一歩、前へ④
「すごいわね」
『オフィール』にそびえ立つ王城の屋根の上。最も高い場所から都市を見下ろしていたアルフェリカは眼下の光景にそう呟いた。
雄叫び、悲鳴、怒号。様々な声があちこちから聞こえる。貴族たちは恐慌状態に陥って逃げ惑うばかり。
火炎が燃え盛り、突風が荒れ狂い、濁流が押し寄せ、氷柱が突き出し、酸の雨が降り注ぎ、毒霧が漂い、土塊が押し潰す。
それらは全て神の力。人智の及ばぬ圧倒的な力が『オフィール』を破壊していた。
暴れている転生体たちは皆あの首輪をしていない。
不自由の象徴は、すべて輝の
「今まで抑圧されてたんだもんね。自由になれば復讐したくなるのも当然よね」
その気持ちは理解できる。しかし輝は首輪を外すために条件をつけた。
一つ――最上層より下の住民には危害を加えないこと。
諸悪の根源は天上に蔓延る魑魅魍魎たち。民草は同じく被害者であるため。
二つ――貴族たちは殺害せずに王城へと一箇所に集めること。
全ての貴族が悪事に加担していたわけではないため。復讐すべきは本物の悪党のみ。
三つ――上層、中層、下層の住民に危害を加えた者は敵性転生体とみなし処断する。
本能赴くまま蹂躙するのでは魑魅魍魎どもと変わらないため。
四つ――敵性を持つ神を宿す転生体はその力を使わないこと。
覚醒してしまえば対処せざるを得なくなるため。
レドアルコン家の呪縛から解き放つ代わりに、これらを誓うことを求めた。
輝の
そして起こったのはこの暴動。王族と貴族に恨みを持つ者たちが一斉に蜂起した。
アルフェリカは王城には乗り込まない。自分に課せられた役割は別にある。
至る所から黒煙が立ち上る。その中に上層から見える煙もあった。
目を凝らして見れば転生体が上層で力を振るっていた。逃げ惑っているのは貴族ではない普通の住民。罪の色もそれはそれは酷い。
「輝の言った通りね」
人間はそう単純な生物ではない。長年苦しめられてきたのだから約束よりも感情を優先させる者が必ず出てくる。もしくはもともと約束を守るつもりがない者。あるいは自らを過信して敵性覚醒体となる者。
そうした者から
突然飛来した矢に転生体は足を止めて、キョロキョロと射手を探した。しかし見つからないと悟るや再び住民を襲い始める。放たれた矢の意味を全く理解していない。
「警告はしたわよ」
第二射に躊躇いはない。〝断罪の女神〟の力が込められた矢は吸い込まれるように転生体の心臓を射抜き、その転生体は絶命した。身体が七色の粒子となって崩れ、巨大な
人間を殺めたことに感じることは何もない。輝の力になれていること。そのことだけがアルフェリカの胸中を満たしていた。
都市を全貌できるこの場所なら状況を把握することは容易い。すでに約束を反故にする者があちこちに出始めていた。
「さあ、どんどんいくわよ」
満たされていく感覚に幸福さえ感じながら、アルフェリカは次々と矢を放っていく。
輝の役に立てている。その喜びを口元に湛えて。
輝は解放した転生体たちと共に王城に乗り込んでいた。断続的に聞こえてくる地響きや爆発音は城外が戦場となっていることを知らせてくれる。
当然、城内も慌ただしい。転生体による暴動など『アルカディア事件』の比ではない。都市そのものが滅びかねない危機的状況だ。
王族が住む城であるため警備の人間は配置されているが、転生体の集団を目にした途端に尻尾を巻いて逃げ出す者ばかり。王室を目指す輝たちを阻む者は一人もいない。
所詮、権力を笠に着ただけの名ばかりの騎士か。
ある意味ではそれは幸いと言えた。
輝は額に大量の脂汗を浮かべており、足元をふらつかせている。今は輝の様子を見かねた転生体の少女に肩を借りて歩いている始末だ。
「本当に、大丈夫ですか?」
「ああ」
そう口にするも少女の心配そうな表情は消えない。周りにいる者たちも同じように輝を案じた眼差しを向けている。
輝を苛んでいるのは
計四回。
四回も使ってまだ意識を残せているのは、一回目と二回目で時間が空いていたからだろう。
だがきっと次はない。意識を繋ぎとめることができたとしても、何かしらの後遺症が出るかもしれない。最悪、自我崩壊の可能性もある。
