第38話 助手
隣の部屋には、パースの言った通り、インクを作るための器具と、上質な魔法陣用の紙が数種類、そして俺が使いそうな素材が一通り揃っていた。
貴重なものから高価なものまで。揃えるのは大変だっただろう。予定ではもっと先に使われるはずだっただろうに。
扉を閉めた俺は、扉を背に、またずるずるとしゃがみ込んでしまった。
――今もドラゴンは前進を続け、住民は食われ続けている。
嫌な言い方だ。パースは昔からこうだ。
俺はすぐには動けないのに。
描いてからじゃないと、動けないのに。
それをわかっていて、言う。
その間に食われる住民はどれだけいるんだ。
――くそっ。
なんで俺なんだ。
王都にはいるだろうが、もっとすげぇ魔術師がよ。
有名な剣士だっているだろ。
早く来いよ。
軍隊引き連れて、早く来てくれよ。
魔法陣なんて蹴散らして、さっさと討伐してくれよ。
一度奮い立った気持ちが、これから犠牲になるであろう命の数を考えると、一瞬で折れそうになる。
だめだ。
しっかりしろ。
今は俺しかいないんだ。
「よしっ」
顔を両手でパチンと叩き、勢いよく立ち上がった。
やることが決まったのなら、あとはやるしかないのだ。
シャルムとリズが来るまであと何日だ? 三日か? 二日か?
それまでに、何が何でも描き上げてやるさ。
必要な陣を紙に書き出した。
今持っているのとつき合わせ、使いまわしができないか調整していく。そのまま流用できるものもあるし、描き足せば使えるものもある。
描く量、結構あるな。
旅の出発時からしてちゃんと準備できてなかったもんなあ。
数台の机の上に置いてある素材を見渡す。
これだけ質のいい紙と、希少な素材があれば、大雑把に描いても動いてくれるだろう。ケチらずにでかく描いてやる。
素材の不足分を別の紙にリストアップ。
ドラゴンの血と、さっきパースに頼んだやつは、入手できるかわからないから後回し。
一通り書き終えた後、ドアがノックされた。
と同時に、扉が開く。
「どうだノト、できそうか?」
「パース、いきなり入ってくるな。見せられない物もあるってことくらい察しろ」
「悪い。次から気をつける。――で、どうだ、足りそうか?」
俺はパースに紙を手渡した。
「ここに書いてあるものを急いで集めてくれ。あと、魔力封入済みの魔石の欠片もいる。それと、インクの調合ができるやつを一人寄越してくれ。余計な知識を持ってなくて、調合の技術だけあるやつな」
「素材はなんとかなりそうだ。人手は……そうだな、たぶんなんとかなる」
「頼む」
「何日かかる?」
「三日……いや、二日で何とかする。シャルムが着いたら教えてくれ」
「特審官? 一緒に来たんじゃないのか?」
「逃げてきた」
「ノトらしいな」
くすりとパースが笑った。
「ノト、他にオレにできることはあるか?」
「自分で描かないとうまく……いや、特審官とその護衛の分を用意してもらっていいか。障壁と回復魔法の。特審官の分の障壁は面積と耐久度優先で、魔力量は無視。護衛の障壁は速度と耐久度優先で、持続時間は一瞬でいい。回復は回復量最大で、魔力はできるだけ節約。あと二人の魔石もいくつか
「人使いの荒いことで。局長そっくりだ」
「やめてくれ」
「じゃ、用意できたら持ってくる」
「頼んだ」
パースが部屋を出て扉を閉めたのを見届けて、背負い袋から道具を取り出した。
それを空いている机の上に丁寧に並べていく。ほとんど同じものが用意されていたが、道具は手に馴染んだものを使うに限る。
次に、机に両手で抱えられるくらいの器を置き、ナイフを取り上げて、手首にざっくりと傷を入れた。
ドバドバと
「失礼しま――」
突然扉が開き、金髪をくるくると縦ロールにした、薄緑色のドレス姿の女が顔を出した。
「――何をなさっているの!?」
「何って、血を……」
女は驚くほどの素早さでこちらに近寄り、腕をがっしりつかむと、移動しながら唱えていた回復魔術をかけた。
すると、ややゆっくりと傷口がふさがっていき、血が止まった。
「あ、どうも」
血は器の半分ほどしかたまっていない。
もう少し採りたかったところだけれど、まあいいか。
「どうも、じゃありませんわ! ご自分を傷つけるなど、何を考えておいでなの!?」
「えーっと……」
何をって、インクの調合に血を使いたかっただけなんだけど。
つーか……。
「誰ですか?」
「わたくしは、ソファーレン・ガーナッシュ。ソフィとお呼びになって。魔法陣師さまのお手伝いに参りました」
「ああそう」
「魔法陣師さまはどちらに?」
「目の前に」
何を言っているのかわからないという顔。
何かに思い当たり、はっとする顔。
そんなわけないとその考えを否定する顔。
誰も彼もが同じ顔をする。
「信じなくていいから手伝って。手伝えないなら出ていけ。邪魔だから」
さっき、隣で同じようなことを言われたな、と自嘲する。
「て、手伝えないなんてことは、なくってよ。わたくしこれでも、学園でトップの成績を修めておりますの。インクの調合くらい、できますわ」
学園ねえ……。
やるな、パース。
早い上にオーダー通りじゃねぇか。
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