一歩、前へ⑥
「黒神さん!」
自分でも驚くほど大きな声で輝を呼んでいた。輝の周囲にいる転生体たちも必死に輝に呼びかけている。しかし彼は反応を見せない。立ち上がるどころか身動ぎ一つしない。
死んでいるようにしか見えなかった。
頬を何かが伝っていく。それが涙だと気づくのに視界が滲むまで気づかなかった。
彼は今までの人生の中で一番自分を対等な人間として見てくれた男性。
彼に出会うまで男という生物がどうしようもなく怖かった。暴力を振るわれ、尊厳を踏みにじられ、与えられるのは恐怖ばかり。自分は男にとって欲望を吐き出すためだけの道具で、事実そのように扱われてきた。
今でも怖いことに変わりないけど、それでも彼のおかげで一歩を踏み出すことができた。
克服できるようになると思った。頑張れば自分の身くらいは守れるようになると思えた。
そう思えるようになれたのは間違いなく彼のおかげだと思っている。
自分に対等に接してくれる人。乱暴しない人。気遣ってくれる人。他の誰かのためにも動くことができて、迫害されている転生体にも寄り添える優しい人。
恩を受けるばかりでまだ何も返せていない。
自分は何もしていない。
「よくも今まで俺たちをっ!」
引き金が引かれるよりも早くロギーヌの命令が飛ぶ。
「警備隊っ。奴隷どもを斬れ!」
控えていた『王室警備隊』の騎士たちは銃弾からロギーヌとアレグラを守るために盾の防壁を築き、残った騎士が奴隷たちを取り押さえようと剣を抜いた。
誰かが発砲したのを皮切りに銃声が怒涛のように鳴り響く。騎士は盾や鎧で銃弾を弾きながら奴隷たちを次々と切り捨てていった。瞬く間に銃声は悲鳴へと変わり、残ったのは切り捨てられた者の呻き声と硝煙の匂いだけ。
『王室警備隊』と奴隷では練度が違う。剣に銃で挑んだにも関わらず、奴隷たちは一矢報いることすらできない。『王室警備隊』は全員が無傷なのに対して奴隷たちは尽くが血に沈む。
力なき者が何をしたところで強者に蹂躙されるだけ。今まさに眼下でそれが立証された。
それを見ただけで心が折れそうになる。
奴隷から狙撃銃を奪った『王室警備隊』が結界の外から転生体たちを射殺していた。転生体といえど、戦闘経験があまりにも乏しい者たち。障壁を展開できる者以外は次々と斃れていく。
輝だけは何としても守ろうというのか、少女が覆い被さって自らの身を盾にしていた。
(このままじゃあ、全員死んじゃうかもねぇ? あの転生体たちも、あの男も)
レイを通して同じ光景を見ているエルキスティが囁いた。
転生体たちは次々と倒れていき、障壁を展開できる者たちも背後から撃たれて崩れ落ちる。輝に覆い被さる少女も背中を撃たれて血を流している。
エルキスティの言う通り、このままではあの人が死んでしまう。
(貴女ならぁ、なんとかできるかもよぉ?)
無理。即座にその単語が頭に浮かんだ。そんなこと自分にできるわけがない。
(そぉかしらぁ? 貴女は
エルキスティの言っていることは全て間違っていない。
この場で唯一自由に力を振るえる転生体。その自分が力を振るえばきっともう誰も死なさずに済む。博士も輝も助けられるかもしれない。
だけど怖い。どうしようもなく怖い。
力を振るうとはつまり、血の流れる戦場に一人で立つということ。大勢の敵に囲まれて恐怖の象徴が集まるあの真ん中にたった一人で。
考えただけで震えが止まらない。
(別にこのままでもぉ、時間が解決してくれると思うけどねぇ? そのうちあの銀髪の娘がやってくるでしょうしぃ、倒れてる彼を見ればぁ、きっと怒り狂って皆殺しにしてくれるわぁ)
確かに彼女ならはそうするだろう。自分じゃなくても彼女がみんなを助けてくれる。
(でもぉ、それまで彼が無事かどうかはわからないけどねぇ。時間が経つほど危ないかも知れないしぃ、運悪く流れ弾が当たっちゃうかも? どっちにしてもぉ、まだ生きてたらの話だけどねぇ)
輝が生きているかどうかレイの位置からはわからない。しかし必死に守られているところをみると、彼はきっとまだ生きているのだと思う。
(どぉするぅ?)
