一歩、前へ⑤


 天井に届くほどの巨大な扉を開き、輝たちは王の間に突入した。


 首輪をつけられた奴隷たち、華美な装飾が施された甲冑の騎士たち、その奥にはアレグラの姿もあった。隣の王座に腰掛ける男はこの都市の王だろう。


 数にしておよそ五十人。騎士は十四人。王とアレグラの二人を除いた残りは奴隷たち。



「……ロギーヌ=レドアルコン」



 転生体の誰かが怨嗟を漏らした。王の姿を捉えた転生体たちが憎しみを湧き上がらせて神名を輝かせる。



「やってくれたな」



 ロギーヌからも憤怒に満ちた低い声が響いた。



「お前がオフィールの王か」


「如何にも。下賤の輩め。よくも我が国を荒らしてくれたものだ。この罪は重いぞ」


「そんなことはどうでもいい」



 性根の腐った人間と罪について話し合う気などない。聞きたいことはただ一つ。



「レイとティアノラはどうした?」


 二人の姿がここにはない。別の場所にいるのか。それとも――


 ニィィ、とアレグラが気味の悪い笑いを浮かべた。



「安心しろよ。二人ともちゃんと生きてるぜ。そら、上を見てみな」



 余裕を見せるアレグラを怪訝に思いながら、言われるがまま天井を見上げる。


 吊るされている二人の姿がそこにあった。


 ティアノラは額から血を流して気を失っている。


 レイは顔を青ざめさせながら震えている。


 二人の首にはあの首輪が装着されていた。


 加えて、裸同然のレイの姿は彼女がどのような目に遭ったのかを如実に物語っていた。


 腹の底が煮え滾る。



「お前ら……」


「んな怖ぇ顔すんなよ。レイにゃまだ手ェ出してねぇよ。これからってときにお前がとんでもないことしでかしてくれたせいで食い損ねちまった。博士の方は……親父がボコったんだろ。オレは何もしてねぇぜ。誓ってもいい」


「いますぐ二人を解放しろ」


「いいぜ。ただし――テメェの命と引き換えだ!」



 アレグラが指を鳴らすと地面に巨大な魔法陣が形成された。陣から陽光にも似た膜がドーム上に展開され、輝たちは中に囚われてしまう。


 見覚えがある。これは――



「『オフィール』を覆っている結界と同じものかっ」



 転生体の誰かが結界を破壊しようと攻撃を仕掛けた。神の力を行使したにも関わらず、結界に触れる直前で斥力によって弾かれてしまい、破壊どころか触ることすらできない。



「ハハハッ! さっすが天才科学者だ。転生体の力も弾いちまうなんてよぉ! こんなすげぇもんよく作り出せたもんだぜ!」



 結界の中には奴隷の転生体たち。外には狙撃銃を手にした人間の奴隷たちが輝たちを取り囲んでいる。



「さってと、転生体どもに殺されるかハチの巣になるか、死に方くれぇは選ばせてやるよ。ああ、言っとくが抵抗すんなよ? テメェが転生体だってのはわかってんだ。おおかたあの首輪を外すわけわかんねぇ力も神の力なんだろ? ってこたぁ結界に閉じ込めりゃ使えねぇってことだ。抵抗するそぶりを見せたら吊るしてある二人の首が吹っ飛ぶぜ?」



 追い詰められているはずのアレグラが余裕を見せていたのはこれが理由か。

 

 転生体の反逆者を封じ込めるために退魔結界の中に閉じ込める。輝たちの対抗戦力として奴隷の転生体も結界内に残し、魔術を用いない銃器で結界の外から輝の命を狙う。さらに人間の奴隷を無力化されることに備えてレイたちを人質にする周到さ。


 助かるためにはレイたちを見捨てる以外にないということらしい。



「ほら、命乞いをしろよ。そうしたら少しは考えてやらねぇこともねぇぜ」



 勝利を確信したからかアレグラはそんなことを言ってきた。


 アレグラの策には大きな穴がある。城外には王城を目指す転生体が多数いるのだ。この場に転生体が雪崩れ込んでくるのは時間の問題。


 その時が来ればこの状況は覆される。


 時間稼ぎのため、輝は努めて苦渋に満ちた表情で尋ねた。



「……何をすればいい?」



 アレグラの口元が愉悦に歪む。



「それじゃあ、そうだな……」


「アレグラ」



 嗜虐的な笑みを浮かべながら輝に命令しようとするアレグラを、ロギーヌが制した。



「くだらんことに時間をかけるな。あやつの目的は時間稼ぎだ。じきに首輪の外れた転生体どもが押し寄せてくる。その前に首輪を無効化できるあやつを殺せ。その後には我らに歯向かった転生体どもに処断しなければならん。破壊された都市を復興させる必要もある。やらねばならぬことが山積みなのだ。私怨で時間を浪費するな」



