繫栄の足元にあるモノ④


 レイとイリスが店を出た後、三十分ほど時間をおいてから輝たちも店を出た。



「アルフェリカ、少し見て回りたいところがあるんだけど構わないか?」


「もちろん。輝が行くところならどこへでも」



 目的地も聞かず、アルフェリカは二つ返事で承諾した。おそらくアルフェリカは輝からの頼みを一切断らないだろうということが、彼女の言動からわかってしまった。


 健全とは言い難いこの関係。いずれは改善しなければならない。


 アルフェリカは首輪をかけられ、乱暴をされそうになった。いくら王族でもアレグラのあの振る舞いが罪に問われないのはおかしい。


 だが実際、罪に問われるのはこちらになるだろう。それはイリスの反応から容易に想像がつく。


 『オフィール』を治める王族が腐敗しているのなら、それは一体この都市をどれだけ侵しているのか気になった。


 今から向かう先は裏区画。イリスが語ろうとしなかったその場所が、『オフィール』の腐敗を測る指標になると思ったのだ。


 しばらく歩くと周辺の雰囲気ががらりと変わった。様々な装飾が施された家や屋敷がいくつも現れる。道行く人間も高い身分を思わせる身なりをした者ばかりが目につくようになった。


 そのどれもが輝たちを見ると見下すような目を向けてきた。ヒソヒソとした話し声はこちらを揶揄やゆするものばかり。わざと聞こえるように言っているあたり不快極まりない。


 どうやら最上層とやらに踏み入ったようだ。


 なるほど、イリスが近寄りたくないと言っていた意味がよくわかる。ここまで無遠慮に悪意を感じる目を向けられれば、否応なしに嫌悪感が湧き上がってくる。



「輝、早く抜けよう。ここは罪の色が少し強いわ。あまり長時間は居たくない」


「わかった」



 アルフェリカが吐き気を催すほどの罪をこの層の住民は犯しているということか。


 力が弱まったとはいえ〝断罪の女神〟の性質は健在。長居した結果、暴走してしまったらそれこそ『アルカディア事件』を繰り返すことになる。


 アルフェリカを守るためなら『オフィール』と敵対することも辞さないが、本来は避けられるなら避けるべき事態であるのは確かだ。


 不快な視線と声を無視しながら裏区画を目指す。


 そんな中、装飾華美な街の雰囲気に似つかわしくない背格好の子供が歩いているのが見えた。


 纏っているのはボロのような汚れきった服。顔も手足も痩せこけており、普段から満足に食べられていないということが見て取れる。裸足のまま、おぼつかない足取りで歩く姿はいまにも倒れてしまいそうだった。


 真っ当な感覚を持つ人間なら手を差し伸べずにはいられないだろう。少なくとも同情や憐憫の類の思いを抱くはずだ。


 だがここの住人は違った。やせ細った子供に向けるのは汚物を見るかのような不快な視線。手を差し伸べるところか、鼻をつまみながら野良犬でも遠ざけるかのように手を払い、子供から距離を取る。


 フラフラと歩いていた子供は日傘を差しながら道端で談笑していた貴族の女性にぶつかって転んでしまった。雑談に夢中だった女性は何事かと驚いて足元で転んでいる子供を見る。


 小さな子供だ。いくら薄汚れた格好をしていたとしても手を貸すくらいのことはするだろう。


 輝がわずかに抱いた人間の善意への期待は即座に裏切られた。


 その子供を見た瞬間、女性の顔が憤怒に変わる。手にしていた日傘を閉じて、あろうことか立ち上がろうとしている子供にそれを振るった。


 痛々しい殴打の音が輝たちのところにまで届く。


 女性は何度も何度もその子供を打ちつけた。亀のように丸まった子供に理不尽な暴力が繰り返される。


 誰も止めようとしない。それどころか飛び出るのは子供へ向けた罵詈雑言。騒ぎを聞きつけて人が集まり、止めるどころか一緒になって暴力を振るう始末。痛めつけられる子供の姿を目にして楽しげに笑う大人たちの姿は狂気的だ。


 なんだこいつらは。どうしてそんなことをして笑っていられる。何がそんなに楽しい。


 怒りと悍ましさで全身が総毛立った。


 抑えきれなかったモノが漏れ出し、〝神殺し〟ブラックゴッドの殺意が空気を凍らせる。どれだけ愚鈍な者であろうと感じ取れる濃縮された死の気配。それを感じ取った貴族どもの動きも凍りついた。


