新雪の乙女⑪
夜を迎えてレイは自室で休息を取っていた。外れにあるこの家には都市の
あの後、輝とアルフェリカはすぐに宿へと向かった。イリスも巡回に戻り、残った二人で夕食を済ますとティアノラはいつものように研究室に
洗い物を終えてシャワーで一日の汗と汚れを洗い流したレイも購入したばかりの本を読むために自室に戻ることにした。
一度読み始めてしまえば時間はあっという間で、気づけば日が変わろうとしていた。
「そろそろ眠らないといけませんね」
半分以上読み終えた本を閉じて部屋の灯りを消した。暗闇の中ベッドに横になると急に疲労が押し寄せてくる。それに心地良さを感じながら今日の出来事を
より鮮明に思い起こせるのは都市を案内した時間。男性と二人きりで歩けたことが自分でも驚きだった。
初めは怖かった。出会った時、あの蒼い眼が帯びた輝きは今まで何度も向けられたものと同じものだった。
しかしそれは瞬く間に消失した。輝きは欲に塗れることなく理知的な輝きを取り戻した。
びっくりした。今まで欲望に囚われなかった男性は見たことがなかったから。
それがあったから少しだけ勇気を出すことができた。
それでも二人だけで家を出たときは不安で押し潰されそうだった。彼と二人きりということだけではなく、たった一人で大勢が行き交う都市を歩くことが恐ろしかった。指先の感覚はなくなって身体は緊張で震えっぱなし。ただ歩くだけの行為にひどく労力を必要とした。
けど彼は違った。今まで異性に向けられたいずれとも違う眼差しだった。
あれがどういうものなのかレイにはわからない。
嫌な感じはしなかった。全ての男性にある下心というものが感じ取れなかった。
男性にとって自分は愛欲と肉欲の対象。自分にとって男性は恐怖と畏怖の象徴。
では彼にとって自分は? 自分にとって彼は?
(んぅ~、変わってるよねぇ、あの輝って男ぉ)
頭に響く間延びした声。媚びるような甘い
生まれてよりずっと共にある存在。悪意はなく、されど善意もなく、無邪気に、無垢に、ただただ快楽と愉悦を貪る神。
「……エルキスティ」
知らず憎悪すら込められた声で神の名を呼んだ。
自分が男性を恐怖するようになったそもそもの元凶。彼女さえいなければ【魅了】の魔眼など持つことはなかった。普通の生活ができていたはず。
(こわぁい。大丈夫よぉ。私は貴女になぁんにもしないからぁ。私は見守るだけ。貴女が愛し、愛される様をね。私の力、存分に使っていいからねぇ)
フラッシュバック。
「いや、です……」
(どぉしてぇ? 私の力で貴女は全てに愛されることができるのにぃ。あの男に愛してもらうことだって出来るんだよぉ? まぁ他の男と違って少し骨は折れそうだけどぉ)
目が合った時に垣間見えた蒼眼。そこに浮かんだ輝きは今まで自分を傷つけてきた男と同じモノだった。
でも彼は違う。本能に塗れた輝きはすぐに消えて理知的な輝きに変わった。
彼は自分を一人の人間として扱ってくれた。対等に接してくれた。見下ろすことなどなく、自分を尊重してくれた。
全てを自分に決めさせようとするところはとても厳しいと感じたけども、それは自分のことを考えてくれているからだと思うことができた。
「黒神様は、そんな殿方ではありません」
そうは思っていても彼と接するのもやはり怖い。だけど他の人よりも怖くない。
だからほんの少しだけ勇気を出すことができる。彼と一緒にいれば、もしかしたら克服することができるかもしれない。こんな自分を変えることができるかもしれない。
彼までもが自分を傷つけた者たちと同じだなんて考えたくもない。
(そっかぁ、気になってるんだぁ? あの男のことが)
「気に、なっている……?」
レイの呟きには答えず、エルキスティはくすくすと笑う。
(それもいいよぉ。貴女の力で愛してもらいなさい。それも面白いわぁ。邪魔なんてしないから安心してていいよぉ)
そう告げるとエルキスティは沈黙した。呼びかけても応じる気配はなく、レイは諦めて思考を切り替えた。
レイは自分が嫌いだ。怯えてばかりいる自分が嫌いだ。誰かに守ってもらわないと外を歩くことすらできない自分が嫌いだ。克服しなければいけないと思いながら、何もしない自分が情けなくて、いつまでも自立できないことが惨めで、そんな自分が嫌で嫌でたまらなかった。
変わらなければならない。変わりたい。今のままでいいはずがない。
明日も彼に会う。明日はもっと勇気を出してお話ししてみよう。
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