好きなものを聴きなさい

 結論から言おう。柊をおんぶしてコテージへと戻ると、桜瀬はケロッとした顔でリビングに居た。まるで告白などされていなかったかのような錯覚を覚えたが、桜瀬の目元が薄らと赤くなっているのを見て現実だったのだと悟った。

 ひな先輩と推川ちゃんからは何も聞かれなかった。恐らくは、桜瀬から話があったのだろう。

 もっと気まずい雰囲気になるのかと思っていたのだが、ごくごく普通の時間が流れて、今は帰りの車の中だ。


 隣に座っている推川ちゃんは、両手でハンドルを握って前を向いている。

 後ろの席に座る女子三人は、旅行の疲れからか寝息を立てていて、真ん中に座る桜瀬の両肩には二人の頭が乗っている。

 コテージを出た時には賑やかだった車内も、今では静まり返っている。


「大変だったね」


 車が道路を走る音だけが響いていた車内に、寝ている人を気遣うような推川ちゃんの声が紡がれた。


「あはは、どうも」


 この三日間はここ最近で一番楽しくもあり、一番疲れたイベントだった。体が疲れているのではなく、心が休息を求めているのだ。


「あんまり考えすぎないでね。紬ちゃんも佐野くんが気まずくならないか心配って言ってたから」


「桜瀬がそう言ってくれるのなら、今まで通りでいるよ」


 自分のことだけでも精一杯なはずなのに、桜瀬は俺のことまで気遣ってくれていたのか。そう思うと心がチクリと痛む。


「お正月も皆で初詣に行くんでしょ?」


「ひな先輩が言うには初詣に行く予定らしいね。推川ちゃんは来ないんだっけ?」


 コテージを出る前にひな先輩が「次はいつ集まれるかな!」と皆に問い掛けたところ、桜瀬が「初詣とかいいんじゃないですか?」と言ったのがきっかけだった。今のところ、学校近くにある大きな神社で初詣をする予定である。


「私は年末は実家に帰らなきゃいけないからねー。学生四人で楽しんで来なさい」


「はい」と返事を返すと、車の中には再び沈黙が訪れた。

 車同士がすれ違う音や、タイヤが道路を転がる音が響く。


「推川ちゃんって音楽とか聴かないの?」


「全然聞くよ? どうして?」


「運転してる時に音楽つけてないから」


 俺の親が運転している車では、いつでも何かしらの音楽がかかっていた記憶がある。しかし推川ちゃんの運転する車では、音楽がかかっているのを聞いたことがなかった。


「あー、それはなんとなく恥ずかしいからだよ」


「恥ずかしい?」


「なんか生徒に音楽の趣味を聴かれるのって恥ずかしい」


「そんな変なの聴いてるの?」


「いや、変なのは聴いてないよ」


 するとちょうど信号が赤に変わり、車が停車した。


「音楽かけてみてよ」


「いいけど、レディースが起きないように音は小さくするわよ?」


「全然いいよ」


 俺が頷くと推川ちゃんは車のナビを指で触り、音量を低くしてから音楽を掛けた。それと同時に信号が青に変わり、車が発進する。

 小さな音量で電子音楽のような音が聞こえてきたかと思えば、男性アーティストが早口気味に歌い始めた。


「これってラップ?」


「うーん、ラップでもあながち間違いじゃないんだけどね。これはヒップホップっていうジャンルの音楽だよ」


 てっきり推川ちゃんはJPOPやKPOPなどを聴いているのかと思ったので、ヒップホップを聴いているなんて意外だ。


「ヒップホップ……初めて聴いたかも」


「えー、それはもったいない。そんなんじゃバイブス上がんないでしょ」


「バ、バイ……?」


 聞いたこともない単語に戸惑いながら、推川ちゃんの顔を覗く。すると彼女は「ふふっ」と笑い声をこぼした。


「ちょっと言ってみたかっただけよ」


「そ、そうなんだ」


「あ、ちょっと引いてるでしょ」


「引いてはないんだけど……なんていうかその、推川ちゃんの意外な一面が見れたというか」


 前を向く推川ちゃんの横顔を見ながら話していると、後ろの席からゴソゴソと物音が聞こえてきた。


「おー、ヒップホップだぁ……」


 ひな先輩の声だった。後ろを見てみると、まだ眠たそうな目をしたひな先輩がこちらに向けて手を振ったので、俺は首だけで会釈をしてから前を向いた。


「ひな先輩もヒップホップ聞くんですか?」


「うーん、有名なやつしか分からないなー」


「でも分かるんですね。もしかして俺が遅れてるのかな」


 音楽番組などで耳にした曲しか聴いて来なかったので、こういうところで遅れが出てしまう。もっと世の中の流行に敏感にならなければ。


「聴いてる音楽に遅れてるもなにもないわよ。音楽くらい好きなものを聴きなさい」


 その推川ちゃんの言葉に、俺とひな先輩の口からは「おー」と感嘆とした声が漏れた。

 すると俺たちの話し声がうるさかったのか、後ろからは「ふぁぁ」と桜瀬が欠伸をしている声が聞こえてきた。


「紬ちゃんごめーん。起こしちゃった?」


「あーいえいえ、このまま寝てても夜眠れなくなっちゃうのでちょうど良かったです」


 そして立て続けに、「んー」と柊の起き出してくる声も聞こえてくる。


「おはよ」


「おはよう瑠愛」「瑠愛ちゃんおはよー」


 後部座席に座る三人が目を覚ましたようだ。


「湊は起きてるの?」


「おう、起きてるぞ」


 桜瀬から声を掛けられて心臓がドキリとしたが、何とか平静を装って言葉を返すことが出来た。


「ずっと起きてたの?」


「ずっと起きてたよ」


「さすが湊、なかなか寝ないね」


「そうか?」


「学校で寝たことなくない?」


「あー、確かに学校では寝たことないな」


 話しているうちに心臓も落ち着き、普段通りに会話が出来るまでとなった。


「推川先生、暑い」


 後ろから柊の声が聞こえてくると、推川ちゃんはバックミラーをチラリと確認した。


「ああ、そうよね、寝てたもん暑いよね」


「うん、窓開けていい?」


「いいよー」


 推川ちゃんから了承が出て、柊は窓を開いた。

 新鮮な外の空気が車内へと入ってくると、「ゴオオ」という音で音楽が聞こえなくなる。

 柊が窓を開けたことで、車内の空気がまるごと変わってしまったのだ。


「涼しー」


 新鮮な空気が入れ替わる中で聞こえてきた桜瀬の声は、心の底にあったものを全て吐き出したかのような爽やかなものだった。


 ――第三章 完――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る