推川ちゃんは生徒思い

 気が付いた時には、転がるようにして掃除用具入れから出ていた。


「わぁ! びっくりしたー、佐野くんと紬ちゃんじゃない。そんな場所で何してたのよ。屋上でハロウィンパーティーしてるんじゃなかったの?」


 椅子に座っている推川ちゃんが驚いたような目をこちらへと向けているが、俺と桜瀬はそれどころじゃない。唇が触れ合っている数秒間だけ息を止めていたので、俺と桜瀬は肩で息をしている。


「推川ちゃんだったか! てっきり違う先生だと思ったよ」


 すると白いベッドの下から、ひな先輩と柊がゾンビのような動きで這い出て来た。


「ひなちゃんと柊ちゃんまで……みんな狭い場所に隠れてどうしたの? かくれんぼ?」


「かくれんぼだったら鬼が居ない」


 冷静な柊のツッコミに、推川ちゃんは「それもそうか」と笑って返した。


「学校に侵入したことが他の先生にバレたら怒られると思ったから隠れてたんだよ〜、推川ちゃんで助かった〜」


「そうだったのね。だから掃除用具入れとベッドの下に隠れてたのか」


 推川ちゃんはそう言うと、桜瀬の顔を覗いた。


「紬ちゃん大丈夫? 顔真っ赤だけど」


 桜瀬に向けられた言葉に、俺もギクリとさせられる。それは本人も同じようで、「へ?」と素っ頓狂な声を上げながら、自分の顔を触って分かりやすい作り笑顔をみせた。


「あはは、掃除用具入れの中って意外と暑くって。しかも湊と入ってたから余計に」


 何事もなかったかのように振る舞いながら立ち上がると、桜瀬は俺に向かって手を差し伸べた。


「湊も暑かったでしょ。アタシ体温高いから」


 どうやら桜瀬は、キスしてしまったことを皆には隠し通す気でいるようだ。


「お、おう。俺も体温高い方だから」


 それならば俺も余計なことは言わないようにしようと心に決めて、桜瀬の手を取って立ち上がった。自然に桜瀬と目が合ったのだが、彼女は頬を赤く染めてすぐに目を逸らした。


「二人とも温かい」


 すると柊がそんなことをボソリと呟いた。俺たちの話を聞いていたらしい。


「え、二人ともってどういうこと?」


 柊の意味深な呟きに桜瀬は首を傾げてから、何かに気が付いたかのように、俺へと訝しげな目を向けた。


「湊、アタシが休んだ日に何があったの?」


 ジト目を向けられ、今度は俺の方が桜瀬の目から逃れるようにと視線を逸らす。


「あー! 今なんで目を逸らした!」


「いや、それはその……」


「それよそれ! 急によそよそしくなってるじゃない!」


 よそよそしくなってるのは、柊がくっついて寝ていた日を思い出したこともあるが、さっき桜瀬とキスをしてしまったからなんだよなと思いながらも黙秘を貫く。


「あはははは。佐野くんも皆と打ち解けられたようで何よりよ。それと紬ちゃん、あんまり大きい声を出すと他の先生に気付かれちゃうから……ね?」


「あ、そっか……すいません」


 大きな声を出していたことに気が付いて、桜瀬は自分の口元に手を当てると、推川ちゃんに向けてぺこりと頭を下げた。


「よろしい。それじゃあ他の先生が来ない内に早く屋上に行きなさいな。せっかく私が協力してあげてるんだから失敗は許さないわよ?」


 冗談を言う口調で頬を緩めた推川ちゃん。そんな彼女を見てか、ひな先輩は何かを思いついたかのように、「そうだ」と口にした。皆の視線がひな先輩に集まる。


「推川ちゃんもハロウィンパーティーにおいでよ! お菓子あげるから!」


 静かな声で目をキラキラとさせながら、ひな先輩は推川ちゃんの手を取った。


 「えー、お仕事がまだあるからなー」


 「お仕事終わったらでいいから! お願いだよー!」


 手を握りながらひな先輩が懇願すると、推川ちゃんは少しだけ考えたあと、諦めたようにため息を吐いた。


 「分かったわ。お仕事が終わったらちょっとだけ顔を出すから」


 それを言う推川ちゃんの表情は、満更でもなさそうだった。

 ひな先輩は「わーい!」と目に見えて喜んで見せると、推川ちゃんの手を解放した。


「絶対ね! 約束だよ!」


「はいはい、ちょっと時間が掛かるけどね。いつまで学校に居るつもり?」


「んー、終電前には帰ります!」


「そうなのね。それなら間に合うかも」


 推川ちゃんは椅子から立ち上がると、扉を開けてキョロキョロと廊下の様子を確認してから、すぐに手招きをした。


「ほら、今なら廊下に誰も居ないわ。保健室から出るなら今のうちよ」


 それを聞いたひな先輩は柊の手を握りながら、急ぎ足で扉まで走って行った。


「それじゃあ推川ちゃん、また後でね」


「ばいばい、推川先生」


 ひな先輩と柊は手を繋ぎながら、ひと足先に保健室から出て行ってしまった。


「はーい。また後で」


 そんな二人に笑顔で手を振り見送った推川ちゃんは、俺たちに視線を移した。


「ほら、そこのカップルも早くしなさいな」


「カ、カップルじゃないから!」


 明らかにからかっている口調だったが、桜瀬は声をひっくり返しながら反論した。そのムキになった口調にカップルだと誤解されかねないのではとも思ったが、推川ちゃんは「冗談よ」と笑いかけた。


「推川ちゃん、色々とありがとう」


 顔を赤くさせる桜瀬を置いて、推川ちゃんに頭を下げながら廊下に出る。


「いいのよ。可愛い生徒たちのためだもの」


「屋上で待ってるんで」


「はいよー、ハロウィンパーティー楽しんでね」


 ウィンクをする推川ちゃんに、もう一度軽く頭を下げてから保健室を後にする。


 屋上に向かって廊下を歩いている途中、後ろから足音が聞こえて来たかと思えば、ちょんちょんと肩をつつかれた。振り返ってみると、気まずそうな顔のまま上目遣いを向ける桜瀬の姿があった。


「あ、えっと、どうした?」


 彼女を見ると、掃除用具入れの中での出来事を思い出してしまう。出来るだけ平静を装いながら首を傾げると、桜瀬は言葉を選ぶようにしながら小さな声を発した。


「さっきのこと、みんなには内緒にね」


「さっきのこと?」とすっとぼけようかとも思ったが、気付いていないフリをするのも違うような気がした。


「お、おう。もちろん」


 ぎこちなくも頷いてみせると、桜瀬は気まずそうな表情から一転して笑顔を見せた。


「屋上、向かおうか」


「そうだな」


 短く言葉を交わしてから、二人並んで廊下を進む。


 初めてキスをした相手は、俺と同じく初めてだったのか、それとも慣れているのだろうか。それがたまらなく気になったが、知りたくない自分も居た。なのでこれ以上言葉を交わすことはせず、ひな先輩と柊に遅れて屋上へと向かうことにした。

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