愛してるよゲーム

 朝起きてからゆっくりとしすぎて、普段よりも遅れて学校に到着した。しかしテントの前には、つま先が赤色の上履きが一足しか置いていない。もうすぐで出欠確認の時間となるのに、一人しか登校していないようだ。


「入るぞー」


「あ、はーい」


 中からは桜瀬の声が聞こえてきた。

 テントのファスナーを開くと、一人で毛布にくるまり横になっている桜瀬の姿があった。


「桜瀬だけか?」


 毛布にくるまって芋虫のようになっている桜瀬に声を掛けながら、テントの中に入ってファスナーを閉める。


「そうよー、瑠愛は休みなの」


「まじか、珍しいな」


「眠いからもう一回寝るって、連絡があった」


「なんだその理由は……二度寝で学校を休むのか」


 それも柊らしいかもしれないと思いながら、大きなクッションを背もたれにして腰を下ろす。ここがいつもの定位置なのだ。


「そう、だから今日はアタシと湊の二人きりだよ」


「まあそうなるよ──な?」


 その桜瀬の一言で、ことの重大さを理解した。今から下校の時間まで、告白されて振った相手と同じ空間で過ごすことになるのだ。


「え、ひな先輩も休みなのか?」


「この時間に来なければ休みでしょ」


「たしかにそうだよな」


 ひな先輩は誰よりも早く登校して、皆が来る頃には毛布にくるまって爆睡している。そんな彼女が遅れて来た試しはないので、今日は休みということで間違いないだろう。


「なによ、その嫌そうな顔は」


 その言葉にギクリとさせられる。布団にくるまる桜瀬の顔を見ると、こちらにジト目を向けていた。


「べ、別に嫌そうな顔なんてしてないよ」


「明らかに「うわ、こいつと二人かよ」って顔に出てるけど」


「そこまでは思ってないわ」


「そこまではってことはちょっと思ってるんじゃない」


 彼女の策略にまんまと引っかかってしまった。これ以上心の内を悟られないようにと顔を逸らすが、それすらも答えになってしまうことに遅れて気が付いた。

 桜瀬は体を起こして立ち上がったかと思えば、俺の隣りで三角座りをした。それだけでは気が済まないようで、彼女は逸らした俺の顔を覗き込んだ。その表情はニヤニヤとしていて、からかわれているのだとすぐに分かった。


「な、なんだよ」


 彼女は俺の顔を覗き込むだけで何も言わないので、居ても立ってもいられずに声をかける。すると彼女はニヤニヤとした顔をより一層深め、コテンと首を横に倒した。


「リハビリしようと思って」


「リハビリ?」


「そう、最近湊と距離を感じるから。この機会にアタシに慣れてもらおうと思って」


 桜瀬に告白されて以降、なんとなく彼女と接することを気まずく思っていたが、それを態度には出さないようにと心掛けていた。しかし桜瀬にはお見通しだったようで、俺との距離を感じていたらしい。


「ど、どうやって?」


 態度に出さないようにと心掛けても出来なかったことを、どうやってリハビリしていくというのだろうか。

 そう問い掛けると、彼女は小悪魔のような笑みを浮かべた。


「今から四限が終わるまで、ずっと隣りに座ってるから」


 冗談を言っているような口調ではなかったことに、思わず「えっ」と声を漏らしてしまった。


 ☆


 三限目開始のチャイムが鳴り響いた。

 桜瀬は宣言通り、一限目も二限目も俺の隣りに座り続けた。しかし二人の間に会話はなく、終始無言のまま時間を潰していた。すると人間とは不思議なもので、初めは気まずいと思っていた距離感だったが、二限目が終わる頃にはだいぶ慣れて文庫本に集中出来るようになっていた。


