小悪魔の甘い誘惑

 柊の誕生日当日。屋上には数日ぶりに四人が揃い、何事もなく放課後を迎えた。

 桜瀬とひな先輩は予約していた誕生日ケーキを取りに行くからと先に学校を出て行ったので、俺と柊は一足先に誕生日会をする場所へと足を運んだ。


「ここが……柊の部屋……」


 とあるマンションの四階にあったのは、柊が一人暮らしをしている部屋だった。誕生日会を開く場所は、主役である柊の家にしようと桜瀬が言い出したのだ。

 扉を開いて中へと入ると、廊下には整理整頓されたキッチンがあり、その先の扉を開くと部屋があった。部屋にはベッドやテーブル、テレビや色鮮やかなクッションなどが置いてある。


「適当に座って」


 柊はそう言いながら、床の上に置いた荷物を壁に寄せると、フワフワのカーペットの上にちょこんと座った。

 今まで女子の家にすら行ったことのない俺はオドオドとしながらも、テーブルを挟んで柊と向かい合わせになる位置に座った。カーペットがフカフカで温かい。


「綺麗にしてるんだな」


「うん、あんまり物を出さないから」


「物出さないで生活出来るんだな」


「うん、出来る」


「そうか」


 こんなに可愛い美少女の部屋で二人きりだと言うのに、全く話が盛り上がらない。

 桜瀬とひな先輩が一緒にケーキを取りに行くと決まった瞬間から、柊とどんな会話をすればいいのかと考えていたが、それすらも緊張しすぎて忘れてしまった。


「いつも家に居る時は何をしてるんだ?」


「うーん、寝転がってる」


「スマホとか見ながらか?」


「ううん、寝転がるだけ」


「寝転がるだけ……?」


「うん」


 コクリと頷いた柊はおもむろに腰を上げると、ベッドで横向きになり寝転がってみせた。髪がぐしゃりとベッドに押し当てられ、無感情な彼女の瞳は俺の目をしっかりと捉えている。


「こんな感じ」


 もしかして俺が訝しげな表情を浮かべたから、実際にベッドの上で寝転がってくれたのだろうか。もしもそうなのだとしたら、尊すぎて今すぐに成仏してしまいそうだ。


「そのまま何もしないのか?」


「ときどき紬から電話が掛かってくる」


「桜瀬と電話をする以外は?」


「このまま」


 テントの中では無気力な柊だが、まさか家の中でも同じように過ごしているとは思わなかった。


「ずっとベッドに?」


「ううん、料理とトイレとお風呂の時は動く」


 必要最低限しか動かないのか。省エネにも程がある。


「横になるのが好きなのか?」


「分からない。けど、他にやることがないから」


 他にやることがないからずっと寝転がっているというのか。

 お節介かもしれないが、どうにか彼女にやることを与えてあげたいと思ってしまった。

 ベッドで横になりながら俺の目をじっと見ている柊は、ぱちくりと瞬きをした。


「湊は家で何をしてるの?」


「俺か? 俺はスマホとかいじってるかなー」


「スマホで何するの?」


「NINEで桜瀬とかひな先輩とメッセージでやり取りしたり、動画観たりしてる」


 口に出してみると俺も大したことはしていなかったが、柊は目を大きくさせて反応を示した。


「どういう動画観るの?」


「うーん、色々観るんだけどね」


「湊の観てる動画観たい」


「え、全然いいけど」


 こうやって柊が興味を示すなんて珍しい。彼女の興味が薄れないうちに、俺はバッグからスマホを取り出して動画アプリを起動した。


「見えない」


 猫が静かに泣くような声は、柊の発したものだ。

 まだ動画を探している途中だが、柊に急かされて指を動かすスピードを早める。


「ちょっと待ってなー」


 そう言ってみせると、柊は猫のように体を丸めたまま無言で画面を凝視しはじめた。

 俺の観ている動画が観たいとのことだったので、視聴履歴の一番上にあった動画を開いた。


「これで見えるか?」


 柊から見えやすい位置にスマホをずらすが、彼女はゆっくりと首を横に振った。


「見えるけど見えない」


「どっちですか……」


「湊もベッドで横になって」


「はい?」


 今日の柊は妙に積極的だ。さすがに冗談を言っているのだろうと彼女の顔を覗いても、いつもの感情を垣間見せない表情をしている。

 しかし部屋に二人きりなのに、ベッドで一緒に寝転がるのはどうなのかと思ってしまう。こんなとき、俺にもっと恋愛経験値があればと後悔が残る。


「いや、それは……」


「私、誕生日」


 まさか誕生日という切り札を使ってくるとは思わなかった。誕生日を盾にされては、俺も断ることに気が引けてくる。


「ベッドに上がっていいのか?」


「うん、いい」


 感情が分からないと言う柊であるが、テントで二人きりだった時もワガママだけは一人前だった。桜瀬やひな先輩にワガママを言っているところはあまり見ないが、二人きりの時はどうなのだろうか。


「それじゃあお言葉に甘えて」


 断る理由が思い浮かばず、俺もベッドの上で仰向けに寝転がった。

 すると柊は足元にあった毛布を掴んだかと思えば、それを二人分の体の上に被せた。フワッと甘い匂いが鼻孔をくすぐった。


「あの、柊さん……」


「なに」


「毛布は必要ありましたかね」


「寒いかと思って」


「……お心遣いありがとうございます」


 柊と同じ毛布に入っている。そう考えただけで、嬉しくて頭がおかしくなってしまいそうだ。

 さらに柊は俺の方を向いて寝転がっているので、彼女の吐息が首筋を撫でる。


「動画観たい」


 不意に言葉を掛けられたことで、俺はなんとか平常心を保つことが出来ている。


「ああ、分かった」


 手に持っていたスマホを彼女の見える位置に掲げようとした時、玄関の方から扉の開く音が聞こえてきた。


「おじゃましまーす!」


 この元気な声はひな先輩で間違いない。彼女の顔が頭に浮かんだと同時に、俺はこの状況に危機感を覚えた。


 ──やばい、柊と一緒に寝ているところを見られれば、どんな誤解を招くか分かったもんじゃない。


 だがしかし、それを考えた時にはもう遅い。

 無邪気な笑顔をしたひな先輩が部屋に入ってくるなり、彼女はあまり見せない真顔を浮かべたまま固まった。


「いや、これは違うんですよ……ひな先輩……」


 今なら弁解の余地があるのではと思ったのだが、ひな先輩はニヤニヤとしながら部屋を出ていくなり、扉を勢いよく閉めた。


「紬ちゃーん! わたし達お邪魔だったかもー!」


 桜瀬へと報告に向かうひな先輩の声が聞こえるなり、俺は地の底から湧き上がるような嫌な予感を感じた。

 隣で寝転がっている柊が俺の肩をちょんちょんとつつくので振り向いてみると、吐息が触れ合うくらいの距離に、キョトンとする彼女の顔があった。


「お邪魔だったの?」


 分かっていたことだが、柊はことの重大さに気付いていないようだ。そんな彼女の頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細めた。


「柊は何も悪くない。俺が全部悪かったんだ」


 罪を全て背負うことを心に決めると、柊はまたもキョトンとした顔を浮かべた。

 この後、柊の保護者である桜瀬が落とした雷は、夜に一人でトイレに行けなくなるくらいには恐ろしいものだった。

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