第四章:失ったモノはあれど《ロストハウエヴァー》

失ったモノはあれど①


 火の海。


 紅蓮の炎と黒煙が『オフィール』を飲み込んでいた。初めは上層と中層の境で転生体が暴れる程度だったが、時間が立つにつれて火の手が中層を覆い、今では下層まで被害が及んでいる。


 人間を恨む転生体もそうだが、輪をかけて拍車をかけているのは覚醒体だった。


 怨嗟の感情赴くまま神の力を振るった転生体は神名の侵食を受けてたちまち覚醒体へと変貌してしまった。


 宿主の身体を乗っ取った神が人間を襲い、それを阻止せんとやむなく宿主の肉体を奪った神が立ちはだかる。


 友好覚醒体と敵性覚醒体とで繰り広げられる熾烈な戦い。未熟な転生体が振るうモノとは比較にならない力が都市全体で荒れ狂い、戦渦を瞬く間に拡大させていった。


 その早さはアルフェリカ一人で対処できる限界をすでに超えている。


 だからといって役割を放棄するつもりはない。


 アルフェリカの存在に気づいた敵性覚醒体に追い回されながら、『オフィール』を駆け巡る。



「余の邪魔をするな人間!」


「っ! うるさいわね!」



 【白銀の断罪弓刃】パルティラが閃き、襲いかかってきた敵性覚醒体の首をねた。


 これで六人の敵性覚醒体を斬って捨てた。〝断罪の女神〟の力は原罪を背負う人間にとってまさに天敵。いくら神といえど人間に宿る以上は裁きの刃から逃れることはできない。


 自分が〝断罪の女神〟の転生体でなければ良くて二人を倒して力尽きていただろう。



「まさか転生体に生まれたことを感謝する日が来るなんて……ねっ!」



 出会い頭に人間を襲っていた敵性覚醒体を斬る。すれ違いざまだったため致命傷には至らなかったが、その隙をついて別の覚醒体が止めを刺してくれた。


 人間を守っていたなら構う必要はない。互いに一瞥をくれて、次の敵性覚醒体を斬るべくアルフェリカは駆け抜ける。


 炎、黒煙、土埃、瓦礫、血、悲鳴、死体、転生体や覚醒体から逃げ惑う人々。都市の光景はそんなものばかり。趣のあった石の景観は見る影もなく戦禍の爪痕が刻まれていく。


 姿の見えない子を探す母、家族を守ろうとその身を盾にする父、泣きながら親を呼ぶ子供、怪我をした互いを支え合う友。


 都市の人間たちの顔に浮かんでいるのは等しく絶望と恐怖。


 それを見たアルフェリカは焦燥に駆られていた。


 ――殺してしまった人よりもより多くの人を救う。もう涙を流す人がいなくなるように。もう傷つく人がいなくなるように。


 これは輝の信念。そのために人間と転生体の共存を目指し、抑圧される弱者を救うべく首輪から解放した。


 正直、自分たちを虐げてきた人間まで守ろうとするのはアルフェリカには理解できない。


 しかし自分は任されたのだ。無秩序に力を振り撒く者から無関係な人々を守るようにと。


 だが現実はどうだ。争いは苛烈さを増していくばかり。いまこの瞬間も死が量産されて涙を流す者が大勢いる。


 居場所を与えてくれた彼の願いに応えられない自分が悔しかった。


 故に刃を振るう。斬って斬って斬って斬って。輝の理想の邪魔になる存在の尽くを斬り捨てる。反撃を受けて血を流しても足は止めない。一つでも多くの敵を葬る。


 撥ねた首が二○を超えたあたりから数えるのをやめた。


 もっと早く。もっと鋭く。戦闘なんてしている暇はない。見敵必殺。敵を見つけたのなら確実に首を撥ねろ。数などどうでもいい。


 下層に入ると人間の数が劇的に増加した。大勢が都市の外へ逃げようと門に殺到している。


 ここを覚醒体が襲えばさらに甚大な被害が出るだろう。



「言ってるそばからっ」



 罪の匂いを感じ取り、建物の屋根を伝って一直線にその場所へと急行した。その先からは耳をつんざくような悲鳴が聞こえてくる。



「皆さんは逃げてください! ここは私たち『鋼の戦乙女』アイゼンリッターが時間を稼ぎます!」



 悲鳴に混じって聞き覚えのある声が聞こえてきた。確かセリカといったか。


 目を凝らして遠視してみれば荒れ果てた市場で住民を守るように鎧を纏った女性たちが剣を構えていた。オフィールに来る前に出会ったセリカ、レーネ、イリス。そのほかにも七名の騎士たちがいる。


