第37話 奮起

「そんな甘ちゃんに何ができるとも思えないけどね」

「こいつの名は、ノト・ゴドール。オレたちが待っていた、一流の魔法陣師だ」


 パースの言葉を聞いて、今まで一度もこちらを見なかった五人がばっと顔を上げた。


「どう見たって剣士じゃないの。真っ黒な髪して」

「魔法陣師に魔力量は関係ないだろ。こいつの実力は局長のお墨付きだ。魔法陣を描くことに関しては研究班随一で、戦闘能力もある。ノトじゃなきゃ魔法陣を観察してこれない」

「パースがそういうなら……。でも、やる気がないならやっぱり邪魔なだけ。説得できないなら追い出して」


 女はテーブルに目を落とし、六人はまた議論を始めた。


「ノト」


 パースは俺の両腕をつかんだ。


「離せ。今すぐ住民を避難させないなら、俺は協力しない」

「ドラゴン討伐は女王陛下の勅命だぞ。局長の命令でもある。断るのか?」

「……っ。断るわけじゃ……。だいたい、ドラゴンになんでそんなに苦戦してるんだ。いくら強敵だからって、十分に準備すれば倒せるだろ。さっさと討伐しろよ」

「それができればやっているっ!」


 パースが叫んだ。


「全く歯が立たないんだ。先鋒隊はほぼ全滅した。そして何もわかっていない。何十年も大人しくしていたドラゴンが、なぜ急に移動を始めたのか。なぜ傷一つつけられないほどに強いのか。目撃者は魔法陣があったと言っているが、その構造も、それが影響しているかもわからない。真偽すらあやしい。要領を得ないんだ。それでも、今はそれしかヒントがない。魔法陣に知見のある誰かが、前線に行って、情報を持ち帰るしかない。なんでお前が選ばれたのか、理解したか?」

「ちょっと待ってくれ」


 情報が多すぎて、飲み込めない。


「ああ、少しくらいなら待ってやるよ。今もドラゴンは前進を続け、住民は食われ続けている。一刻も早く動かないといけない。だけど、ノトが到着するにはまだ二日はかかると思っていたからな。状況を理解して、考えを整理する時間くらいは待てる」


 パースは俺の目を強く見て腕を放し、六人の輪に加わった。


 俺は壁を背に、ずるずるとへたり込んだ。


 シャルムが家に来たのはたった数日前だ。その時にはドラゴンの異変はわかっていた。魔法陣があるらしいことも。


 だけど、緊急ではなかった。だから軍を動かし、万全の準備を整えて向かうはずだった。


 俺もゆっくり向かうはずだった。


 それがここ二、三日で急変した。


 たぶんパースはその前からバルディアで調査していた。急変の知らせを受けて王都から来たんじゃ、まだここにはいないはずだから。


 そして、同じく先に集まっていた人たちで先鋒隊を組織して、ドラゴンの元へ行くも、ほぼ全滅。


 今は、以西の住民を犠牲にして、バルディアへの到達を遅らせている状態。


 恐らくこのままだと、いずれこの街も時間稼ぎに使われるのだろう。住民は何も知らされないままに食われる。だからこその情報統制。


 俺は当初、魔法陣の知識を買われて調査隊に同行するだけのはずだったのに、戦闘能力まで必要とされる羽目になった。


 住民が襲われている間にできるだけ近づき、あるかも定かではない魔法陣の観察をして、襲われている住民を見捨てて戻る。


 ははっ。


 できるわけないだろ。そんなこと。


 手の甲で目元を覆い、うつむく。


 ――蹂躙じゅうりんされる人々。


 ――飛び散る血と、悲鳴。


 ――「逃げろ」と「助けて」という相反する叫び。


 ――燃え上がる家々。上がる火柱。吹き付けられる炎。舞い散る火の粉。


 ――強く引かれた跡が残る腕。石を踏み切れた足裏。転んで擦りむいた膝小僧。


 ――すべてが赤くて、目の前は真っ暗で、ガチガチと鳴る自分の歯がうるさかった。


「おいノト、大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」


 顔を上げると、心配そうにパースが覗き込んでいた。


「ああ。大丈夫だ。行くよ。準備をさせてくれ」


 パースはホッとした顔でうなずいた。


「段取りはこっちで詰めておく。必要そうな素材と器具は隣の部屋に揃えてあるから、好きなだけ使ってくれ。他に要る物があればできるだけ用意する」

「できればそのドラゴンの血が欲しい。それと――」


 俺はパースに耳打ちした。


「おまっ! ……わかったよ。探してみる」

「頼んだぞ」


 ドアを閉めるとき、制服の女が「あいつ本当に役に立つの?」と言っているのが聞こえた。


 役に立つかだって?


 俺を誰だと思ってるんだ。


 やってやるさ。


 全力をもって叩き潰してやる。

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