バレンタインデー
朝起きて学校に行くための準備をしていると、ふとテレビのニュースが目に入った。
女子アナと思わしき人が、デパ地下でチョコケーキやチョコクッキーなどを試食している。何故そんなにチョコばかり食べるのだと思っていると、ニュースの右上に『デパ地下 バレンタイン特集』とピンク色の吹き出しで表示されていた。
「バレン……タイン……」
口の中でその言葉を咀嚼すると、慌ててスマホを取り出して今日の日付けを確認する。ロック画面に表示された日付けは二月十四日。その日付けをネットで検索にかけると、『バレンタインデー』の記事がいくつも出てきた。
──今日、バレンタインデーなのか。
そう思うと、なんだかソワソワとしてくる。だって屋上に登校している生徒の中で、俺以外の三人は女子なのだから。
しかし今まで生きてきた人生の中で、バレンタインデーにチョコなんて貰った試しがない。だからバレンタインデーにチョコが貰えるなんて、都市伝説くらいにしか思えなかった。
──あまり期待しないでおくとしよう。
期待せずにいれば、チョコを貰えなかった時のダメージも抑えられるはずだ。
そう心に決めても、ソワソワとしてしまうのは事実。どうして今日がバレンタインデーであることに気付いてしまったのだと後悔しながらテレビを消して、ぱぱっと制服に着替えてから学校へと向かうこととなった。
☆
いつも通り声を掛けてから、ファスナーを開いてテントの中へと入る。
「おはよー」
「湊、おはよう」
「湊くんおはよー!」
今日は珍しくひな先輩も登校していて、三人から挨拶を送られた。
「おはよー」
俺もみんなへと挨拶を返してから、自分の定位置で腰を下ろす。もちろん、気持ちはソワソワとしていて落ち着かない。
「湊くん! 今日はなんの日でしょうか!」
テケテケと歩いてきたひな先輩が、俺のすぐ側で腰を下ろした。早速チョコが貰えるのかと思ったが、彼女の手には何も持たれていない。
「なんの日でしたっけ?」
本当はバレンタインデーであることなど分かっている。ただ、バレンタインデーを意識している男だと思われたくなかったのだ。
「ほら言ったじゃないですかー。湊は絶対に分からないってー」
なぜか得意げな顔をする桜瀬は、今日も柊と身を寄せあって毛布にくるまっている。
でもごめんな桜瀬。今日がバレンタインデーであることくらい、俺だって知っているのだ。まあ、朝起きてテレビを点けなかったら、今日がなんの日であるのかなど分からなかったのだが。
「えー、今日はバレンタインだよー。本当に分からなかったのー?」
ひな先輩に顔を覗き込まれて、思わずギクリとさせられる。心の内を見透かそうとするその目から逃れるように、俺は視線を逸らして天井を見た。
「あー、バレンタインか。もうそんな時期なんですね」
そう言ってからひな先輩に視線を戻すと、彼女は満面の笑みで頷いた。
「うん! だからね、今日の放課後にみんなでチョコパしようと思って!」
「チョ、チョコパ……? チョコパってなんですか?」
てっきりチョコレートを貰えると思っていたので、軽く肩透かしを食らった気分だ。
「チョコパはチョコパだよ。チョコレートパーティーのこと」
桜瀬はそう言うと、ある場所を指さした。その指の先を辿っていくと、大きなビニール袋が置いてあることに気が付いた。
「なんですか、あれ」
「チョコフォンデュをするための機械だよ! 小さいやつだけどわたしが持ってきたの!」
「チョコフォンデュってあれですか? イチゴとかカステラとかをチョコに浸して食べる……」
「そうそれ! チョコにディップしたイチゴをパクリと食べるのさ」
ひな先輩は今にでもヨダレを垂らしそうな勢いで、頬に手を当ててうっとりとした表情を浮かべている。
「なるほど、それがチョコパですか」
「ううん! 他にもクッキーを作ったりチョコを作ったりするの! きっと楽しいよー、湊くんも来るよね!」
「それは全然いいんですけど、どこでやるんですか?」
そう尋ねてみると、ひな先輩の後ろで手が挙がった。そちらに視線を向けてみると、今まで一言も発していなかった柊が手を挙げていた。
「私の部屋でやる」
挙げていた手を下げた柊は、眠たそうな目を擦った。
柊は一人暮らしをしているので、皆で集まるなら持ってこいの場所だ。
「いいのか?」
「うん、オーブンもあるから」
「そうなのか」
恐らくは俺が登校する前に、皆で話し合って決めたのだろう。
「湊、今日の放課後空いてる?」
「もちろん空いてるぞ」
バイトもやってないし、ここに居る三人以外の友達も居ない。そんな俺の放課後は、いつでも空いている。
「それは良かった。これで全員集まれるね」
桜瀬はそう言って微笑んだ。隣りに座る柊は頭をコクコクとさせていて、今にでも夢の中に落ちてしまいそうだ。
「おーけー! じゃあ決まり! 今日の放課後は瑠愛ちゃんのおうちでチョコパだー!」
嬉しそうに拳を突き上げたひな先輩。そんな彼女に桜瀬は拍手を送ったので、俺も控えめな拍手をしておいた。それに釣られてか、眠たそうな顔をしている柊も指だけで拍手をした。
なんだか想像していたバレンタインデーとは違った。しかしチョコを貰って終わってしまうよりも、皆で集まってチョコを食べる方が楽しいのかもしれないと、考え直す機会となった朝だった。
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