遠くになる儀式
まだ二月だと思っていたのに、スマホのロック画面には三月一日の文字が表示されている。
もうすぐで二年生に進級するのか。そう思う一方、今年で卒業してしまうひな先輩の顔が浮かぶ。
「ねえ湊」
出欠確認をしに来る推川ちゃんを待っていると、テントの端っこで柊と肩をくっつけて座っている桜瀬に名前を呼ばれた。彼女たちは普段通りクッションに腰を掛け、毛布を肩まで掛けている。
「どうした?」
「ひな先輩って卒業式出るのかな?」
今日もひな先輩は来ていないので、その問いに適切な答えを出せる人はこの場に居ない。それにひな先輩から卒業式の話を聞いたわけでもないので、憶測で話をするしかない。
「あー、どうなんだろうな。修学旅行も行かなかったくらいだからな」
「でも一日で終わる卒業式には出そうじゃない?」
「たしかに」
ひな先輩は普通のクラスにも友達が居るので、もしかしたら卒業式に出るのかもしれない。
「もしひな先輩が卒業式に出るとしたらさ、もちろんアタシたちも行くよね」
「行くと思うけど、桜瀬は大丈夫なのか?」
うちの高校の卒業式は全学年が集まるらしいので、もちろん桜瀬のことをいじめていた人達も顔を出すことになる。
しかし桜瀬は「あはは」とぎこちない笑みを浮かべながら、指で頬を掻いた。
「アイツらには会いたくもないけど、ひな先輩の卒業式は一回しかないし」
いじめていた人たちとひな先輩を天秤にかけて、ひな先輩が勝ったようだ。
「桜瀬は卒業式に出られるんだな。柊はどうなんだ?」
「みんなが出るなら」
「そうか」
柊とはこれだけ一緒に居るわけだが、彼女がどうして屋上登校をしているのかはまだ知らない。なのでもしかしたら普通の生徒と会いたくないのではと思ったが、どうやら大丈夫なようだ。
俺たちがそこまで話したところで、テントのファスナーが開いて推川ちゃんが入って来た。
「おはよー」
白衣姿の推川ちゃんはテントのファスナーを閉めて、クッションの上に足を崩して座った。
三人が「おはよう」と返すと、推川ちゃんは笑顔で出欠を取り始めた。
「今日もひなちゃんは休みなのね。こんなにお寝坊さんでちゃんと社会人をやれるか心配よ」
「ふう」とため息を吐いた推川ちゃんは、メモ帳に何かを書き込んで白衣のポケットにしまった。恐らくひな先輩が欠席したことを書き込んだのだろう。
「あ、そうだ推川ちゃん」
桜瀬が声を掛けると、推川ちゃんは「どうしたの?」と首を傾げた。
「ひな先輩って卒業式どうするんですか?」
「あれ、みんな聞いてないの?」
その口ぶりから察するに、推川ちゃんはひな先輩から何か聞いているのだろう。
三人が同時に首を横に振ると、推川ちゃんは目を大きくさせて驚いてみせた。
「そうだったのね。ひなちゃんのことだから言うの忘れてただけだと思うから私から言っちゃうけど、ひなちゃんは卒業式出ないらしいわよ」
それを聞いた俺と桜瀬は「え」と言葉を漏らした。柊はじっと推川ちゃんの顔を見ている。
「それじゃあひな先輩は卒業式やらないんですか?」
「そういうことじゃないかしら」
「えー、それも何か寂しいですよー」
「そんなこと私に言われてもねえ。ひなちゃんが決めたことだから」
卒業式をやらないとなると、あと数週間もすればパタリとひな先輩が来なくなるのだ。もしかすると、ひな先輩はあと数回しか学校に顔を出さないつもりかもしれない。そういう意味では、卒業式という形でちゃんと送り出したいところだ。
「屋上で卒業式をすればいい」
そんなことを頭で考えていると、柊がポツリと呟いた。テントの中には一瞬の沈黙が訪れる。柊が目を丸くさせてちょこんと首を傾げると、隣りに座っていた桜瀬が彼女の手を握った。
「それだよ瑠愛! ナイスアイディア!」
「ん、どうも」
桜瀬は顔色を明るくさせながら、柊の頭を撫でている。
「なるほどなあ……修学旅行も俺たちだけでやったし、卒業式もこのメンツでやるのか」
「そういうこと」
俺たちだけでやるとなれば、ひな先輩も卒業式に参加してくれるだろう。
「それって私も参加していいの?」
推川ちゃんが目を丸くしながら問うと、全員が「もちろん」と答えた。
「それじゃあ卒業式の前日か後日でもいい? 私、あっちの卒業式にも参加しなくちゃいけないの」
生徒から大人気の推川ちゃんだ。彼女が『あっち』の卒業式に参加しなくては、悲しむ生徒も多いだろう。
「そうだよね、じゃあ卒業式の後日でもいい?」
柊の頭を撫でていた桜瀬が問うと、推川ちゃんは柔らかい笑みのまま頷いた。
「ええ、いいわよ。じゃあ三月の十五日でもいいかな。ちょうど今日から二週間後なんだけど」
もちろんその日も平日なので、予定を入れている人は居ないだろう。三人が頷くと、推川ちゃんは「よかった」と笑顔を作った。
「それじゃあひなちゃんにも卒業式のことを伝えなくちゃいけないわよね。誰か連絡取ってくれる?」
「あ、それならアタシが言っておくんで」
「じゃあひなちゃんに連絡を取るのは紬ちゃんね。卒業式の準備はどうする?」
「それもアタシたち一年生がやっておくよ。ひな先輩と推川ちゃんは何も考えずに卒業式の日を迎えて下さい」
どうやら俺も卒業式の準備係に任命されたようだ。もちろんひな先輩のためだから、積極的に取り組んでいきたい。
それを聞いた推川ちゃんは「分かったわ」と言うと、俺たちの顔を順々に見回し始めた。
「あとは何か質問とかない? 大丈夫?」
推川ちゃんの問いに手を挙げる人は誰も居ない。それを確認した推川ちゃんは、クッションから腰を上げた。
「無いようなら私はここで失礼するわね。また何かあったら明日の出欠確認の時間にでも聞いてくれたらいいから」
三人が「はーい」と返事をすると、推川ちゃんはテントから出て行った。それと同時に一限目開始のチャイムが鳴り響く。
もう卒業式の季節なのか。
ずっと一緒に居るのではと錯覚していた人が、突然遠くの存在になってしまう儀式。それがすぐそこの未来にあるなんて、未だに実感が湧かなかった。
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