繫栄の足元にあるモノ⑤


 案内に従って教会に辿り着くと、すぐにアレックスとキャシーはカティアスを抱えて中に駆け込んでいった。


 輝とアルフェリカは余計な混乱を避けるために教会の前で待っていることにする。



「それにしても、さっきまでいた場所と全然雰囲気が違うわね。同じ都市とは思えないわ」


「そうだな」



 整備が行き届いた道、きちんと設計がなされた建造物、綺麗な衣服に身を包んだ人間たち。


 あちらでは当たり前のように存在していたものがこの区画にはどこにもない。


 あるのは退廃した雰囲気ばかり。道は荒れ果て建造物は朽ち崩れそう。道端に座り込む人間たちは皆みすぼらしい。


 貧困街。そう形容するしかない光景が広がっていた。


 ここは上層。もし表区画と同じ基準で層が分けられているとするのなら、果たして下層はどうなっているのか。



「あなた方がキャシーの言っていたお二人ですね?」



 不意に聞こえたしゃがれた男の声。振り返れば初老の男性が立っていた。



「初めまして、私はこの教会の神父を務めておりますゾルア=グルアスと申します。この度はカティアスを助けて下さって誠にありがとうございました」



 ゾルアと名乗る神父は丁寧な作法で深々と頭を下げた。


 隣のアルフェリカが不快そうに眉間を歪める様子に気づかないフリをして、あの転生体の子供の容態を尋ねた。



「幸い打撲や軽い傷だけで大事に至っておりません。一応、安静にさせていますが意識もはっきりしております。カティアスが表区画に行ったと聞いたとき無事に帰ってくることはないとさえ思いましたが……これもお二人のおかげです。本当になんとお礼を申し上げれば良いか」



 ゾルアは再び頭を下げた。カティアスが戻ってきたことに余程安堵したのか、その声は震えている。



「無事、とは言い難いかもしれないけどな」


「そんなことはありません。五体満足で生きて帰ってきた。それだけで無事と言えるのです」



 それは聞き流すにはあまりに不穏な言い方だ。


 輝の思考を感じ取ったのかゾルアは目を伏して語り始めた。



「裏区画に住む者が貴族街に立ち入ったら無事では済みません。奴隷として売り払われるか、暴力を受けて大怪我をするか。悪ければ命を落とすこともありますし、最悪、悪趣味な貴族に弄ばれて死よりも辛い苦痛を強いられることもあります。裏区画の者は表区画の貴族にとって人間ではないのです。あなた方もその一端を目の当たりにされたのでしょう?」



 カティアスが暴力を振るわれているとき、貴族たちは楽しげに笑っていた。面白おかしそうに笑い、嘲るように嗤い、嗤って嗤って、理不尽に蹂躙される幼子を見下ろしていた。


 疑問など抱いていなかった。罪の意識もなかった。あったのは害虫を見るような嫌悪。駆除することが当たり前で良心の呵責など微塵もない。


 なるほど。相手を人間として見なしていないから、ああも躊躇いがない。



「なんとかならないのか?」


「意地の悪い御方だ」



 悲しそうに微笑む。できればとうにやっている。できないからこその現状なのだ。



「しんぷさま〜」



 沈痛な思いでいると幼い声がゾルアを呼んだ。ゾルアが振り返ると真っ白な髪の女の子が満面の笑みで危なっかしく走り寄って来る。その後をさらに三人の子供が続いていた。そのうちの二人は先ほどのアレックスとキャシーだ。