「やっぱり休んでいた方がいいですよ。決着は私たちがつけます。捕まっているという人たちも助けてきますから」
「……いいや、気遣いはありがたいが……それは俺がやる」
頑なに首を振る輝に、周囲の者たちは悲しげに目を伏せる。
「別にみんなを疑ってるわけじゃない。これは俺が約束したことなんだ」
「約束ですか?」
輝は頷いた。
「その二人を大切に思っているやつとな。力を貸すと言った。傷つけないとも言った。それは俺が交わした約束で、俺自身が立てた誓いでもある。だから二人を助けるのは俺がやらなくちゃいけないんだ」
こればかりは誰にも譲れない。誓いの遂行を誰かに委ねるなど黒神輝として許容できない。
その決意に何を言っても無駄だとわかり、少女は輝を止める言葉を口にすることをやめた。
「ではせめて私たちが黒神さんの力になります。恩人の力になることくらいは譲ってくれますよね?」
「そんな大層なものじゃないぞ?」
「黒神さんは奴隷として生きていくしかない私たちを自由にしてくれました。それだけじゃなく、そんな私たちを苦しめ続けてきた王族に復讐の機会までくれたんです。夢も希望も持てず、だからと言って死ぬ勇気もなくて、絶望に耐えながら生きていくしかなかった私たちを暗闇から引っ張り出してくれました。私たちにとって黒神さんは命の恩人なんです」
それに、と少女は嬉しそうに続ける。
「命の恩人が大層でなければなんだと言うのですか」
そう言われて不覚にも笑ってしまった。奇しくもそれはイリスに言われた言葉。
「私たちは黒神さんに報いたいんです」
「生きて幸せになってもらえれば、それだけで報われるんだけどな」
これはアルフェリカに言った言葉。恩を返して欲しいなんて思っていない。自分が救った者が幸福になる。その結果を目にすることこそが何よりの報酬だ。
「それじゃあ俺たちの気が済まない」
並び歩いていた者たちの一人である転生体の少年がそう言った。他の者たちにも意見を求め、全員が同調する。
物好きな者たちだと輝は思った。
「俺に義理立てする必要なんてないんだぞ。自由になったんだから好きに生きたらいい」
「じゃあ黒神さんの力になることになんの問題もありませんね。私たちは好きでそうしているんですから」
満面の笑顔で覗き込んでくる少女の輝は苦笑を返すしかなかった。それを言われてはもう何も言えない。
その時、前方から複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。見れば複数の人間が尋常ではない速度で駆けてくる。
数は六人。その全員が首輪をしていた。
「王城にいた転生体か」
誰かがそう口にした。転生体たちは輝を庇うように前に出る。相手もこちらを認識したらしく目の前で足を止めた。
「本当に、首輪をしていないのか……」
城の転生体は輝と共にいる転生体を見て驚きを露わにする。その目には羨望や希望といった輝きが宿っていた。
「教えてくれ! どうやって首輪を外したんだ!?」
この者たちも首輪によって強制されているのだろう。王城にいる者でさえこの様子。王族に忠誠を誓う転生体は存在しないのだろう。
「首輪を外してくれた人がいるんだ」
答えた声に城の転生体たちの目の色が変わった。
「それは誰なんだ!? 頼む、教えてくれ!」
「俺が外した」
嘆きのような問いかけに輝自身が答えを返した。
「本当に、本当にあんたが首輪を外したのか!?」
首肯する。希望を見出し、城の転生体たちは色めいた。
「どうか、どうか頼む! 俺たちを自由にしてくれ! 王室に怯えたまま生きていくことにもう耐えられないんだ! お願いだ! 何でもする! どうか頼む!」
両手両膝をついて城の転生体は懇願した。他の五人も口々に解放を望む願いを口にする。
彼らが自由を求めるのは当たり前のことだ。王城にいるからといって他よりも優遇されていたわけではないだろう。むしろ王族に近い分、より過酷だったかもしれない。
しかし、涙さえ流して願う彼らを一刻も早く救いたいと思った。
「わかった」
「いけません黒神さん! 首輪を外す力を使う度にすごく消耗していたじゃないですか! これ以上使ったら、死んでしまうかもしれないんですよ!?」
