第41話 会敵

 ミリムは小さな町だ。人口もさほど多くない。それでも栄えているのは、バルディアから西に行くには必ず通る場所であり、村々を回るのにも便利な位置にあるからだ。


 町の中は、思っていたよりも普通だった。


 ピリピリしていることには変わりないが、外出禁止になっているわけでもなく、通常通り日々の暮らしを営んでいるように見えた。


 まるで、ドラゴンが近づいてきているなんて、思いもよらないといったように。


 町をぐるりと囲む壁は人の背丈ほどの高さしかなく、町と外とを隔てるだけの機能しかない。乗り越えようと思えば簡単に乗り越えられる。


 今はその外側を憲兵が見回っていた。外を警戒しているように見せておいて、実質は住人が逃げ出さないように見張っているのだろう。


 だってここは、餌場えさばなのだから。ドラゴンに一時進行を止めてもらうために捧げる供物くもつ


「げぇっ、ごほっごほっ」


 胃液がせり上がってきて、馬車の外に嘔吐おうとした。


 リズが背中をさすってくれた。礼を言って見上げた顔は、血の気が失せて真っ青だった。


 子供たちが笑いながら駆けるのを見てまた吐いた。


 彼らとあまり歳が離れていないシャルムの顔は能面のように表情が抜け落ちていて、気持ちをうかがい知ることはできなかった。


 町を抜けている間に二台の馬車はいなくなり、町を出てしばらく西に向かった先の森のきわで俺達は下ろされた。


 そこにはエルマキアを連れた数人の憲兵が待機していた。


「この森の向こうにいるとのことです」


 御者を務めた魔術師は、それだけ告げて逃げるように馬車を駆って去っていった。


 志願であっても、怖いものは怖いのだろう。


 街道は森を迂回うかいするように左に大きく曲がっている。


 街道を外れて真っ直ぐ森を抜けた先はニム村。昨日シャルムが落ちたと言った村だ。


 吐き気がこみ上げてきたが、三度目はなんとかこらえた。


「反対側からの連絡によると、ドラゴンはまだ村から動いていないようです。森の中のルートは確保してあります。準備ができましたらこちらへどうぞ」


 憲兵の一人が、挨拶あいさつもなしに森へと入る道を示した。


「シャルム」

「わかっている」


 シャルムが低く呪文を唱え始めた。


 昨夜の打ち合わせ通りの補助魔術をかけていく。


 俺も兵士に気づかれぬように複合魔法陣を起動した。


 『広域持続障壁』『狭域持続障壁』『狭域持続障壁』『狭域持続障壁』『防御強化』『防御強化』『持続推進』『身体強化』『身体強化』『身体強化』『身体強化』『感覚強化』『遠視』『暗視』『持続跳躍』――。


 ありとあらゆる補助を限界までかけ、最後にしゅるっと七本の光環が左腕に巻き付いた。


 その後は持ち物の最終確認だ。


 邪魔な鞄や外套がいとうは憲兵に預けてしまう。


 最後に、指なし手袋をした手を握ったり開いたりして具合を確認した。


 剣のつかも何度か握り、手に馴染むのを確かめる。


「いけるな?」

「ああ」

「はい」


 リズと二人でシャルムにうなずいた。


 憲兵の一人に先導されて入った森の中は、とても静かだった。


 獣の気配どころか、鳥の鳴き声ひとつない。


 憲兵によるルート確保によるものなのか。


 それともドラゴンに恐れをなして逃げ出した後なのか。


 憲兵が手を軽く挙げたので、俺たちは足を止めた。


 風もない中、俺たちが静止してしまえば葉擦れの音すらしない。


 気のせいか、と憲兵が呟いたその時――


 ゴォォオアアァァォオォァァァッッ!


 ――耳が痛いほどの静寂を、轟音ごうおんが破った。


 さらに、ぱぁんっと圧縮された空気が弾けるような音がして、直後にボキボキッと木の幹が折れる音が続いた。


「逃げ――」


 振り向きざまに憲兵が叫びだすよりも前に、俺は右へ、シャルムを抱えたリズは左へ大きく跳んだ。


 反応が遅れた憲兵は、前方から突っ込んできた白い巨大な塊にまともに体当たりを食らい、そのまま引き潰された。


 硬質の塊は、憲兵だったモノを引きずりながら木々をなぎ倒し、少し進んだところで止まった。


 土煙の中で、影がむくりと動いた。


 長い物がにゅうっと伸び、土煙の上に顔を出した。


 ――ドラゴンだ。


 遠くから観察するだけのはずだったのに。


 いきなり会敵かよっ!


 光沢のある青白いうろこに覆われた顔がこちらを向き、鋭い双眸そうぼうが俺を射抜いた。


 ゾクリ――と腰から頭頂にかけて、冷たい何かがいのぼった。


 水の性質を持つドラゴン。


 水竜とも呼ばれ、北の外れ、国境ぎりぎりにあるココ湖に生息し、周りの動物を食い荒らそうとすることもなく、穏やかに過ごしていたはずだ。


 それがどうだ。この憎悪にまみれた瞳の色は。


 腰に左手を伸ばし、そこに装着してあるモノをつかむ。


 土煙が収まる前に、ドラゴンは巨躯きょくの向きを変えようと、再び土煙を巻き上げた。


 バキベキと太い幹が小枝のように折れていく。


 ドラゴンは表が細かいうろこで覆われた翼を広げようとしたが、木に当たってそれは叶わず、翼を畳んだ。引っかかった鱗が、樹皮を容易たやすく大きく削り取った。


 その動きが、三度みたび土を巻き上げる。


 ギィシャァアァ!


 ドラゴンは首を俺たちの方へ伸ばし、咆哮ほうこうを上げた。


 大きく開いた口には鋭い牙が二重に並び、布のようなものが挟まっていた。口の端から滴っている液体の赤さが、鱗の色によく映えた。


 直後、拳ほどの大きさの水の塊が顔の回りに時計回りに次々と現れた。


 来る――!

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