第12話 宿屋

「何やってるんですか」


 人垣の後ろで位置を変えながらしきりに背伸びを繰り返しているシャルムに、声をかけた。


「な、何でもないっ」


 ぎくりと面白いほどに肩をビクつかせてから、シャルムは早口で言った。


「何でもないことないですよね、っと」


 ひょいっとシャルムの脇の下に手を入れて持ち上げる。


「おまっ、何をする!」

「見たかったんじゃないんですか?」

「ちちちちがうっ、いいから降ろせ! どこを触っているっ。はなせ!」


 しまった。脇腹が弱い人だったか。


 ストンと降ろしてみれば、シャルムは若干涙目になっていた。


「二度とやるなよ! いいか、二度とだ! ……細い腕をしているくせに何なのだ。リズのような怪力ではないか」

「はあ、すみません」


 そこでリズと比べるのか。俺、一応、男なんだけど。


「そういえばリズは?」


 姿が見当たらない。


「宿に置いてきた」


 うぉい!


 護衛の意味!


「中心部だからって油断しないで下さい。今は流れ者も多いし、王都みたいにそこらじゅうに憲兵がいるってわけでもないんですよ」


 じゃらじゃらと装飾品をつけた銀髪の子どもなんて、さらってくれと言っているようなものじゃないか。


「その辺のやからに遅れは取らん」


 確かに今朝の魔術はすごかった。


 しかし俺からすれば、単独行動している時点で、魔術師としての実力などあってもなくても同じだ。魔術を信じ切っている分、たやすいくらいだ。


 まあでも、これは今日会ったばかりの俺が言うことではないんだろうな。今までもこうやって仕事をこなしてきたんだろうから。


 何かあって雇用主がいなくなっても、大元は協会からの依頼なわけで、報酬を受け取り損ねる心配はない。


 打ち切りになっても、俺はさっさと帰って魔法陣の仕事をすれば収入に影響は出ない。むしろ割り込みの仕事がなくなれば本職が楽になる。


 誘拐ゆうかいされてくれないかな、なんてよこしまな考えが浮かんだところで、シャルムが不満そうな顔で「ん」と入り口の方をあごで示した。


 開け放たれた扉の外、やや横に、ポニーテールと露出過多な背中が見えた。


 なんだ。


 ちゃんとリズもいるんじゃないか。


 だが少し様子がおかしい。傷だらけのプレートで身を固めた男たちに取り囲まれているようだ。


 その一人が、おもむろにリズの背中に腕を回したかと思うと、手を肩にかけて少し引き寄せた。


 うわ。


 もし俺がやったら、即座に右ストレートが顔面に飛んでくると思う。


 リズの顔は見えない。が、手が腰の剣のあたりをうろうろしながら握ったり開いたりを繰り返している。


 今にも抜いて斬りかかりそうだ。


 男が顔を近づけて、リズの耳元で何かを言った。リズの拳がぎゅっと握り込まれる。


 流血沙汰になる前に割って入るべきなのかもしれないと足を踏み出しかけたとき、リズの手がするりと男の腰に回った。


 おっと。


 予想に反し、リズは受け入れる派だったらしい。


 と思ったら、リズの指先が怪しくうごめき、男の腰にくくりつけてあった小袋をたくみに外すと、そのまま自分のヒップバッグに押し込んだ。


「え」


 俺は思わずシャルムの顔を見てしまった。


「い、いま――」


 今、特審官の目の前で、盗みが行われましたけど。


 見ましたよね? 見ちゃいましたよね?


 言いたいことはあるのだが、ぱくぱくと口が開くだけで声が出ない。


 しかし、ばっちり目撃したはずのシャルムは事も無げに言った。


「おさわり料だ。リズは安くない」


 いいんだ。


 ていうか、その顔で「おさわり料」とか言って欲しくなかった。

 

 リズが肩越しに振り返って、ニヤリと笑った。




 粗相をした男たちをリズが物陰でのし、リズのお小遣い稼ぎのおかげで夕食はたっぷりと食べることができた。もちろん酒は抜きだ。


 食べながら、俺がシャルムの代わりに確認した掲示版の内容を話し、今後の予定を聞いた。


 縞角蜥蜴タタナドンの討伐依頼ランク付け審査は、やはりシャルムの仕事だった。明日の午前に詳しい話を聞きに行き、午後審査に行くそうだ。


 順調に行けばここでの仕事はそれで終わりで、明後日の昼に次の街へ出発するらしい。


 その後の予定はまた教えてもらえなかったが、とにかく出発まで俺はフリーだ。


 仕事をしまくろうと心に誓った。さっさと片づけて早くこの不安定な状況から解放されたい。

 

 着いてすぐに二部屋押さえておいたという宿屋に行くと、宣言通りごくごく普通の宿屋だった。一階の壁と床がなく、装備の手入れや洗濯なんかができるようになっている、流れ者向けのタイプだ。


 三階の部屋だというのがやや贅沢ぜいたくかなとは思わなくもないが、二階はもう満室なのかもしれない。


「じゃあな、おやすみ」


 ふわぁあと大口を開けてあくびをするリズが先に部屋に入ったところで、俺はシャルムを呼び止めた。


「あの、お願いがあるのですが」

「なんだ?」

「一人部屋にしてもらえませんか」

「なぜそんなことを言う?」

「仕事に集中したいんです。ご迷惑なのはわかっているんですが、ちょっと、というか、かなり厳しい状況でありまして」

「もとよりそのつもりだが? 貴様、リズと寝るつもりだったのか?」

「え? いや、シャルムと同室なのかなと思って……」

「ノト、お前僕をそんな目で……」


 両腕でぎゅっと自分を抱きしめている様子は、まるで女の子だ。


「え? え?」


 ナニコレ。俺が間違ってんの? いや今までも二人は同室だったのか? 二人旅ならありえなくもないけど、でも今は俺がいるわけだし……。


「あの、シャルム、念のためお聞きしたいのですが……男ですよね?」

「当たり前だろ! 寝ぼけるほど眠いならさっさと寝ろ!」


 さっと顔を赤くして怒鳴ったあと、シャルムはごく自然にリズの部屋の扉を開け――。


「おいリズ! 着替えるならカギをかけておけといつも言ってるだろう!」


 ――扉の向こうに消えていった。


 着替えているなら、外で待つべきなのでは?


 …………深く追求するのはやめておこう。

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