 切っ先が向けられているのは全身を刻印に覆われている少女の覚醒体。


 覚醒体が腕を振ると光弾が乱射された。『鋼の戦乙女』アイゼンリッターたちは障壁を展開して避難する住民の背中を守るが、高威力の弾雨に障壁を貫かれて吹き飛ばされてしまう。


 幸い住民を含めて死者はいないようだが、身を盾にしてまで住民を守ったイリスたちは決して小さくない損害を受けた。すでに鎧は砕け、剣を杖にして立ち上がる始末。次はない。


 アルフェリカは覚醒体へ矢をつるべ打った。牽制になればそれで十分。同時に放った四本の矢が覚醒体を掠め、その動きを阻害した。


 アルフェリカに気づいた覚醒体が光弾を放つ。即座に双剣に持ち替えて光弾を叩き落としながら肉薄。その心臓部に刃を突き立てる。


 死に際に何か呪詛を吐かれたが知ったことではない。【白銀の断罪弓刃】パルティラを引き抜いて魔力素マナの霧に還る様を見届けることなく、イリスたちに歩み寄った。



「アルフェリカ様!?」


「そんな大きな声を出さなくても聞こえるわよ。それより大丈夫? 結構痛そうだけど」


「これくらい……痛たた」


「あまり無茶をしないことね。策もなく覚醒体と戦えば最悪即死よ? 輝に救われた命なんだから大切にしなさい。だいたい『王室警備隊』にやられた傷だってあるんだから」


「そういうわけにもいきません。私たちは騎士です。住民を守る責務があります」



 地面に突き立てた剣を支えにしながらもイリスは毅然としていた。騎士としての誇りによるものか、その意思の強さは素直に感心する。



「レイちゃんと博士はっ!?」


「いま輝が助けにいってるわ。レイもティアノラも、その他の人間たちも含めて、ね」



 それが意味することを知ったイリスは、まるで非難するような目つきでアルフェリカを見上げた。



「これは、輝様の仕業なのですか……?」


「違うわ。こうなったのはこの都市が腐りきってたからよ。輝はただ自由を奪われた奴隷を解放しただけ」


「それじゃあこれは輝様のせいじゃないですか!?」



 怒りを滲ませた声を張り上げてイリスはアルフェリカに掴みかかった。



「奴隷にされた人たちはこの都市を恨んでいます! そんな人たちを解放したら復讐のために力を振るうに決まっているじゃないですか! そのせいで大勢の人たちが死んでしまったんですよ!?」


「ええ、そうね。でもそれは因果応報じゃないの?」


「そんなわけ、そんなわけありません! 犠牲になったのは何の関係もない人たちばかりですよ!? 本当に腐りきっているのは上の連中で、ここに住む人はみんな善良な人です! 奴隷にされた転生体を苦しめていたのはほんの一部の人なのに、彼らが報いを受けなければいけないはずがありません!」


「これはあたしの個人的な意見なんだけど、果たしてそうなのかしら」


「どういう――っ!?」



 アルフェリカの視線を追ったイリスは声を失った。


 皆のアルフェリカを見る目。それが恐怖と憎悪に満ちていた。誰も声こそ上げないが剥き出しの敵意が覚醒体であるアルフェリカに注がれている。



「人間は転生体というだけであたしたちを憎み恐れる。転生体だと知らなければ友人として接してくれるけど、知った途端に敵意を向けるわ。あたしはそれを何度も経験して世界がそういうものだって身をもって知った。あたしたちを受け入れてくれる人間は確かにいるけど、それでも全体から見ればほんの一握り。人間が転生体に傷つけられれば誰かが助けてくれるけど、転生体が人間に傷つけられても誰も助けてくれない」



 それを嘆いたことは数知れない。だから転生体は神の力に頼るしかないのだ。



「一人の人間と十人の転生体。どちらかしか選べないとき、必ず十人の転生体が切り捨てられるの。この意味がわかる? あたしたちの命ってね、人間の十分の一ほどの価値もないのよ?」


「そんな、はず……」


「いまこのとき人間を守っている覚醒体もいるわ。キミたちの味方をする友好覚醒体よ。その友好覚醒体が窮地に陥っていたとき、キミたちはその覚醒体を助けるために何かしてあげられるのかしら?」



