一歩、前へ③


 同時刻、目が覚めたときレイはどこかの部屋にいることに気づいた。両腕は後ろで縛られていて自由がきかない。


 室内は高価そうな調度品が数多く配置されている。大きなソファとテーブル。天蓋付きのベッドにガラス張りのシャワー室。何のためにあるのか、壁面にはとめどなく流れ落ちる滝まである。まるで高級ホテルのような部屋だったが窓だけがなかった。


 気を失う前の記憶と室内の様子を照らし合わせて、自分が監禁されていることに思い至った。おそらくここは王城のどこかなのだろう。豪華なのは貴族用の監禁部屋か何かだからだろうか。



「っ!? イリス、博士っ」



 二人の姿がどこにもない。彼女たちは無事だろうか。


 幸い足は自由なので唯一外に繋がっているであろうドアに駆け寄った。縛られた手を何とか使ってドアを開けようとするが、案の定施錠されていて開かなかった。室外からしか施錠できないようになっているのか鍵穴も見当たらない。



「どうしましょう……」



 壊そうにも扉は金属製。荒事に慣れていない自分が壊せるとは思えない。焦燥に駆られながら何かないかと部屋を見回していると、大きな姿見に映った自分の姿が目に入った。



「きゃっ!?」



 羞恥により思わず身体を隠すようにしゃがみ込んだ。


 身に纏っているのはシルク素材の白い服。素材が半透明で露出が極端に多い。ネグリジェと呼ぶにはあまりに扇情的なデザイン。これではまるで娼婦のようだ。


 しかも――



「っ……!? これは……」



 自分の首に嵌められているものを見て愕然とする。首につけられている服と同じ色の白いチョーカー。デザインこそ違えど、奴隷たちにつけられているものと同じものだとわかる。


 あの頃を象徴するもの。



「そ、んな……どうして……なんで……」



 胸が痛い。酷く息苦しい。頭がぐるぐるする。指先の感覚はなくなっていき、奥歯がカチカチと音を鳴らす。


 終わったはずだ。ティアノラ博士に引き上げてもらったはずだ。助けてもらって、暖かい陽だまりの世界で過ごせるようになって、最近になってやっと一歩を踏み出せたと思ったのに。


 また、戻ってきてしまったというのか。


 欲望と蹂躙の世界に。


 ドアから解錠を示す音が鳴った。蝶番が軋みを上げながらゆっくりとドアが開かれる。


 現れたのはアレグラだった。



「よぉ、イイコにしていたか子猫ちゃん。ははー、なんつってな」



 現れた肉食獣にレイは血の気が引いていくのを感じた。そんなレイのことなどお構いなしにアレグラは気味の悪い笑みを浮かべながら近づいてくる。



「どうだその服? お前に似合うと思って用意したんだ。白い髪がよく映えると思ってな。我ながらいいセンスしてる。サイコーにそそるぜ」



 レイはパニックに陥りそうな頭を何とか落ち着かせ、アレグラの視線から逃れるために身体を丸めた。



「んだよ。何か言ったらどうだ? その服もオレが手ずから着せてやったんだぜ?」


「……っ!?」


「なんだよその顔。別にいまさらだろ?」


「やめてください……っ」



 思い出したくもない過去を掘り返されてレイは拒絶した。嫌だ。嫌だ。思い出したくない。



「相変わらず煽るのがうめぇな、レイ」


「ひっ……」



 アレグラはレイの腕を掴むと無理やり立ち上がらせた。


 恐怖から逃れるためにきつく目を瞑ったことが幸いし、【魅了】はそれほど効果を成していない。しかしそれで安堵できるわけでもなかった。



「そういやお前、双子のガキを産んだんだってな。母親になってどんな気分だよ? つーか父親わかってんの? わかってるわきゃねぇか。わかってりゃ孤児院なんかに預けてねぇよな。まあわかったところで誰も認知しやしねぇだろうなあ。だからお前も母親だってこと隠してんだろ? どっちにしろ孤児院行きだったってわけだ。お前も大概ひでぇ女だよな」


「ちが……ち、違い……ます」


「違うもんかよ。堕ろしゃ良いもんをわざわざ産んで捨てて、なかなか鬼畜だぜ?」



 アレグラの言葉が容赦なく心を抉っていく。


 違う。望んでそうしたわけではない。どうすることもできなかった。どうすることもできなかった。どうすればいいのかわからず、誰にも相談できず、助けも求められず、日に日に重くなっていく身体が恐くて仕方なかった。


 耳を塞ごうにも両手は拘束されている。レイはイヤイヤと首を振り続けるだけだった。


 アレグラはそんなレイを鼻で笑うとベッドに突き飛ばした。


 これからされることを想像したレイは逃げようとするが恐怖のあまり足がうまく動かない。


 自分の体格を大きく上回るアレグラの影が落ちる。覆いかぶさろうとする影はギラついた視線でレイを見下ろしていた。



「い、いや……やめて……」


(愛してもらう? 愛してあげちゃう?)



