屋上にある秘密基地
今日は初となる屋上登校をする日だ。
昨日までは何も気にかけていなかったが、今朝起きた時から、どこかソワソワとした気持ちを抱えて通学路に就いた。
学校に到着して下駄箱で上履きに履き替えると、保健室には顔を出さずに、そのまま階段を登っていく。
屋上に繋がる扉の前に到着した。ソワソワとしていた気持ちは、いつの間にか緊張に変わっていた。
「ふう……」
どうしてこんなに緊張しているのか。それは恐らく、久しぶりに同級生と同じ時間を過ごすからだろう。
何とか呼吸を整えてから、ドアノブに手を伸ばして手首を捻る。しかし扉は押しても引いても開く気配を見せない。
「鍵掛かってるじゃん」
屋上の扉は、内側からだと鍵が無ければ開けられない。
そう言えば昨日、桜瀬は制服のポケットから鍵を取り出して、ここの扉を解錠していた。ということは、屋上登校をしている生徒は屋上の鍵を持たされているのかもしれない。
「困ったな……推川ちゃんのとこ行くしかないか……」
推川ちゃんなら屋上の鍵を持っている。ここで足踏みをしていても仕方がないからと、諦めて保健室に向かおうと踵を返すと、そこにはこちらをじっと見つめる銀髪の美少女が立っていた。
「おお、びっくりした……柊さんだよね」
名前はたしか柊瑠愛だった気がする。しかし柊は首を横に振った。
「さん付けはしなくていい。学年は同じだから」
「あー、そうだね。じゃあ柊で」
彼女の異様な雰囲気に圧倒されて、無意識のうちにさん付けをしていたようだ。
柊は喜怒哀楽のない表情を浮かべながらも、コクリと頷いた。
「うん、おはよう湊」
「お、おう。おはよう」
「屋上に入らないの?」
首をちょこんと傾げた柊の髪は、華奢な肩を優しく撫でた。
「いや、鍵持ってなくて」
「推川先生から渡されてないの?」
「渡されてないな」
柊は推川ちゃんのことを、ちゃん付けをせずに『推川先生』と呼んでいるのか。一瞬だけ、推川先生とは誰のことだろうと思ってしまった。
「じゃあ屋上入れないね」
「そ、そうだな」
そこで会話は終わってしまい、不思議な時間が流れ出す。これ、何の沈黙なのだろう。
その不思議とも感じる沈黙を先に破ったのは柊だった。
「屋上、入る?」
制服のスカートに付いているポケットから取り出した鍵を、人差し指と親指で摘んでこちらに見せつけた。
「入ります」
これで何段も階段を降りて、保健室まで行かなくて済む。彼女に場所を譲るようにして数歩下がると、柊が入れ替わるようにして扉の前に立った。
「開けるね」
「よろしくお願いします」
柊は慣れた手つきで鍵穴に鍵を挿し込み解錠をすると、片手でドアノブを捻って扉を開いた。彼女は屋上へと足を踏み入れようとして、何かを思い出したかのようにこちらを振り返った。
「行こ」
差し込んだ太陽の光に照らされた銀髪が美しく輝き、緩やかな風になびいた。
その美しさに目を背けそうになったが、喜怒哀楽のない柊の瞳が俺の心を撃ち抜き、神々しくも見える彼女に釘付けとなった。
「お、おう」
生唾を飲み込んでから心ここにあらずな返事をすると、どこか満足げな彼女は俺を置いて屋上へと消えてしまった。
神秘的ながらも儚く見えた彼女の去り際に、俺の心には特別な感情が花咲く種が植え付けられていた。
☆
屋上に出ると、そこに柊の姿は無かった。一足先にテントの中へと入ったようだ。
扉の鍵を閉めてから、俺も遅れてテントの前に立つ。テントの前には、上履きが二足並んでいた。
「なあ、入っていいのか?」
もしかしたら着替えなんかをしているかもしれないからと、外から声を掛けてみる。
「どうぞー」
この声は桜瀬のものだ。どうやら彼女は、俺らよりも早く登校していたらしい。
「入るぞ」