選択を委ねられる。エルキスティもそうだ。ティアノラや輝と同じように答えまでは示してくれない。いくつもある道を示してくれても決して目的地に連れて行ってはくれない。
とても厳しい。
守ってもらうだけの自分が嫌いだ。怯えるだけの自分が嫌いだ。もらった恩すら返せない自分が嫌いだ。何もできない自分が嫌いだ。
ティアノラ、イリス、
ティアノラに焚きつけられて、元気一杯のイリスがやんちゃして、セリカやレーネに怒られて、みんなで笑う。そのあともイリスが輝に突っかかって、気を悪くしたアルフェリカに頬をつねられて、イリスは泣いて謝って、輝が苦笑しながらアルフェリカを止めるのだ。
大切な時間を思い描いて、そこに輝がいたことに気がついた。
嗚呼、どうやら自分は安らぎの中に彼もいてほしいと思っているらしい。
それだけで決心はついた。
(やっぱりぃ、あの男が気になってるんだぁ? 貴女が男に興味を持つなんてねぇ? どうするの? なにするの? おもしろそぉだからぁ、私も協力してあげるわよぉ?)
「では、貴女の力を貸してください」
(そんなことぉ? 私の力は貴女の力。最初から好きに使っていいんだよぉ? うーん、でもそぉすると私はすることないなぁ。協力するって言った手前、立つ瀬がなくなっちゃう)
悩んでいるような雰囲気が伝わってくる。いまエルキスティに身体があったなら、顎に指を当てて思案していることだろう。
(それならぁ、貴女が挫けそうになったときに応援してあげる。貴女が成熟してたら代わりに戦ってあげることもできたんだけどねぇ? まだできないからしかたないわねぇ)
「これは私の身体です。汚れきってしまっていますが、それでも私のものなんです。貴女には渡しません」
(それはそぉよぉ。貴女の身体は貴女のもの。どぉ使おうが貴女の勝手だもの。とぉっくの昔に死んじゃった私がぁ、誰かの身体を使うなんてあっちゃいけないわぁ)
「…………?」
(私はエルキスティ。愛欲と悦楽を司る美の神よぉ。それは生きとし生けるもの誰もが享受できるモノ。死者が得られるものではなく生者にこそ与えられるもの。すでに死んでる私はぁ、愛欲に満たされる者を見て微笑むだけよぉ。だからぁ――)
蠱惑的な波動が伝わってきた。同性すらも惑わす微笑みが脳裏に浮かんだ気がした。
(あの男を愛するのも、愛してもらうのも、全ては貴女次第。今までがそうだったよぉに。これからもそぉよぉ)
胸につかえていたものがストンと腹に落ちたような気がした。
男性に乱暴されるようになってどんなに助けを願っても、一番近くにいたはずのエルキスティは面白おかしく笑うだけだった。
嗤っているのだと思っていた。抵抗できずされるがままの、自分の痴態を嘲笑っているのだと思っていた。
けれど違うのだ。エルキスティはただ見守っていただけ。手を差し伸べることはなかったけれど、悪意を持って自分を貶めることもなかった。身体に刻まれた神名も表れているのは核の部分だけ。
エルキスティは本当に何もしていない。良いことも、悪いことも、何も。
いつかエルキスティが言っていたことを思い出す。
『貴女は今、愛を受け入れている。拒絶することもできるのに受け取ってるんだよぉ? 初めての時から今宵に到るまで。一度も拒まず、受け入れ続けた。私が教えるまでもなく、貴女はもうずっと前からそうすることを選んでいたんだよぉ?』
彼女流に言うのなら受け入れてきたのは全て自分の選択。
意志を示さなかったら勝手な愛を押しつけられ、拒む勇気がなかったから求められるがままの方法で返礼する羽目になった。
「そういう、ことですか」
選択の権利は常に自分にあった。しかし勇気がないばかりにいつもその権利を放棄していた。放棄されたそれを相手が拾い上げ、選ばれた選択に身を委ねていただけ。
足りなかったのは自分で何かを決める勇気。
もしいま振り絞らなければどうなるか。きっと望んだ日々は手に入らない。
怖い。とんでもなく怖い。けれどこのまま訪れる未来の方が何倍も恐ろしい。
「エルキスティ、力を貸してくれますか?」
(それをぉ、貴女が望むなら)
内なる神は即答した。
「では、一緒に行きましょう」
二つの
なけなしの勇気を絞り出し、レイ=クロークは大きな一歩を踏み出した。
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