第10話 隣町

 リズのうめき声がこだます馬車の中、目をつむってじっとしているシャルムの横で、俺は魔法陣の依頼一覧を眺めて頭を抱えていた。


 乗り心地のよさによる居心地の悪さという、何とも言いがたい奇妙な感覚はとっくになくなっていた。


 俺は、今後どうやって依頼を片づけるかという死活問題に直面していたのである。


 ここ一番の山場を越えたあとだったのは幸いだが、それでも毎日朝から晩まで描き続けてやっと終わるくらいの分量が残っている。


 揺れる馬車の中で描くのは不可能だ。だとすれば、宿屋にいる間にやるしかない。となれば昼間の移動中は寝て、夜中に描くのが最善か。


 しかし調合する時間もひねり出さなくてはならない。夜中に協会を開けて器具を貸せと言うわけにもいかないだろう。


 だいたい足りてない素材はどこで調達するんだ。そこそこ大きな街に寄れば買えるだろうか。いや、無理だ。この時期にアカダヨの種が手に入るとは思えない。あらかじめ注文していなければまず置いていない。


 もしやこれはんだのでは?


 いや、隣におわすは天下の特別審査官様。その権力でなんとかならないものか……。


 あとで相談してみよう。と、一覧を背負い袋にしまおうとしたその時、あってはならないはずの物が目に入った。


 油紙の包みが二つ。一つは仕事用の紙が入っている。


 もう一つは、もう一つは――。

 

 丁寧に丁寧に包み、封までしてあるそれは――。


 協会に置いてくるの忘れたーっ!!


 サーシャが告白だのなんだの変なことを言うからっ! 依頼の品出さずに持って来ちゃったじゃないか!


 ああああ、どうしようどうしよう。


 殺される。殺される……!


「シャルム、ここで降ろして下さいっ! 協会で出すはずの荷物を持ってきてしまって! 夕方までに出さないと定期便が出てしまうんです。必ず、必ず追いつきますからっ!」

「何を慌てている。もう着くから、定期便ならそこで出せばいい」


 大慌ての俺をよそに、シャルムは目を開けてめんどくさそうに言った。


 ついさっき町を出たばかりだぞ? 護衛たちに合わせてちんたらと徒歩の速度で移動してきたのに、そんなすぐに目的地に着くわけ……。


 バッと窓から顔を出して前方を見れば、街道の先に城壁が見えた。塀くらいの高さの町の壁とは違い、大人の背丈の倍はある立派な壁だ。街道はその一角にある街門へと続いている。


「って、アルトじゃねーか!」

「叫ぶな。うるさい」

「だってですね、こんな豪勢な馬車に乗ってですよ、最初の目的地がすぐ隣の街だなんて、思わないですよ普通。歩いて来られるじゃないですか」

「あそこの協会に押しつけられたんだ」


 特審官の馬車ではなかったらしい。


 うちのような小さな町にこんな馬車があるはずがない。一体どこから持ってきたんだ。


「おい、ここでいい。止めろ」


 シャルムが外へ一声かけると、馬車はぴたりと止まった。


 すかさずシャルムがひらりと降りる。


 護衛の一人が、街まで送れと言われていると困り顔で訴えたが、シャルムは聞く耳を持たず、いいから帰れの一点張りだ。


「二人もさっさと降りてこい」

「ええ……?」


 なぜこんなところで? 街に行くのではないのか?


 困惑しながらも、動きたがらないリズをなんとか引きずり降ろす。


「支部長には無事に送り届けたと言えばいい」


 その言葉で、男たちはしぶしぶ去っていった。背中がしょんぼりしているのは気のせいだろうか。


「ノト、リズをこっちへ」

 

 言われて振り返ると、シャルムの真っ白なローブは、濃い緑色の使い古されたローブに変わっていた。


「へ? ローブは?」

「着替えた。目立たなくていいだろう」


 いつの間に。


「ではもしかして、街に入る前に馬車から降りたのも?」

「あんなギラギラした馬車で門に乗り付けてみろ。面倒事が山ほど降ってくる。普通に見えるのが一番だ」


 あなたの髪はキラキラ輝きすぎていて、とても普通には見えませんが。


「ノト、いつまでリズを抱きしめているつもりだ。早く寄越せ」

「だ、抱きしめてなんてっ」


 シャルムが腕を広げて待っていたので、慌ててリズの体を預けた。両腕がシャルムの首に絡みつくも、シャルムの身長が足りず、リズの膝がガクンと落ちる。


「気持ちわりぃ……」

「自業自得だ」


 シャルムがリズの後頭部に手を回し、おでこを合わせて何事かを呟いた。リズのポニーテールの先がふわりとわずかに揺れた。


 魔術だ。


 陣ならどう描いたらいいだろう。毒消しに似た構成がよいだろうか。覚醒に似せた方がいいだろうか。


 つい考えてしまう。


「さんきゅー」


 ぐにゃぐにゃしていて自力ではとても立てなかったリズが、ふらふらしながらも立ち上がり、シャルムから身を離した。


「もっと早く使ってあげればよかったのでは?」

「甘やかすといつまでも学習しない。少しはりた方がいい」


 さいですか。


「行くぞ。リズ、自分で歩け」

「おー」

「あれ、荷物はそれだけですか? もしかして馬車に置き忘れたんじゃ」


 リズは最初に会ったときのヒップバッグ、シャルムも最初の肩掛け鞄しか持っていない。


「バカ言え。一々大きな荷物を運んでいられるか。ノトだって同じようなものだろう。まさか僕たちの荷物をあてにしていたわけではあるまいな? こんな贅沢ぜいたくはこれっきりだ。宿屋も食事も期待するなよ」


 そうはいっても、相手は特審官なのだ。期待するなと言っておいて、街一番の高級宿に泊まらないとも限らない。


 驚きすぎないように心の準備はしておこう。


「急がなくていいのか? 間に合わなくなるぞ」

「あっ!」


 定期便!


「先行きますね! ええと……」


 どこで待ち合わせればいいんだ?


「協会に寄る」

「わかりました! では後ほど協会で!」

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