第50話 選択

 体当たりをくらった俺の代わりに悲鳴をあげたのは、リズだった。


 受け身をとって向き直ると、リズが宙を舞っていて、シャルムの上に落ちたところだった。


 ドッドッドッドッドッ


 鼓動があり得ない程の速度で鳴っている。


 仰向けに倒れたシャルムは驚きの表情で固まっている。


 シャルムの腹あたりに頭を乗せているリズは、眉を寄せて浅く息をしていて、左手で右脇を押さえていたが、そこには押さえるべき肉はなかった。


 ひゅっとシャルムが息を吸った。


「シャルム!! 障壁を!」


 叫ばれる前に先手を打つ。


 ドラゴンの攻撃は一発ではない。


 リズの前へたち、左の破砕器に魔石があることを確かめて連続起動。


 突き刺さってくる槍を『障壁』で押し止める。


 全ての『障壁』が壊されてしまう前に、シャルムが俺の前面に硬い障壁を張った。


 続けて回復魔術を唱え始めたシャルムを、俺は制止した。


「リズは俺がますから、障壁をお願いします」


 リズの様子が見えていないからなのか、シャルムは真っ白な顔をこくこくと小刻みに上下に振ると、言葉に従って呪文を切り換えた。


 俺はリズの横、ドラゴンが見える位置にしゃがみこみ、破砕機に魔石を補充しながらリズの傷を確認する。


 リズの右脇腹は、肋骨二本と骨盤を巻き込んで半円状に欠けていた。


 炎で焼けていて一時血は止まっていたようだが、少しずつにじみはじめていた。白く見える骨が痛々しい。


 視線を上に上げれば、先ほど踏まれたときに負ったらしく、鎖骨の辺りが大きくれていた。折れているんだろう。


 しっかりと回復魔術をかければ十分治る傷だ。


 しかし、俺にはその余裕が――。


 魔法陣を起動してリズに握らせ、シャルムの詠唱の邪魔をしないように、そっと話しかけた。


「シャルム、俺が支えますから、リズの下から出てください。頭を下げないと」


 リズの肩に手を回して支えて、シャルムが抜け出す隙間を作る。リズは呻き声さえあげずにじっとしていた。


 シャルムがずるりと抜け出すと、そのローブはリズの血で湿っていた。


 シャルムがリズの傷を見て唇を戦慄わななかせるが、それでも呪文はつむぎきり、障壁を張った。


 ドラゴンの攻撃は一時止んでいるが、まだ時間が欲しい。説得をする時間が。


「リズ……」

「シャルム、障壁を」

「でもリズが……」

「まずは、障壁を」


 シャルムは障壁を唱えながら、回復が封入された魔石を三つリズのそばに置いた。残った魔石全てということなのだろう。


「そのまま落ち着いて聞いてください」


 シャルムの目と、リズの目を交互に見つめる。


「リズは重症ですが、きちんと治療すれば助かります」


 シャルムの目に力がこもった。


「しかし、今の俺たちにはその余裕はありません。そして、例えリズが無傷だったとしても、魔法陣や魔石といった消耗品でなんとかしている以上、いずれは限界がやってきます。シャルムの魔力もかなり消耗しているはずです。三人で逃げ切るポイントはとっくに過ぎました。それでもまだ、俺だけなら逃げられます。そして、この状況なら、シャルムだけを連れて逃げることもできます」


 シャルムが目を大きく見開き、ぱくぱくと口を開閉させた。しかし、なんとか踏みとどまって詠唱を続けていく。


 ここで崩れたら、それこそ最後だからだ。


「シャルを頼む。今度こそ」


 リズがかすれた声で呟いた。


 シャルムが信じられないとさらに目を開き、リズに向かって首を振った。


「はい。気絶させてでも連れて行きます。……・・がいいですか?」

「防御を」


 今楽に死ぬよりも、長く生き残ってドラゴンを少しでもひきつけておきたい、と。


「ありがとうございます。残った分を全てかけていきますね。あとは興奮効果のある魔法もかけていきます。痛みが楽になりますよ。切れたあとに反動が来ますが……」


 それ以上の言葉は要らなかった。


「なんの話をしている!?」


 シャルムがきっちりと障壁を張ってから口を挟んできた。


「リズを置いていくなんて論外だ! リズがいなければ国を救う意味なんかない! なあノト。ノトならなんとかできるんだろう!? まだ手があるんだろ!?」

「魔法陣は万能じゃないんですよ。準備した分しか使えない。描いた通りのことしか起こせない。渡した魔法陣の『障壁』が体の正面にしか出現しないように」

「それでも、あるんだろ!?」


 シャルムが俺の体にすがりついてくる。


「ノトを、困らせるな」


 ドラゴンは狂ったように魔術を連発している。


 それはシャルムが張った障壁にことごとく防がれている。


 俺は目を閉じた。


 何度も魔術を放ち、回復を繰り返すドラゴン。その原動力は腹の魔法陣だ。


 それさえなんとかできれば、戦況を打開することができる。


 魔法陣の本体を破壊できる程の深い傷を負わせれば。


 しかし、それには――。

 

「ノト、頼む。リズを助けてくれ。僕はなんでもするから。おとりになっても構わない。リズは――」

「シャル、ダメだ」


 ぐっと握りしめたシャルムの拳から、血がぽたりとしたたった。


「ノト。頼む。リズを助けてくれ」


 どうする。


 どちらを選ぶ?


 リズか、シャルムか。


 一人で逃げるか?


「ノト! 僕に魔法陣を描いてくれって頼んだよな!? それにリズは、ノトをかばってこんな怪我をしたんだぞ!」


 俺は目を軽く閉じた。


 仕方ない。


 目を開けて、シャルムを見る。


「本当に、リズのために、命を犠牲にする覚悟はありますか?」

「ある」

「やめろ……」

「状況を打開する策がひとつだけあります。だけど、代わりにシャルムは死にます」

「構わない」

「やめろ……」

「危険な方法だからってだけじゃないです。これを見られるからには、たとえシャルムが無事だったとしても、俺はシャルムを殺します」

「わかった」

「やめろ……!」


 リズが熱に浮かされるように手を伸ばし、制止しようとしてくるが、シャルムの決意は固い。


「ではまず、リズに眠りの術を。そのあと障壁を張り直して、リズに回復を。俺は準備をします」

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