「はーい」
桜瀬の返事を聞いてからファスナー式になっているテントのドアを開く。
するとテントの中から漏れ出たシャンプーの匂いが、俺の鼻をくすぐった。その匂いに頭がクラっとしそうになりながらも、テントの中を覗いてみる。
「おはよ、湊」
「おう、おはよう」
テントの中を見て驚いた。
テントの中には一面にジョイントマットが敷かれていて、その上には、何枚もの毛布やクッションが散乱している。そしてテントの一番奥では、大きなクッションに体重を預けながら、腰の辺りまで毛布をかけた桜瀬と柊が身を寄せ合っていた。
「何してるの? 寒い空気が入っちゃうから早く入ってよ」
「あ、ああ、悪い」
女子の空間として完成されたテント内に、俺のような男が入ってもいいのだろうか。そんな葛藤を心の中に抱きながらも、これ以上ドアを開けっ放しにする方が悪いからと思い、ローファーを脱いでテントの中に入った。間髪入れずにドアのファスナーを閉める。
「そこら辺に適当に座って」
ちょうどどこに座ったらいいか分からなかったので、桜瀬からの指示はありがたかった。言われた通りに、ドアをくぐって左手に進んだ所で腰を下ろした。近くに毛布が落ちていたが、何となく使用することが躊躇われた。
「ふふん、どうよこのテントは」
何故か自慢げな桜瀬は、手にスマホを持っている。その隣に座る柊は、今にでも眠ってしまいそうな勢いで、桜瀬の肩に頭を置いて目を閉じている。
「ああ、すごいな……というかめちゃくちゃ広い」
俺の知っているテントと言えば、人が立てないような高さに、寝転がってしまえば身動きが取れなくなってしまうくらいの大きさのものだ。それに対してこのテントは、人が立つのは余裕だし、十人は寝転がることの出来る広さだ。
「そうでしょー、ここがアタシたちの秘密基地よ」
「秘密基地……」
その子供っぽいワードセンスながらもどこか興奮してしまうのは、俺が男という性別だからだろう。
するとその時、近くで扉の開く音が聞こえた。
「なんだ、今の音」
「推川ちゃんじゃない? もう出欠の時間だもの」
「もうそんな時間なのか」
余裕を持って登校してきたつもりだったが、ギリギリの時間だったようだ。
するとテントのドアのファスナーが「ジジジ」と音を鳴らして開くと、桜瀬の予想通り白衣姿の推川ちゃんが顔を出した。
「ごめんね佐野くーん、鍵渡し忘れちゃってたよー」
推川ちゃんは申し訳なさそうな顔をしながら靴を脱ぎ、テントの中へと入ってくると、慣れた手つきでドアのファスナーを閉めた。
「いえいえ、俺も忘れてたから」
「それでもだよー、入れなくて困ったでしょ?」
「困ったは困ったけど、すぐに柊が助けてくれたから」
「柊さんが?」
推川ちゃんは少しだけ驚いたように目を大きくさせながら、柊へと視線を向けた。釣られるようにして俺もそちらを向くと、柊は桜瀬の肩から頭を離し、眠たそうな目を擦っていた。
「へえ〜、柊さん偉いじゃない」
名指しで褒められた柊は、擦っていた目をパチクリとさせながら首を傾げた。
隣にくっついて座っている桜瀬は微笑みながら、柊の頭を撫でる。気持ちよさそうに目を細めた柊は、そのまま甘えるようにして桜瀬の肩に頭を置いて体重を預けた。
「朝から仲良しなのはとても良いことね──あ、忘れる前にこれ、佐野くんの鍵ね」
推川ちゃんはそう言うと、俺に銀色の鍵を手渡した。屋上の鍵だろう。
「ありがとう」
「いえいえ、それじゃあさっさと出欠しちゃいましょうか」
桜瀬だけが「はーい」と返事をすると、推川ちゃんはポケットからメモ帳のようなものを取り出し、出欠確認をはじめた。
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