仲の良い二人を見てると

 出欠を取った推川ちゃんは、笑顔で「頑張ってね」とだけ言って屋上を後にした。

 それと同じくして、一限目の開始を告げるチャイムが鳴り響いた。今から四限目まで自習をすれば、帰宅することが許される。

 自習道具をバッグから出そうとしたが、自然と手が止まった。


「というかこんな場所でどうやって自習するんだ? 床は柔らかいしクッションや毛布しかないじゃないか」


 これではまるで昼寝をするために作られた部屋だ。昼まで自習をするには、あまり向いていない部屋に思える。

 しかし桜瀬は肩をすくめると、呆れた顔をこちらに向けた。


「湊ってそんな見た目して真面目なのね〜。自習なんてするはずないじゃない」


「は?」


 その反応に満足そうな顔をしながら、桜瀬は手に持っていたピンク色のスマホを見せつけた。そのスマホは透明なスマホケースに守られていて、女子高生らしいデコレーションはしていないようだ。


「アタシたちの下校時間は四限が終わる時間でしょ? それまでは何をしててもいいのよ」


「まさか……四限までスマホをいじるつもりか……?」


「ふふん、まあ半分は正解かな」


 うちの高校では学校内でスマホをいじることは禁止されていないが、もちろん授業中の使用は禁止されている。

 自習の時間はスマホをいじらずに勉強をしてきたので、俺は驚きで空いた口が塞がらなかった。


「もう半分は……?」


 桜瀬はニヤリと不敵な笑みを浮かべると、腰まで掛かっていた毛布を片手で掴んだ。


「まさか……」


「そのまさかよ」


 桜瀬はニヤリと嫌な笑みを作ると、毛布を肩の辺りまで掛けて目を閉じた。


「寝るの」


 大きなクッションに体重を預けたまま、桜瀬は目を瞑った。そんな彼女にくっついている柊は、とっくの昔に寝息を立てていた。


「お前ら……いつもその調子なのか……」


「もちろんよ。湊もここでは自由に過ごしなさいな。それではおやすみなさい」


 桜瀬は完全に寝る姿勢に入ってしまった。取り残された俺は何をしたらいいのか分からずに、とりあえずバッグの中から読書用の文庫本を取り出した。


 ☆


 桜瀬と柊が身を寄せ合い寝息を立てているのを横目に見ながら読書をしていると、あっという間に二限目終了のチャイムが鳴った。

 一限目と二限目を読書に費やしたので、目が疲れてしまった。床の上に文庫本を置いて伸びをすると、目の端で何かが動いた。そちらを向いてみると、寝ぼけ眼を擦る柊が体を起こしていた。


「おはよう。よく寝てたな」


「うん、寝た」


「ふああ」と欠伸を浮かべて、柊は肩まで掛かっていた毛布を剥がして、ゆっくりと立ち上がった。


「どこか行くのか?」


「外に行く」


「外ってすぐそこか?」


「うん、四限が終わるまでは校舎から出られないから」


「そっか、たしかにそうだよな」


 まだ眠たそうな表情を浮かべたまま頷き、柊はのそのそとテントのドアに向かって歩き出し、また足を止めてこちらを見た。


「……どうした」


 何を考えているのか分からない瞳を向けられて困惑していると、柊はちょこんと小首を傾げた。


「一緒に行く?」


 拳銃で胸を打たれたような衝撃が走った。

 こんな美少女が俺みたいなぼっちを誘ってくれるのか……。泣きたくなるような感動を覚えながらも、その内心を悟られないようにと何食わぬ顔で立ち上がる。


「行こう」


 即答だった。というよりも、これ以外の選択肢が俺の中には存在していなかったのだ。

 すぐそこまで外の空気を吸いに行くだけなのに、俺は海外旅行にでも行くような高揚感を抱いていた。


 ☆


 上履きを履いてテントの外に出ると、柊はテントから出て真っ直ぐの場所にある柵の近くに立った。俺は遅れて彼女の隣に立ち、柵に両肘を置いて体重を預けた。


「あ、サッカーやってる」


 下のグラウンドを見ると、生徒達が男女に分かれてサッカーをしていた。小休憩の時間となっているのに体育の授業を続けているということは、二限と三限の両方を使ってサッカーの試合をしているのかもしれない。


