銀髪美少女は空がお好き
保健室から一番近い階段を登り、一年生の教室が並ぶ二階、二年生の教室が並ぶ三階、三年生の教室が並ぶ四階のさらに上の階に、屋上へと繋がる扉があった。その扉には『生徒立ち入り禁止』の貼り紙が貼られていて、ドアノブには鍵穴がぽっかりと空いている。
「本当に入っていいのかなー」
その物々しい雰囲気から屋上に出るのを躊躇ってしまいそうになるが、せっかく階段を登ってきたのだからと、推川ちゃんから借りてきた鍵を鍵穴に挿した。するすると入って行った鍵はあっという間に根元まで挿さり、手首を捻ると「カチャ」という解錠の音が鳴り響いた。
「開いた」
鍵を制服のポケットに入れてから、ドアノブを捻って屋上の扉を開く。
すると開いた扉の隙間から冷たい風が流れてきて、露出している肌を冷やした。
十月ともなるとやはり寒い。それなのに屋上登校をしているなんて、どれくらい厚着をしているのだろう。そんなことを考えながら、初めての屋上に足を踏み入れた。
扉をくぐると、屋上にある違和感に気が付いた。扉を出てすぐ近くの場所に、十人は余裕で入れるだろうオレンジ色のテントが張ってあったのだ。
「そうかそういうことか」
屋上登校をしている生徒はこんな寒い屋上でどうやって生活をしているのだろうかと思ったが、この大きなテントの中で寒さを凌いでいるのだろう。
ということはこのテントの中に、推川ちゃんが言っていた生徒が居るはずだ。そう思いコンクリートが広がる屋上を歩いていくと、テントの入口付近に人が座っていることに気が付いた。
「あのー」
テントの側で三角座りをしている生徒に近づくと、その姿を見て言葉を失った。
風になびいている髪の毛は、黒色ではなく綺麗な銀色だった。肩下あたりまで伸びる銀髪は、太陽の光を反射して神秘的に見える。しかもウチの高校の制服を着用していて、スカートのまま屋上の床にお尻を着けている。推川ちゃんが言っていた人は、この銀髪美少女のことだろうか。
俺の声に気が付いた彼女は、こちらに振り向いた。シュッとした目元から覗く瞳の色は青く、雲と同じくらいに白い肌。間違いなく美人であるがどこか寂しさを覚えるのは、彼女の表情から感情が読み取れないからだ。
「なんの用?」
細くて綺麗だけれど淡白な声色に、俺の心臓はドキリと跳ねた。他の高校生とは違う彼女の雰囲気に、一瞬で呑まれそうになる。
それでも何とか踏ん張れたのは、彼女の上履きのつま先の色が赤色だからだ。上履きの色が赤色の生徒は、俺と同じ高校一年生の証である。
「あ、えっと、推川ちゃんに勧められて屋上に来たんだけど……」
「推川先生?」
「そうそう。友達になれるかもしれないよーって言われて」
「そうなんだ」
「うん」
会話が終わってしまった。どうやら日本語で意思疎通は出来るようだが、初対面な上にとんでもなく美人なので、心が焦ってしまい話題が出てこない。
「ええと、日本人……じゃないよね?」
「ロシアと日本のハーフ」
「そっか、すごいね」
「ありがとう」
「いえいえ」
これまた会話が長続きしなかった。それでも彼女は無表情のまま、俺の顔から視線を離そうとしないので、次は何を話せばいいのかと頭をフル回転させる。
「そう言えばさっきずっと空を見てたよね。何か飛んでたの?」
「何も飛んでない。ただ空を見てた」
彼女はそう言うと、表情を変えずに目の前に広がる青空へ視線を移した。
「面白いのか?」
「分からない。でも空は同じ形を作らないから、ずっと見てても飽きない」
面白いか分からないとはどういうことなのだろうと思いながら、俺も彼女を真似て空を眺めてみる。綺麗な青空には、ふわふわとした雲が変な形を作って浮いているだけだ。特に変わりない空だと思うのだが、彼女はこの空を眺め続けている。ということは、俺が気付かないだけで、どこかに風変わりな景色があるはずだ。
「あなたには感情がある?」
それを見つけようと目を凝らしていると、不意に彼女から声が掛けられた。その突拍子もない質問に面食らいながらも、正直な答えを返す。
「感情はあるな。喜んだり怒ったり悲しんだり楽しんだりするけど……どうしてそんなことを聞くんだ?」
「私は自分の感情が分からない。だから自分に感情があると断言出来るあなたが羨ましい」
目の前の空を見たまま放たれた彼女の言葉を、上手く飲み込むことが出来なかった。
感情を表に出すのが苦手だというのならまだ分かるが、自分の感情が分からないということはどういうことなのだろう。
「それってどういう……」
「そのままの意味。今の自分がどんな感情をしているのかが分からない」
だから突然知らない男が屋上に入って来ても驚かなかったし、終始無表情のままでいるのだろうか。
「自分の感情が分からないって──」
そこまで言葉を吐いた時のことだ。背後でガチャリと扉の開く音が屋上に響いた。
「誰よアンタ!」
ドアが閉まる音と同時に、大声を上げる女子の声が聞こえてきた。
反射的に声のした方を振り返ってみると、茶髪でサイドテールの女子生徒が、睨みを利かせながらずんずんとこちらに近づいて来ていた。足元を見ると上履きのつま先が赤色だったので、恐らくは同じ学年だろう。
「俺は佐野湊って名前で──」
「そんなことは聞いてない! 今すぐここから出てけ!」
銀髪の少女をかばうようにして立つと、サイドテールの彼女はすごい剣幕で扉の方を指さした。
誰よアンタと尋ねたのはお前の方だと言ってやりたいが、それを言うときっと喧嘩になってしまう。ここは落ち着いて話を進めなくてはならない。
「待て待て、俺は推川ちゃんに──」
「聞いてない! ここから出てけ!」
「ここに来れば気の合う友達が──」
「出てけ!」
うん、会話が出来るような相手じゃない。
俺のヤンキーチックな外見も相まってか、サイドテールの彼女の足は小刻みに震えている。
諦めた方が良さそうだ。そう考えるや否や、俺は小さくため息を吐いて彼女たちに背を向けた。
「邪魔して悪かった」
それを捨て台詞にして歩き出す。未だ背中にはサイドテールの彼女の視線が、痛いくらいに突き刺さっているのを感じる。
屋上の扉に手を掛けて、チラリと彼女たちの様子を伺う。そこには親の仇の如く睨みを利かせるサイドテールの彼女の後ろで、無表情のままにこちらを見つめる銀髪の少女の姿があった。
友達作りってこんなに難しかったんだなと思いながら、扉を開いて校舎の中に戻る。
去り際、銀髪の少女が浮かべていた表情から感情を読み取ろうと思ったが、一秒も経たずに諦めることを選んだ。
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