世間とズレているのは
四人でスーパーに立ち寄り、大量の板チョコやその他にもチョコパに必要なものを買ってから、柊の住むマンションへと移動した。
「わーい! 久しぶりの瑠愛ちゃんちだー!」
部屋に入るなりひな先輩はベッドの上にダイブしたが、柊は少しも嫌な顔を見せなかった。それどころか、柊も一緒になってベッドに横たわったのだ。
その光景を微笑ましく思いながら、俺はスーパーで買った荷物を側に置いてから、桜瀬とテーブルを挟んで向かい合わせになる場所に腰を下ろした。フカフカのカーペットが心地いい。
「ひなせんぱーい。もうはじめますかー?」
「ぼちぼちはじめよっか!」
桜瀬が問うと、ひな先輩は勢いよく体を起こした。しかし柊はベッドから起き上がる気配をみせず、このまま寝てしまうのではないのかと思うくらいに体を丸くさせている。
「それじゃあ当番を決めよっか! クッキーはわたしと紬ちゃんで作って、簡単なチョコ作りは湊くんと瑠愛ちゃんで! このチーム分けでいいですかー?」
きっとひな先輩は、俺に気を使って柊と組ませてくれたのだろう。
「おっけーでーす」「うん、わかった」
桜瀬と柊が同じタイミングで返事をした後に、俺も「了解です」と答えた。
ひな先輩は満足気に頷くと、拳を作った手を天井へと向けた。
「よーし! それじゃあ第一回チョコパ開催だあー!」
学校の疲れなど知らない様子のひな先輩に続いて、三人は圧倒されながらも「おー」と拳をあげた。
☆
俺と柊ペアはリビングのテーブルでチョコ作りをしていて、ひな先輩と桜瀬ペアはキッチンでクッキーを作っている。
細かく刻んだチョコレートを湯せんで溶かしながら、泡立て器でかき混ぜていく。
この溶けたチョコを型に流し込んで、冷蔵庫に入れて待つだけで手作りチョコが出来るらしい。
「私、代わる?」
泡立て器で溶けたチョコをかき混ぜていると、隣りに座る柊から声が掛けられた。
「いや、これくらいなら俺でも出来るから大丈夫だぞ」
「私、やることないから暇」
「あー、たしかにそうだよな。それじゃあ代わってもらうかな」
「うん、任せて」
泡立て器を手渡すと、柊は熱心にチョコをかき混ぜ始めた。その表情は真剣さが五割と眠気が五割といったところか。
「溶かして固めるだけなら、板チョコでもいいのにね」
珍しく柊の方から話し掛けられた。彼女が相手となると、話し掛けられるだけでも心臓がドキリと跳ねてしまう。
「あー、それは俺も思ったけど……あの女子力の高い二人には言わない方がいいぞ」
そう言ってひな先輩と桜瀬の方を見る。それに釣られて二人の方を見た柊は、無表情のままに首を傾げた。垂らされた銀髪がサラサラと揺れる。
「どうして?」
「多分だけど、そういう手間を掛けるのが女子力なんじゃないか?」
「板チョコのままでも良いと思った私の女子力は?」
こんなにお淑やかに見える彼女が、板チョコにそのままかぶりついていたら……その様子を想像してみただけで、すぐに答えは出た。
「残念ながら……」
全く女子力が感じられなかったことを伝えると、柊は「そう」としょんぼりとした素振りを見せた。
そんな彼女をフォローすべく次なる話題を探していると、ドロドロに溶けたチョコが目に入った。
「その状態でも美味しそうだよな」
「チョコ?」
「そうそう」
「食べる?」
「え、食べていいのか?」
「うん」
柊はこくんと頷くと、泡立て器とボウルをテーブルの上に置いた。スプーンでも持ってきてくれるのかなと思っていると、彼女は人差し指を溶けたチョコの中に突っ込んだ。第一関節までチョコが付いている人差し指を、俺の口元に寄せる。
「あーん」
一瞬なにが起こっているのか分からなかった。
柊は無表情のまま、チョコの付いた指を俺の口元に近づけている。
「え、え? この指ごと?」
「うん、パクっと」
「それはあんまりよくないんじゃ……?」
「私は気にしない。早く食べてくれないとチョコが垂れちゃう」
その言葉通り、人差し指から一滴のチョコレートが落ちようとしていた。
「早く、カーペット白いからチョコ落ちない」
彼女はそう言うと、人差し指をゆっくりと俺の口元へと近づけてくる。考える時間など与えられず、言われるがままに口を開く。すると口の中に柊の細い指が入り込んで来た。甘いチョコの味を薄らと感じながらも、心臓がバクバクと波打ってそれどころではない。
俺の口から指を引き抜いた柊は、ちょこんと首を傾げた。
「どう?」
穢れを知らない彼女の瞳が、俺の目を真っ直ぐに見つめている。
「お、美味しいです」
「よかった」
彼女は満足したように頷くと、その人差し指をもう一度チョコの中に突っ込んだ。
また食べさせてくるつもりなのかと身構えていると、彼女はごくごく自然な動きで人差し指を自分の口へと運んだ。
「え?」
その予想外の動きに思わず声が漏れ出た。
俺がチョコを舐めたその指を、柊は躊躇もなく口に入れた。なんの言い逃れもできない、れっきとした間接キスである。
「ん、なに?」
しかし当の本人は、キョトンとした顔を浮かべている。
「いや、その……」
「湊が食べた指で食べるの、嫌だった?」
「嫌ではないんですけど……」
「けど?」
柊は何が悪いのかという目をこちらへと向けている。そんな目を向けられては、俺だって何も言えなくなる。
「なんでもないっす」
「そう」
最近、俺の中にある常識がどんどんと変わっていく気がする。俺が世間とズレているのか彼女たちが世間とズレているのか、それを確認する術は今の俺には何も無い。
「美味しいから紬たちにも味見してもらう」
「えっ」
俺が止めるよりも早く、柊は人差し指をボウルの中に突っ込みながら、キッチンで作業をしている桜瀬とひな先輩の元へと小走りで向かって行ってしまった。
「まあ……いいのか……」
恐らく桜瀬とひな先輩は、間接キスなど気にしないだろう。となるとやはり、ズレているのは俺の方なのかもしれない。
もう少し寛容にならなければならないなと思いながら、柊が二人にチョコを舐めさせている様子を眺め続けた。
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