 白髪の女の子はゾルアのところまで来ると嬉しそうにその足にしがみつく。薄汚れた服から伸びる手足は痩せ細っているが、それでも年相応の快活さは損なわれていなかった。


 その無邪気さにゾルアも目を細める。



「おやおや。元気一杯だね」


「うんっ! しんぷさま、あそぼ、あそぼ!」


「ごめんね。いまはお客様がいらっしゃっているから、あっちでみんなと遊んでいてくれるかい?」


「えぇーやだっ」



 いやいやと首を振って不満顔。少し困ったような顔のゾルア。実に微笑ましい光景だった。



「おねえちゃん、しんぷさまのじゃましたらだめだよ」



 後からついてきた三人のうちの残りの一人の男の子が駄々をこねる姉を諭す。この男の子も姉と同じように真っ白な髪だった。双子だろうか。顔立ちが瓜二つだ。


 女の子はジッと輝とアルフェリカを見つめた。大好きな神父を取られたと思っているのか、その目はとても恨めしそうだ。しかしその目はすぐにまん丸に開かれた。



「このお姉ちゃんのおめめ、きれい!」


「へ、あたし?」



 くりくりの目を輝かせて女の子はアルフェリカを指差した。


 最初は驚いて見せるアルフェリカだったが、きれいきれいと飛び跳ねる無邪気な姿に目を細めて、しゃがみこんで目線を合わせた。



「はい、これでよく見える?」


「うんっ」



 喜色満面で小さい両手がアルフェリカの顔をわしっと掴む。子供ゆえの無遠慮さに苦笑いを浮かべつつもされるがままだ。



「ふあぁぁ……きれい。お日さまが昇る前のおそらみたい!」


「ふふ、ありがとう。でもキミの目も綺麗よ。まるでエメラルドの宝石みたい」


「ほんと!? わたしきれい!? きれい!?」


「ええ」


「やたーっ!」



 アルフェリカに褒められて翡翠の瞳が爛々と輝く。弟も同じ色の瞳だった。



「この二人、なんだかレイに似てるな」



 白い髪と翡翠の目。印象の強い共通点に先ほど別れたばかりの少女のことを思い出した。


 輝のその呟きを耳にしたゾルアは表情を強張らせる。それを見逃さなかったアルフェリカは吐き気を堪えるように口元を手で押さえた。



「アルフェリカ?」


「ううん、大丈夫。ちょっと当てられただけ」



 〝断罪の女神〟の力。ゾルアに色濃い罪の匂いを感じ取ったということか。吐き気を催すほどということは、この男はそれなりの罪悪感を抱えていることになる。



「さあ、いい子だからあっちで遊んでいてくれるかな。アレックス、キャシー、この子たちを見ていてくれる?」


「わかった。ほらあっちで遊ぶよーちびっこたち」



 キャシーが姉弟を手招きすると二人はきゃっきゃっと走り寄っていく。キャシーは離れ際、輝たちに向けて一礼すると、二人の手を引いて広場の方へと走っていった。


 アレックスもそれについて行こうとし、しかし足を止めた。



「そ、その……カティアスを助けてくれてサンキュな」



 視線を合わさず、ぶっきらぼうにそんなことを口にした。



「カティアスから聞いたんだよ。お前らが貴族から助けてくれたって。だから礼くらいはちゃんと言わなきゃなって……んだよ、悪いか! っていうかニヤニヤ笑うんじゃねー」


「別に笑ってないよ。仲間思いなんだな」


「あったりまえだ。ここにいるやつらはみんな家族なんだ。神父様のおかげでここに来たやつらは誰一人として欠けたことがねぇ。そして、いまは俺が一番の年長者だからな。家族を守るのは俺の義務なんだ」


「そうか。ならしっかりな」


「ウッセー、転生体だからって上から言うなっ。いつかゼッテーお前らより強くなってやるからな」



 その頼もしいセリフに輝は嬉しくなった。



「転生体だって知ってもお前は俺たちを怖がらないんだな」


「転生体は化け物だって話のことか? そんなもん知るか。だいたいカティアスだって転生体だし、この孤児院には他にもいるんだ。お前らが化け物だったら俺の家族まで化け物ってことになるだろ。俺の家族に化け物なんていねぇ」