 輝の思惑は容易く看破された。流石に一国を担っているだけあってこの程度の権謀術数は通じないということか。


 非難されたアレグラは舌打ちをしながら父の言うことに従い、命令する。



「奴隷ども。その男もろとも叛逆者を殺せ。従わなかったら……わかってるよな?」



 死をちらつかされた奴隷たちが表情を強張らせた。自らの命を守るために転生体は魔力を練り上げ、人間は銃口を輝へと向ける。


 激痛に霞む視界の中で輝にはそれだけが明瞭に見えていた。力を振るうのは戦う意思のない者たちばかり。



「それでいいのか!」



 喉が張り裂けそうなほどの叫びを輝は響かせた。



「お前たちはそれでいいのか!? 苦しみ続けて、奪われ続けて、この先もずっとそうして生きていくことを良しとするのか!?」



 転生体であるだけで居場所を奪われ、未来も奪われ、自由すらも奪われている。助けを乞うこともできず蹂躙者に従うことで自分の身を守る弱者たち。苦渋に満ちた日々が続くだけで幸福などどこにもない。暗闇の中を歩み続けるだけの絶望の人生。



「怯えたまま何もしないのか!? 死なないように生き続けて、いつか誰かが助けてくれることを願い続けるのか!? 訪れるかどうかもわからない未来をただじっと待ち続けるのか!?」



 その叫びは奴隷たちの心の叫びであるはずだ。奴隷たちに動揺が広がり、銃口を下げる者、高めた魔力を霧散させかける者がいた。



「「ふ、ふふ、ふははははははははははっ!」」



 ロギーヌとアレグラの哄笑が響き渡った。



「なんだそれは? 情に訴えているつもりか? 追い詰められたからと言って、それはあまりにも見苦しいぞ」


「おいこら奴隷ども。魔力を緩めんな。オレの命令は聞こえていたな? 死にたくなかったらとっととそいつを殺せ」



 アレグラの脅しに奴隷たちは再び魔力を高めた。もはや心が折れている彼らは王族に従う以外に選択できない。


 だが輝の言葉に反応を見せた。


 それは彼らが生きることを諦めていない証拠だ。



「お前たちを苦しめているのは誰だ!? お前たちから未来を奪っているのは誰だ!? この腐りきった都市で、その腐敗を放置する者たちを正義とするのか!? 何もしないで何かが変わることを期待するだけか!?」


「……聞くに耐えんな。今まさに民を脅かしているお前たちが何を言っている。まさかと思うが自分たちこそが正義だと思っているのではあるまいな」



 ロギーヌは頬杖をつきながら輝を睥睨した。



「この都市においてそなたらは断じて悪だ。悪戯に奴隷どもを解き放ち反乱を扇動する。その行いのどこに正義がある?」


「民を重税で苦しめ、転生体たちを奴隷にして自由を奪うお前たちには正義があるのか?」


「無論だとも。そもそも奴隷は道具だ。道具をどう扱おうがそれは持ち主次第であろう。転生体など爆弾にも等しい。都市の安寧を守るためには管理せねばならん。ついでに労働力や兵力として活用すれば資源の有効活用になると思わんかね」



 頭痛がぴたりと止まった。



「……いま、なんて言った?」


「転生体は資源の有効活用になると言ったのだよ。所詮奴らは魔獣と何一つ変わらん。害のある存在だが奴隷として使えば都市にも益がある。使い潰しても魔力素マナ結晶となるから死体の処理が必要ない上に、退魔結界装置のエネルギーに回すこともできる。転生体とはなんとも使い勝手のいい資源なのだよ!」



 ――カチリ。



 心の奥底で何かが切り替わる音が聞こえた。


 殺さねばならないと思った。己がどうなろうともこの王の首を取らねば。


 この都市に住まう弱者に、平穏が訪れることなど決してない。


 輝は頭上の少女を見た。


 翠眼と蒼眼が交わる。【魅了】の力に支配されることにも構わず、この意思を伝えるために彼女の瞳を見つめ続けた。



「醜い時間稼ぎに付き合うつもりはない。奴隷ども! その男を即座に処刑せよ!」



 王の勅命が下る。雷に撃たれたように奴隷たちはその身を震わせた。


 奴隷たちが行動するよりも早く、輝は自己改変の呪文を口にする。



法則制御ルール・ディファイン――術式介入・構成破戒クロニクル・オブ・ザ・アカシャ



 崩壊する自己と世界の境界線。都合六度目の知識の奔流に晒されて黒神輝の脳髄が崩壊の悲鳴を上げる。


 相も変わらず術者を無視して術式は回る。世界の井戸から知識の水を汲み上げて、無限に等しい術式の解がばら撒かれた。


 【世界の叡智】クロニクル・オブ・ザ・アカシャ――それは世界誕生から現在までの歴史・思想・事象・概念、ありとあらゆる情報が記録されている知識庫から知識を得る魔術。


 そう魔術である。


 神の力すら弾く恐ろしく優秀な結界だが、人間の業である魔術までは防ぐことは適わない。


 陽光の膜はシャボン玉のように弾け飛び、波及した力が王の間にある全ての首輪を破戒した。



「な、にっ――」



 驚愕は誰のものか。


 輝の魔術によって退魔結界は掻き消されたが、それは一瞬。装置自体は王の間の外に設置されており、【世界の叡智】クロニクル・オブ・ザ・アカシャが止まった途端に輝たちは再び結界の中に捕らわれた。


 それが最後に目にした光景。


 【世界の叡智】クロニクル・オブ・ザ・アカシャを多用した代償に脳は機能障害を起こしている。痛覚はすでになく、視覚は停止し、聴覚も機能していない。心臓が脈動しているかどうかも最早わからない。


 ここに集った勇気ある弱者たちに、次の一手を託して、黒神輝は意識を閉ざした。

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