 睨みつけてくる人間たちにアルフェリカは問う。その問いに返される答えはなく、彼女から目を逸らす者ばかりだった。


 結局これが人間の答えなのだ。



「輝は切り捨てられた十人を助けようとしている。もちろん人間も助けるわ。だって彼の目的は転生体も幸せになれる世界だもの。そのために輝は命を懸けて革命に挑む……っ!」


「きゃっ!?」



 突然アルフェリカに突き飛ばされてイリスは尻餅をついた。


 直前までイリスが立っていた場所に戦鎚が振り下ろされて石畳が粉砕される。あのまま立っていれば二人仲良くトマトになっていただろう。


 戦鎚を振り下ろしてきた者は全身が神名に覆われた覚醒体。この戦鎚は『神装宝具』か。



「話の邪魔をしないで」



 首を落とそうと無造作に【白銀の断罪弓刃】パルティラを振るう。寸前のところで身を引いた覚醒体は紙一重で回避を成功させてきた。


 覚醒体は大きく後退し、狙いをアルフェリカから立ち尽くしていた住民たちに切り替えた。跳躍の勢いと魔力を乗せた戦鎚を振りかぶる。


 住民たちは恐慌状態に陥り我先にと逃げようとするがもう遅い。覚醒体の身体能力から逃げられるはずがない。


 しかし〝断罪の女神〟に背を向けるなど愚の骨頂。


 一息に放たれた三本の矢が覚醒体の頭を粉砕した。脳漿や骨肉が飛び散る。頭部を失った身体は跳躍の勢いそのままに墜落し、魔力素マナとなって崩れて消えた。



「人間は転生体の恨みを育てすぎた。転生体の恨みが人間に向くのは当たり前よ」


「だからと言って憎しみのまま復讐すれば、新しい憎しみを生むだけじゃないですか」



 我に返ったイリスは食い下がった。



「だから憎しみの連鎖を生まないよう人間を許しなさいって? はあ……よく聞く常套句ね」



 大きなため息をついた。そこには失望が混じっている。同じく転生体であるレイを大切に思っているイリスなら少しは理解してくれると期待していたのだが。



「逆の立場で考えてみてよ。転生体に大切なものを奪われた。家族も、未来も、希望も、何もかも。それでキミたちは転生体を許せるの? 転生体を憎んでも新しい憎しみの種が撒かれてしまうから、悲しみも痛みも飲み込んで転生体たちを許しましょうって? 恐怖心から転生体を拒むキミたちが本当にそんなことできるの?」


「そ、れは……」


「できないでしょ? なのにキミたちはそれを強制するの? 虐げてきた側が虐げられてきた側に、復讐の連鎖を断つために憎しみを我慢してくださいって――いったい何様のつもり?」



 イリスは何かを言おうとして口を開きかけるが反論の言葉は出てこない。他の者たちも何も言えないでいた。都市全体が戦場となっているこの状況で、この場所だけが重い沈黙に支配されていた。



「それでもあたしは我慢してあげる。そしてキミたちを守ってあげる。キミたちを傷つける転生体から。キミたちを襲う覚醒体から。それが輝の夢に繋がるから」



 遠方からまた覚醒体が姿を現した。こちらを攻撃してくる気配はない。どうやら敵性覚醒体ではないようだ。



「ここは……どうやら無事なようだな」


「ええ、悪いけどここは任せてもいい? ここにいる人間を無事に逃がしてあげて」


「お主は、我を恐れぬのか?」


「恐れて欲しいの?」


「いや、対等に接してくれる人間は貴重だ。あいわかった。お主の頼み、確かに請け負った」


「頼んだわ。あたしは他の敵性覚醒体を斬ってくる」



 名も知らぬ神にこの場を任せることにし、アルフェリカは他の戦場へ赴こうと背を向けた。



「アルフェリカ様!」



 その背中をイリスが呼び止める。しかしその先の言葉が出てくることはなかった。


 だからアルフェリカは、せめてもの願いを口にする。



「あたしは、輝の夢が叶って転生体にも優しい世界になればいいなって思ってる。だから人間への恨みも我慢する。だからキミたちも綺麗事を言うだけじゃなくて行動で示してよ。あたしたちに変わることを求めるばかりじゃなくて、キミたち自身も変わってよ。あたしが転生体のお手本になるから、キミたちが人間のお手本になって」



 答えを求めたわけではない。


 願いだけを告げて、アルフェリカは駆け出した。

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