「サッカー好きなの?」


 独り言のつもりだったので、まさか柊が拾ってくれるとは思わなかった。


「好きというか、中学の時はサッカー部だったから懐かしいなって」


「部活動やってたの?」


「中学の三年間だけだけどな。柊は何かやってたのか?」


 そう尋ねると、柊は柵に片手を置いてから首を横に振った。


「やってなかったのか」


「うん、やってない」


 柊の細くて小さな声は、グラウンドでサッカーをする生徒達の声にかき消されてしまいそうだ。


「習い事とかはやったことあるか?」


「それもない」


「そうなのか」


「うん」


 そこで会話は終わってしまった。

 何となく柊の顔を見てみると、彼女の視線はずっと空を向いていた。そんな彼女の横顔に見惚れそうになっていると、後ろからファスナーの開く音が聞こえて来た。


「二人とも外に出てたんだね」


 その声を聞いて振り返ってみると、上履きに履き替えた桜瀬が眩しそうな顔をしながらテントから出てきていた。


「おはよう。よく寝てたな」


「アタシいびきかいてた?」


「いや、かいてないな」


「それは良かった」


 まだ眠たそうな顔を浮かべている桜瀬は腕を広げると、後ろから柊に抱き着いた。


「瑠愛ー、今日の空はどんな感じー?」


「分からない」


「だよねー」


 柊の背中にびったりとくっつきながら、桜瀬は柊の銀髪を優しく撫でている。


「やっぱり分からないんだな」


 無意識の内にボソッと口から漏れると、桜瀬と柊の視線が俺へと集まった。


「やっぱりって何よやっぱりって」


 目を丸くさせる桜瀬だが、柊の頭を撫でる手は止めていない。


「始めて柊と会ったときも空が好きなのかって聞いたら、「分からない」って言ってたのを思い出したんだよ」


 桜瀬はどこか納得したように何度か首をコクコクとさせると、柊の頭を撫でていた手を止めた。


「瑠愛はね、自分の感情に鈍感なところがあるから」


「あー、そう言えば自分の感情が分からないって言ってたな」


 始めて彼女と出会った日のことを思い出しながら言うと、桜瀬は眠気が覚めたような顔つきのまま柊の顔を覗き込んだ。


「え、湊に感情が分からないって言ったの?」


「うん、言った」


「始めて会った時に?」


「そう」


 柊が頷いたのを確認すると、桜瀬は無言のままゆっくりとこちらを向いた。


「どういうことだ? 聞いちゃいけないことだったのか?」


「聞いちゃいけないことはないけど……瑠愛は自分のことを親しくない人に話さないのよ」


「そうなのか?」


 俺と桜瀬の視線が柊に集まる。しかし柊はキョトンとした顔のまま俺の目を真っ直ぐに見つめると、小さな口を開いた──しかしその声は、三限開始のチャイムと重なってしまい聞き取ることが出来なかった。

 チャイムが鳴り終わると、すっかり眠気の消えた顔つきとなった桜瀬は柊の手を取った。


「まあそんなことはどうだっていいか! ほら、三限始まっちゃったからテントに戻ろ。下で体育やってる生徒に見つかったら面倒だよ」


 柊の手を引いてテントに戻っていった桜瀬の表情は、今日見た中で一番の笑顔を浮かべていた。

 柊が最後に放った言葉は聞こえなかったが、微笑ましいくらいに仲の良い二人を邪魔したくないからと、聞き返すことはせずに彼女たちの後を追った。

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