「ねえ、湊」


 ようやく落ち着いて読書が出来る。そう思ったのも束の間、今まで無言でスマホをいじっていた桜瀬に名前を呼ばれた。


「どうした?」


 本から顔を上げて隣を見ると、桜瀬と目が合った。彼女が手に持っているスマホはスリープモードになっていて、画面は真っ暗だ。


「瑠愛が居なくて暇なんだけど」


 普段の自習時間であれば、桜瀬は柊と一緒にスマホを眺めたり寝たりしていた記憶がある。


「そんなこと俺に言われてもなぁ」


「ゲームしよ」


「ゲーム? スマホのゲームか?」


「そういうゲームじゃなくて、愛してるよゲームがしたい」


 嫌な予感しかしない響きのゲームだ。

 俺はやや身構えながらも、読んでいたページに栞を挟んで閉じた。


「なんだその愛してるよゲームって」


「ルールは簡単よ。お互い向かい合わせに座って、「愛してるよ」って言い合うの。それで先に照れた方が負けっていうルール。分かった?」


 ルールはとてもシンプルなものだった。しかしゲームの難易度はとても高いようにも思える。ゲームとはいえ、桜瀬に向かって「愛してるよ」と言わなければならないのだ。女子と付き合ったこともない俺からしてみれば、難易度はマックスに近い。


「な、なんでよりにもよってそんなゲームを選んだんだ?」


「さっきSNS見てたら中学の時の友達が愛してるよゲームしてる動画が流れてきたから、アタシもやってみたいなーって思ったの。ただそれだけ」


「な、なるほど……」


 あっけらかんとした表情をしている彼女を見ていると、今の高校生は愛してるよゲームをジャンケンをするくらいの気持ちでやっているのでは思えてくる。ということは、変に意識をしているのは俺くらいなのだろうか。


「分かった、やるか」


 そう考えてみると、愛してるよゲームをする以外の選択肢はなかった。変に意識していると思われたくなかったのだ。


「お、ノリいいじゃん」


 桜瀬はニヤリと笑いながらそう言うと、俺の目の前にクッションを敷いてその上で正座をした。

 こうやって向かい合わせになって目を合わせただけでも照れてしまうのに、「愛してるよ」なんて言えるだろうか。


「それじゃあ私が先行ね。負けた方は自販機で飲み物奢ること」


「了解だ」


 心臓はドキドキと脈打ちながらも、桜瀬と目を合わせる。


「愛してるよ」


 桜瀬は無表情のまま、ポツリと言葉を落とした。

 無意識に頬が緩まりニヤけそうになりながらも、何とか耐えることが出来た。

 次は俺のターンだ。ここで早いうちに仕留めなくては、俺の表情筋が持たない。


「愛してるよ」


 まるで「おはよう」に「おはよう」と挨拶するかのようにして返すと、桜瀬の瞳が一瞬だけフルフルと震えたのが分かった。確実にダメージは入っているようだが、彼女は無表情のままだ。


「愛してるよ〜」


 砕けた言い方をした「愛してるよ」が返ってきて、またも頬が勝手に緩まりそうになったが歯を噛みしめて耐えた。そういうアレンジもありなのか……。


「愛してるよ」


 しかし俺はアレンジせずに、至って真面目な言い方を貫く。

 桜瀬の表情は全く動く気配を見せないが、その頬が薄らと赤くなっていることに気が付いた。やはりダメージは入っている。

 一度深呼吸をして心を落ち着かせようとした時、桜瀬は手を前に着いて前かがみになると、俺の顔を覗き込んだ。


「愛してるよ?」


 不意を突かれた形で放たれた疑問形の「愛してるよ」に、俺の頬は耐えられるわけもなく緩んでしまった。ニヤケ顔を見られるのは恥ずかしいからと、桜瀬から顔を逸らす。


「はーい、湊の負けー、飲み物買って来てねー」


 俺がニヤけたのを確認した桜瀬は嬉しそうに微笑むと、座っていたクッションに顔を突っ込んでゴロンと寝転がった。


「え、今から買いに行くのか?」


「うん、喉乾いちゃったから今がいいなー」


 寝転がる桜瀬はクッションに顔を埋めたまま、こちらに手をヒラヒラと振った。


「しょうがないなあ。何がいいんだ?」


「お茶がいい〜」


「了解した」


 そう言って立ち上がり、バッグから財布を取り出してファスナーを開ける。外に出てファスナーを閉めるまで、桜瀬はクッションに顔を埋めたままだった。


 自販機で飲み物を買って帰ると、桜瀬はいつもの定位置に戻っていた。下校の時間まで俺の隣りに座ると言っていた桜瀬だったが、三限目と四限目はずっと離れた場所でスマホをいじっていた。

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