 エルキスティの笑い声が聞こえた。皮肉なことに彼女のおかげで凍りついた理性がわずかに戻り、接触拒否の障壁を展開しようと魔力を練った。



「おっと、首輪を忘れんなよ? 抵抗するならボンっといくぜ?」


「っ!?」



 死ぬのは嫌だ。まだ何もしていない。ティアノラ博士にまだ恩を返せていない。イリスたちともっとお話をしたい。守られるしかない自分を変えたい。


 何もできず、何者にもなれず、ただ無意味に死ぬなんて嫌だ。


 思い出すのはティアノラに救われたときのこと。イリスたちに囲まれた日常。そしてここ数日の出来事。


 小さな幸せが詰まった平穏な日々のことばかり。



「おら、どうするかわかるよな?」



 獣欲に満ちた命令。


 きつく閉じた目から大粒の涙を流しながら、レイはしなやかな両脚をゆっくりと開いた。


 蹂躙されてもいい。欲望の捌け口にされてもいい。


 生きてさえいれば、きっと、また――


 アレグラは三日月のように裂けた笑いを湛えて、レイの身体に手を伸ばす。


 指先が彼女に触れようとした刹那、地響きのような音と共に王城が揺れた。



「何事だ!」



 明らかな異常事態にアレグラはドアの向こう側に吠えた。待機を命じられていたであろう部下はドア越しに困惑した声を上げる。



「現在確認中です………………え、なんだと!?」


「どうした!」


「王城の正門が魔力砲撃によって破壊されたとのことです!」



 報告を受けてアレグラはもう興味の失せた顔をした。お楽しみを邪魔されたことに苛立ちさえ浮かべている。



「はあ? 魔力砲撃ってこたぁ奴隷の転生体だろ。どっかのバカが反抗してきたか? 首輪を発動させてとっとと首を吹っ飛ばせ」


「そ、それが……」


「なんだよ、はっきり言えっ」


「その転生体は首輪をしていませんっ」


「……は?」


「か、数も一人や二人ではないとのことです! 目視で確認した限り正門だけでも約一○○! さらに――」



 報告の途中で立て続けに城が揺れた。アレグラが何かを問う前に部下の叫びが聞こえる。



「坑道側で奴隷たちが暴動を起こしているとの報告もありました。王城を目指しているとのことですっ」



「ああっ!? そいつらこそとっとと首を吹っ飛ばせよ!」


「そ、それが……その奴隷たちも首輪をしていないとっ」


「なん、だと?」



 その報告に額に青筋を立てていたアレグラが絶句した。それを聞いていたレイも耳にしたことが信じられずにいた。


 転生体が暴動を起こしている? どうして? そもそも首輪をつけていないとはどういうことだ? あれを外せる人などティアノラ博士以外に――



「――っ!」



 いる。この世にもう一人だけ、それができる人を知っている。


 白い髪の人。出会ったばかりの私に優しくしてくれた人。レイ=クロークが少しだけ安心することができる男の人。


 黒神輝。


 レイは確信した。確信して先ほどとは違う涙が頬を伝った。


 彼が、来た。



「クソがっ。どいつもこいつもふざけやがって……おいっ、城内の警備隊を招集しろ! あとは地下牢に押し込んである転生体どももだ! 城内のやつらなら首輪はまだ機能してんだろ。それ以外にもまだ首輪してる奴隷どもをかき集めろ!」


「は、はいっ!」



 慌ただしい足音が遠ざかっていく。



「テメェも来い! あのクソ野郎が上等だ。王族に歯向かうってことがどういうことか思い知らせてやるっ!」



 悪態をつくアレグラに乱暴に引き連れられてレイは部屋を出る。


 途方もない不安。しかし不思議と恐怖はなかった。

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