 嗤いも罵倒もピタリと止まり、矮小な人間の身で〝神殺し〟を直視してしまった。


 貴族どもは恐怖に支配され、しかし恐慌に陥ることすら許されない。泡を吹いて気絶できた者はむしろ幸運。正気を保ったまま許容量を超える恐怖に晒された人間は、思考と行動のすべてを停止させることでしか、自己を防衛する手段がなかった。


 誰も動けない不可視の重圧の中、輝だけは何事もなくその子供に歩み寄る。子供を取り囲む人間どもは輝が近づくだけでバタバタと倒れていった。


 複数の大人の容赦ない暴力によって子供の身体にはあちこちに打撲痕があった。皮膚が裂けて血が流れており、内出血も酷い。しかし命に別状はなさそうだ。


 痛みによって意識が混濁しているのか、輝の気に当てられている様子もない。


 ひとまず生きている。それがわかって頭が冷えた。垂れ流されていた殺意は無意識に止まり、それと同時に空気も溶解した。


 まともに意識を保っているのはアルフェリカのみ。すでに貴族たちは気を失っており、遠巻きに見ていた者も逃げるようにこの場から立ち去っている。



「これは……」



 子供の首には見覚えのある首輪がされていた。それはアレグラがアルフェリカに無理やり装着したものと同じ。



「この子、転生体みたいよ」



 首輪を目にしたアルフェリカは顔をしかめながら、子供の右手首にある神名を指差す。核以外に神名が広がっている様子はない。おそらく宿っているのは友好神なのだろう。



「覚醒するまではその首輪で言うことを聞かせて、覚醒するか、神の力で反抗しようものならボンッ、ってところかしら」



 手段としてはわからなくもない。敵性神や転生体の反乱を抑えつけることだけを考えたなら、実に効果的であると言える。


 しかしそれは転生体を人間とみなしていないということだ。


 転生体の居場所を創ることを目的としている輝にとって、その考えは受け入れられない。



「カティアス!」



 張りつめた子供の声。木の棒を持って敵意を剥き出しに輝を睨みつけている男の子がそこにいた。歳は十二くらいか。その後ろには同い年くらいの女の子がいる。


 二人とも継ぎ接ぎだらけの服に身を包んでおり、この子供と同じ暮らしをしている子供だということがすぐにわかった。



「お前、カティアスに何したんだ!」



 どうやら助けた子供はカティアスというらしい。好都合だ。



「貴族に暴力を振るわれていたから助けただけだ。お前はこの子の知り合いだな? この近くに手当てができる場所はないか?」


「助けた? 本当か? ウソじゃないだろうな?」


「嘘をついて何になる? 警戒するのはわかるがこっちの質問にも答えてくれ」



 傷が痛むのか、カティアスから時折苦しそうな呻き声が発せられる。



「カティアスっ」


「あ、おいキャシー」



 苦しそうな声にいても立っても居られなくなった女の子――キャシーは男の子の制止を振り切ってカティアスに駆け寄った。



「ああ、ひどい……こんなに怪我して……痛かったよね? 怖かったよね? もう大丈夫だからね。アレックス! 先に教会に戻って神父様たちに手当ての準備をしてもらって! アタシはカティアスを連れて帰るから」


「なっ、お前表のやつらの言うことを信じるのかよ!?」


「早く!」



 アレックスと呼ばれた男の子は反発するが、キャシーはまともに取り合わない。



「わ、わかったよ……おい、お前ら、キャシーとカティアスになんかしやがったら承知しないからな!」


「早く行く!」



 追い立てられるように走り出そうとするアレックス。しかしいくら先行したところで子供の足などたかが知れている。



「アルフェリカ、その二人を運んでくれ。俺はこの子を運ぶ」


「了解」


「きゃあっ!?」


「おい何すんだ!?」



 アルフェリカがアレックスとキャシーを両脇に抱えると神名の刻印を全身に巡らせた。


 青白く発光するその輝きに二人の子供は驚愕を示す。



「教会ってのはどこにあるの? 道案内お願いね」


「あっち!」



 キャシーはすぐに驚きから立ち直り、ナビを開始した。しかしアレックスはまだ混乱しているようで――



「お、お前も転生体なのか!」


「ぎゃーぎゃー騒がないの。舌噛むわよ!」


「なんだと偉そうに――ぎゃああっ!?」


「きゃああああっ――――っ!?」



 神の力を行使した超加速に子供二人の絶叫が木霊する。


 輝も身体能力を【強化】してその後を追った。

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