「お前はデカイ男になるよ」


「頭を撫でるな! バカにしてんだろ! あと俺の名前はアレックスだ! お前お前って呼ぶんじゃね!」


「確かにそうだなアレックス。なら男同士対等にいこうか。俺は黒神輝だ。こっちはアルフェリカ=オリュンシア。俺たちのことも名前で呼んでくれ」


「いいや呼ばねぇ」



 パシッと輝の手を払い除けるとアレックスは不敵に笑った。



「輝兄とアル姉で良いだろ? いつか追い抜いてやるからな見てろよ!」



 そう言ってアレックスは走り去ってしまう。意味を図りかねた輝とアルフェリカはお互いに顔を合わせた。



「ほっほっほ、輝さんはアレックスを対等に扱って下さったようですが、あの子の中ではお二人の方が上のようですな」


「その割には生意気ね」


「男の子ですから強く見せたいのですよ。私にも覚えがあります。大目に見てあげて下さい。口はあんなですがお二人のことを認めているのだと思いますよ」


「気にしてないわよ。それに転生体として、ああいうことを言える子は嫌いじゃないわ」


「ええ、心優しい子に育ってくれて私も嬉しい限りです」



 胸元に手を当てて誇らしげに子供たちが遊ぶ姿を見つめる姿はまさに聖職者だ。



「ですが、あの子たちを守るために私たちにできることはあまりに少ない」



 その手は拳に変わっていた。それが先ほどの問いへの回答であると察した輝は黙って耳を傾ける。



「あの子たちを見てお察しがついているかもしれませんが、孤児院の運営は苦しい状況です。子供たちに綺麗な服を用意するどころか、お腹いっぱい食べさせてあげることもできていません。育ち盛りの子供が痩せ細っていくのを見るのはやはり辛いものです」


「教会だって言うなら出資者くらいはいるだろ?」


「はい、もちろん出資してくださる方々はいらっしゃいます。しかし孤児院はここだけではありません。『オフィール』では年々孤児が増えており、子供たちを養おうとすれば支援を必要とする孤児院もまた増えます。しかし出資してくださるのは上層のごく一部の方々のみ。圧倒的に資金が足りていないのです」


「黄金郷で資金不足?」


「何も不思議なことではありません。確かにこの都市には潤沢な資金源がありますが、それらを掴んでいるのは王族や最上層の貴族たちです。そしてそのほとんどは裏区画の住人を人間とは認めていない。それがどういうことかは言うまでもないでしょう」



 人間ではないものを生かすために私財を投じるなど馬鹿げていると考えるだろう。それがほとんどの貴族の考え方。一部の貴族が出資してくれているとはいえ、全体を賄えるほどではないということか。


 金は天上でのみ廻り、天下には廻らない。



「それでもあの子たちはまだ良い方です。この都市には奴隷制度がありますからね。納税の義務を怠った者、罪を犯した者、或いは金に困り売られた子供。彼らは『アイゼン鉱脈』の労働力として、過酷な環境で生涯を終えることになるのです。しかも天寿を全うすることはなく、過労により倒れるのが常です。それが転生体ともなればなおのこと。そのような場所でカティアスたちと私が巡り会えたのは僥倖という他ありません」



 それに比較すればあの子供たちは雨風を凌げる場所で夜を明かすことができ、不十分ながらも食べ物にありつくことができる。ああやって元気に遊びまわることもできている。


 奴隷として一生を終えることと比べれば、幸せと言えるのではないだろうか。



「そんなわけがあるか」



 自分たちよりも酷い扱いを受けている者がいるから相対的にそう見えているだけだ。


 『オフィール』は鉱山から採れる金属を主な資金源としている。それを採取しているのは身寄りのない者や転生体である奴隷たち。彼らは安価な労働力として使い潰されて生涯を終える。


 それではただの消耗品だ。人間の扱いでは断じてない。


 幸福などどこにもない。悲劇以外の何物でもない。


 ゾルアもそれはわかっているのだろう。しかし一介の神父に何かを変えられるほど、この都市の歪みは容易いものではない。忸怩じくじたる思いを抱えつつも諦めて現状に従うしかないのだ。



「五年前までは、この孤児院もそうではなかったんですがね」



 再びアルフェリカは口元を押さえた。深く息を吸って呼吸を整えるとアルフェリカは問う。



「どんな罪を背負っているの?」



 アルフェリカの問いにゾルアは驚きに目を見開いた。



「キミの罪の色は他の人間と比べてあまりに酷いわ。一体どんなことをしてどんな罪悪感を背負っているの?」



 彼女の確信を持った問いかけに見透かされていることを悟ると彼は十字を切って祈るように両手を組んだ。



「どうやら貴女様は罪を司る女神に纏わる御方のようだ。罪深き私に懺悔の機会を与えてくださるのか。これも主のお導きでしょう。主よ、感謝致します」



 祈りを捧げ終えて閉じていた瞳を開くと、神に仕える神父は涙さえ流して、アルフェリカに乞い願った。



「どうか、私の過ちをお聞きください」

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