囲気がなごむ。

 ひな先輩と他愛もない話をしていると、俺のスマホが「ピロン」とメッセージの受信を知らせた。画面を見てみると、桜瀬から「入って来ていいよ」との一文が送られてきていた。


「準備が出来たみたいなんで入りましょうか」


 俺がそう言うと、隣りに立つひな先輩は深く深呼吸をしてから頷いた。


「うん、行こう」


 彼女は緊張した面持ちのまま、俺の左腕に抱き着いた。


「なんで腕組むんですか」


「だってこうやったら緊張も和らぐかと思って。ダメ?」


 俺の顔を見上げたまま、首を傾げるひな先輩。

 彼女からのスキンシップは常日頃から頻繁に行われるので、これくらいならば全く問題ない。あるとするならば、これを見た柊からも腕組みを要望される可能性があることくらいだ。


「もちろんいいですよ」


「やったー! じゃあこのまま入場しよう」


 ようやく見ることが出来た彼女の笑顔に、心が温かくなる。


「じゃあ、開けますよ」


「うん!」


 彼女に左腕を組まれたまま、空いている右手でドアノブを捻って扉を開く。

 三月の肌寒さが頬を撫でるとともに、雲ひとつない青空が視界に入ってきた。


「先輩! 卒業おめでとうございます!」


「おめでとうございます」


 屋上に足を踏み入れると、桜瀬と柊が拍手をしながら出迎えてくれた。俺がひな先輩と腕を組んでいることには、触れてこないらしい。


「二人ともありがとうなー! わたしのためなんかに卒業式開いてくれて!」


 桜瀬と柊に手を振ったひな先輩を連れて、四つの椅子が横一列に並んでいる場所にまで案内する。その正面には机があり、その後ろにはスーツに身を包んだ推川ちゃんが立っている。優しい風に髪をなびかせる彼女は、普段よりも数倍は大人の女性に見える。


「わー! 推川ちゃんがスーツ着てる!」


「へへー、似合うでしょ」


「うん! すごく似合ってるよ!」


 初めて見る推川ちゃんのスーツ姿に興奮しているひな先輩と一緒に、四つ並ぶ椅子の前に立つ。そんな俺らを挟むようにして、桜瀬と柊が立った。左から、桜瀬・ひな先輩・俺・柊の順に立っている。

 四人が椅子の前に立ったのを確認した推川ちゃんは、腰の前で手を組んでぺこりとお辞儀をした。顔を上げた推川ちゃんの表情は、優しい表情をしている。


「それではただ今から、ひなちゃんの卒業式を始めます。一同、礼」


 推川ちゃんがもう一度礼をすると、俺たち四人も頭を下げた。

 卒業式の進行役は、一応学校の先生でもある推川ちゃんに頼んだのだ。


「着席」


 推川ちゃんの声に従って、四人は椅子に腰を下ろした。

 テントに入らずに青空の下で卒業式をしようと提案したのは、以外にも柊だった。


「ここからはひなちゃんへの祝辞ということで、まずは私からお話させて頂くから」


 推川ちゃんがひな先輩への祝辞を述べたあと、俺たち一年生も話す予定である。

 ひな先輩が「はーい!」と元気よく返事をすると、推川ちゃんは柔らかな笑みのまま口を開いた。


「ひなちゃんとは三年の付き合いになるね。一年生の頃のひなちゃんは、どうしても朝起きれなくて先生に怒られてたっけ。それで学校が嫌になっちゃって学校を辞めようとした時に、私が保健室登校を勧めたのよね」


 ひな先輩は起きれなくて保健室登校を始めたことは知っていたが、学校を辞めようとしていたなんて知らなかった。

 隣りに座るひな先輩の顔をチラリと確認すると、推川ちゃんの話を黙って頷きながら聞いている。


「そこから保健室登校を始めて、遅刻しながらも学校に来てくれたのは嬉しかったわ。でもやっぱり保健室登校をしていると、友達に会えない日が多いから寂しい思いをさせてるなってずっと思ってたの。それでも保健室登校を続けてくれて三年生になった時に、柊ちゃんが来たのよね。しかも入学初日に「保健室に登校したいです」ってね」


 柊は入学初日から保健室登校を始めたのか。ますます柊が屋上登校を始めた理由が気になる。


「それで初めて保健室登校仲間が増えて、ひなちゃんが大喜びしていたのを覚えてる。それから紬ちゃんも加わって、三人じゃ保健室は狭いからって屋上に登校することにしたのよね。それをまさか学校側が全面協力してくれて、あんなに大きなテントまで立ててくれるなんて」


 推川ちゃんはそう言いながら、側にあるテントに視線を移した。釣られるようにして俺もそちらを向くと、約半年お世話になったオレンジ色のテントがこちらを向いていた。


「屋上登校を始めてから少し経って、佐野くんも混ざって賑やかになったわよね。今日はみんなで何したって、ひなちゃんから毎週のように連絡くれてたのはとても嬉しかった」


 そんなことをしていたのかと、一年生の三人がひな先輩の顔を見る。するとひな先輩は、照れたように頬を掻いた。


「もー、恥ずかしいから言わないでよー」


 その反応から察するに、推川ちゃんの言っていることは真実のようだ。

 推川ちゃんは笑いながら、「ごめんごめん」と言って続ける。


「でもすごく嬉しかったのも本当よ。まあハロウィンパーティーをするから保健室の鍵を空けといて、とか変な連絡もあったけど、平和に終わって何より……あー、もう。喋れば喋るだけ思い出が蘇って来る。私、多分このまま二時間くらい喋れるよ」


 笑顔のままに推川ちゃんが言うと、「それは勘弁して下さい」と桜瀬の野次が飛んだ。


「推川ちゃん! まとめよう!」


 ひな先輩からも野次が飛んで来たことで、推川ちゃんはコホンと咳払いをして続けた。


「それじゃあ最後に……まるで同年代の友達みたく接してくれるひなちゃんが大好きよ。一緒に旅行も行けて楽しかったわ。社会人になったら頑張って朝起きるのよ。寂しいから社会人になっても学校に来てね。それまではちょっとだけお別れということで──ひなちゃん、卒業おめでとう」


 推川ちゃんは終始笑顔のままに話し終えると、深々と頭を下げた。そんな推川ちゃんに、四人分の拍手が送られる。

 頭を上げた推川ちゃんはひな先輩の顔を見るなり、照れくさそうにはにかんだ。


「それじゃあ次は紬ちゃん、祝辞をお願いね」


 推川ちゃんに名前を呼ばれた桜瀬は、「はい」と言って立ち上がり机の後ろへと移動した。それと代わるようにして、桜瀬が座っていた椅子に推川ちゃんが腰掛けた。

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