第9話 出立

 中心部まで戻る間、リズは一言も口を開かなかった。腕を組んでずっと難しい顔をしていた。


 早開きの酒場に入り、店員が来ても何も言わないので、勝手に頼んだ。もちろん料理だけだ。昼時はとっくに過ぎたとはいえ、まだ日は明るい。


 料理が運ばれて来たとき、ようやくリズが口を開いたかと思えば、出てきたのは盛大なため息だった。


「はああぁぁぁぁぁぁ」


 おい。運んできた店員が不安そうな顔をしてるじゃないか。まぎらわしいことをするな。


 運んできた兄ちゃんに、料理に不満があるわけじゃないから気にすんな、と視線で伝える。


「なあ、ノト。聞きてぇことが二つある」

「何です?」


 手をつけようとしないリズに構わず、俺はスープに口をつけた。


 うん、美味い。


「あのガキどもだけでお前の家まで行けんのか」

「大丈夫ですよ」

「あの道に加護はねぇだろ」

「そこはまぁ、魔法陣師の家ですし」


 その言葉だけで、リズは察してくれた。


 リズたちも、森の中でけものに遭遇することはなかったはずだ。


「もう一つは何ですか」

「あいつらはなんだ? なんでんなとこにガキだけでいんだよ」

「あの子たちには親がいないんです。それを年かさの子が集めて助け合って生きています。俺は時々仕事を手伝ってもらっています。……その肉炒め、美味しいですよ」

疫病えきびょうか?」

「らしいですね。俺はまだこの町にはいなかったので詳しくは知りませんが」


 リズが一向に食べようとしないので、肉炒めの皿を引き寄せた。冷めると味が落ちる。


「にしたってなんで誰も助けねぇんだ? 領主は?」

「それこそ俺にはわかりませんよ」


 そんな雲の上のお方の考えている事なんて、わかるわけない。


 俺だって私財を投げ打ってまでしてあの子たち全員を養おうという気はないのだ。他者を正論で責めることはできない。


「チッ」


 舌打ちをしたっきり、リズは黙りこくってしまった。


 俺は食事を続けた。


 朝はパンしか食べていない。旅に出ればどうしたって食事の質は下がる。食べられるときに食べておかなければもったいない。


 角牛トラティットの塩焼きはやっぱり美味いな。他の牛とは段違いだ。高いけど頼んでよかった。


 決めた。戻ったらまた狩りに行こう。今度はちゃんと協会を通して堂々と。


「んあああぁぁぁぁっっ!!」


 突然リズが頭をかきむしりながらわめいた。


 まだあまり客の入っていない店内が、ぎょっとどよめいた。


「酒だ! 酒持ってこい!」


 リズはぐちゃぐちゃになった髪を縛り直した。


 俺にはそれが、戦いに臨む前の儀式のように見えた。




「おい、これはどういうことだ?」

「シャルぅ遅ぇよぉ」


 伝言を聞いた特審官が酒場に来た頃には、リズは完全に出来上がっていた。


「俺は何度か止めたんですよ」

「止まっていなければ止めたことにはならない」


 眉間をもむ特審官にため息をつかれた。


 今日はため息の特売日のようだ。


「準備は終わったのか?」

「あとは協会に顔を出すだけです」

「これだろ、預かってきた」


 渡されたのは、中くらいの袋と、小さな袋。


 その袋からは、金属が触れ合う音がする。


 こ、これはまさか……。


 そっと袋の口からのぞいて確認すれば、予想は大当たりだったわけで。


 サーシャっ! いくら特審官だからって、こんな大金を他人に預けるなよっ!


 その袋の中には、素材と精製に使う金属の棒の買い取り代金の約半分、全財産の四分の一に相当する装飾品が入っていた。


「あ、ありがとうございました……」


 悪いのは特審官ではないと思いつつも、顔が引きつってしまう。


「出発だ。表に馬車を止めてある。リズを連れて行け」

「あ、料金を……」

「払っておく」


 元々はおごるつもりだったが、雇い主様が出してくれるなら素直に受け取ろう。


 こんな大金が無事に手元に届いたことを思えば、ここにいる客全員分をおごってもいいくらいの気持ちだけど。


「ごちそうさまです、特審官さま」

「なんだと?」


 特審官ににらまれた。


 おごりと思ったのは勘違いか!


「あ、いえ、もちろん自分で払いますよ!」

「金のことではない。僕を特審官と呼ぶな。面倒が増える。名前で呼べ」

「えーっと、シャル……さん?」

「あぁ?」

「シャル様っ!?」

「違う。僕の名前はシャルムだ。シャルムと呼べ。呼び捨てでいい」

「かしこまりましたっ! シャルムさ……シャルム」


 リズがシャルと呼ぶから忘れていたが、そういえば最初にシャルムと名乗っていたっけ。


「さっさと行け。思ったより時間を取られた」


 せっつかれ、酒臭いリズの腕を肩に回して持ち上げた。


「ぉい、ノトどこさわってんら」

「どこも触ってませんよ。しっかりしてください」


 店員に美味しかったと伝えて店を出た所で、俺はぽかんと立ち尽くしてしまった。


 こんな豪華絢爛けんらんな馬車で移動するのか……?


 こういう馬車に乗ったことがないとは言わない。言わないが、金銀魔石でごてごてと飾られた馬車で旅をするか!?

 

 新品かと疑いたくなるほどきれいな絨毯じゅうたんを踏みつけて乗り込んだ。リズを引っ張り上げて座席に寝かせ、荷物を床に下ろして、向かいに座った。


 その座り心地の良さに改めて困惑する。


 武装した男たちが馬車を取り囲んだ。馬車をまもる護衛達だった。


 こんなの、俺の知ってる旅とは違う。


「おい、ノト、つめろ」


 遅れてシャルムが乗り込むと、馬車はじりじりと進み始めた。


 


 こうして、魔力のない魔術師と、少女に見える少年特審官と、美人だけど目つきと口の悪い護衛の、ドラゴン討伐への旅が始まったのである。


「気持ちわりぃ……うっぷ」


 前途多難だ。


 リズの嗚咽おえつを聞きながら、ついに俺もため息をついてしまった。


 はぁ。

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