肩を貸してくれている少女は奴隷の居住区で解放した転生体だ。そのときからついて来ている彼女は、輝が
彼女からすれば二回使っただけでまともに歩けなくなるほどの力。三回目にはどうなるかわからず、必死に止めようとした。
「死ぬことはないさ。けどたぶん気絶はするから、そうしたら叩き起こしてくれ」
首輪をされた者はたった一言で殺される。王族全員がそれをできるのか知らないが、少なくともアレグラはそれができる。
いつ殺されるかわからない恐怖から救ってやりたい。それは偽らざる本心だ。
「
一瞬だった。詠唱した瞬間、視界が真っ暗になる。そうなったと認識することすらできず、輝は意識を閉ざした。
しかし術式だけは目的を果たしてくれる。世界から組み上げられた知識が首輪の術式を破壊した。
歓喜する転生体たち。互いに抱き合い、呪縛から解き放たれたことに感涙する。
「黒神さん!」
転生体の少女が輝の名を叫んだ。目や耳から血を流す様子から少女はパニックを起こしかけていた。何度も何度も輝を呼びながら身体を揺さぶる。
「ぐ……ぁ……」
揺さぶられたことによって喉から呻き声が出た。それをきっかけにして意識が覚醒を始める。
初めに知覚したのは今まで感じたことのない壮絶な痛み。
「ア、アアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァ――――――――ッ!」
喉が裂けるほどの絶叫。神経をすり潰す、血管に硫酸を流す、骨肉を削り取る。黒神輝が想像できるどのような痛みも及ばない激痛が頭の中で炸裂する。自身の制御などまるでできず、痛みにのたうち回るどころか絶叫以外の行動が何一つできなかった。
痛みに叫ぶ輝に転生体たちは狼狽えることしかできない。治癒の力を持つ転生体が輝に力を使うが、それすらも認識できなかった。
やがて声は掠れて、それでもそこに含まれる痛みが消えることはなかった。
主観では永遠にも等しい時間。激痛に麻痺した脳がここでようやく自我を取り戻し始めた。
自分の名前はなんだ?
――黒神輝。
ここはどこだ?
――『オフィール』。黄金郷と呼ばれた魑魅魍魎の巣窟。
そこで何をしている?
――苦しめられた転生体を解放している。
何のために?
――決まっている。排斥され続ける転生体たちの居場所を創るため。
それは誰の願いだ?
――黒神輝の願い。自分はそれを受け継いだだけの亡霊。
亡霊に何ができる?
――わからない。しかし何もできないわけではない。
なぜそう言える?
――夕姫を守った。アルフェリカを守った。そしてこれからレイとティアノラも助ける。
嗚呼そうだ。そのために今ここにいる。
散逸していた思考が纏まっていく。激痛は鋼の意志にて噛み潰す。視界は明滅を繰り返し、聴覚はやけに遠く、触覚は痛覚に塗り潰されている。
だが身体は動く。大丈夫。動ける。
「悪い、みっともないところを見せた」
立ち上がろうとして、四肢にロクに力が入らなかった。
「……悪い、また肩を貸してくれないか?」
「で、ですけど……」
少女は躊躇った。今の様子は尋常ではない。一刻も早く輝を休ませなければならないと考えていた。
「頼む」
それを見透かしてなお輝は前に進むことを選ぶ。
少女は逡巡したが言う通りにした。輝に肩を貸して立ち上がろうとするが、先ほどよりも重い輝の体重によろけてしまう。輝共々転びそうになったところを、解放を懇願した転生体の少年が支えた。
「俺たちも一緒に行かせてくれ。この城には俺たちのような転生体が他にもいるんだ。できれば助けてやりたい」
「首輪はもう外してやれないと思うぞ」
「だろうな。いまの貴方の様子を見ればわかる。これを外すことは貴方に苦痛を強いることになるんだな。それにも関わらず貴方は俺たちを解放してくれた。同じ境遇の奴らを助けたいのも確かだけど、貴方の力にもなりたい」
「お前も、ここにいるみんなと同じことを言うんだな。いいさ、好きにするといい」
「感謝する」
二人の少年少女に支えられながら、輝は何とか自分の足で立ち上がった。
時間が惜しい。
「さあ、行こう」
虐げ続けられてきた少女を救うために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます