新雪の乙女⑩


 燃えるような夕暮れの赤と間近に迫った夜闇の黒が混じり合う空。地平の向こうに沈みゆく太陽が一日の終わりを告げつつあった。



「もうっ、どこ行ってたのよ輝!」



 ティアノラの家に戻った輝たちを出迎えたのは家主ではなく、ご立腹のアルフェリカだった。置いていかれたことが不満だったらしく、両手を腰に当てて口を尖らせている。



「悪かったよ。レイに都市を案内してもらってたんだ。ほら、今日の宿とか確保するにも場所を知っておかないと探すところから始めないといけないだろ?」


「だからって、あたしを置いて行かなくたっていいじゃない」


「悪かったって」


「なによー、その言い方」



 まるであしらうような態度の輝に詰め寄るとアルフェリカはシャツの袖をちょんとまんだ。



「……一緒に居るって、言ってくれたじゃない」



 ぽつりと呟かれた不満に気づかされる。


 アルフェリカにとって黒神輝の存在は誇張なしに必要不可欠だ。目が覚めたとき輝がいなかった。それだけのことが彼女にどれだけの不安を与えたか。



「悪かったよ」



 同じ謝罪を繰り返す。しかし言葉は同じでも込めた思いは確かにあり、それはきちんと彼女に響いた。


 うん、と安心したようにアルフェリカは頷いてくれた。



「……イチャつくなら宿でしてくれないかい?」


「い、いちゃついてなんてないわよっ」



 砂糖でも頬張ほおばったかのように吐きそうな顔をするティアノラに、アルフェリカは過剰に反応を示した。からかわれているだけだというのに。



「はいはい。で、レイとのデートはどうだった?」


「デートじゃありません!」



 聞かれてもいないのに誰よりも早くイリスが否定した。その即答は是が非でもあれがデートだったなど認めないという思いが如実に現れている。



「まあそれは後で本人に聞くといいさ。俺は楽しかったよ」



 そう言った途端にイリスとアルフェリカが半眼になった。イリスはともかく、どうしてアルフェリカまでそのような顔をするのか。



「ほっほう。それは結構。よかったなレイ。輝はあんたとのデートが楽しかったってさ」


「えっと、その……きょ、恐縮……です」



 ニヤニヤと笑うティアノラに水を向けられたレイはもじもじと身体を揺すっていた。最初に会ったときより表情も多少和らいでいるように思える。


 ティアノラもそれを感じ取ったのか、優しげな表情を浮かべた。



「ああ、そうだ。あんたらの車だけどね、痛んでる部品がいくつかあるらしいんだが、どうも希少な部品も使ってるようでね。取り寄せまで含めてメンテにひと月ほどかかりそうだ」


「そんなにかかるのか」


「そりゃあれだけカスタマイズされてりゃね。ありゃ車の形をした家だよ。よくあんなもん手に入れられたね。理想郷アルカディアででも買ったのかい?」


「そんなところだ」



 妙に設備が充実していると思っていたら改造されていたのか。自分たちが都市を追放されることを想定していたわけでもないだろうし、いったい何のために改造したのだろうか。



「そうかい。でだ、これ関係で『鋼の戦乙女』アイゼンリッターに依頼したいことがある」


「どうせ部品の調達でしょう? 博士、私たちを便利な使いっ走りだと思っていませんか?」


「違うのかい?」


「違いますよ!」



 ケラケラと笑いながらティアノラはイリスにメモを手渡した。それを読んだイリスは何度か瞬いた後、ごしごしと目をこすってジーッと穴が開くほどメモを見つめる。



「博士、これ桁間違えてませんか?」


「いいや? 実際の購入額は多少上下するだろうが、大体そんなもんだよ」


「いやおかしいですよこの金額! なんですかこれ! 二、三ヶ月は遊んで暮らせますよ! あ、ちょっと輝様!」



 慌てふためいているイリスからメモを取り上げて輝とアルフェリカも目を通す。そこに書かれている金額に思わず唸り声が出た。



「心配しなさんな。支払いはこっちでやるから。恩人の財布は傷めないよ」



 手をひらひらさせながら、なんでもないことのように言い放つティアノラ。しかしいくら助けた謝礼だからと言って、この額をおいそれと支払わせるのは躊躇ためらわれる。



「いや、ちょっとこれは受け取れない。さすがに額が大きすぎる。部品交換までしなくても、ある程度の整備だけで充分だ」


「そりゃやめときな。これからも旅を続けるならここできちんと整備しておかないと、遠くないうちに魔獣に襲われて壊されるよ、あれ」



 輝もそれは理解しているが故に反論できなかった。


 丈夫な車ではあるが壊れないわけではない。痛んでいる部品が見つかったなら直しておくのが正しい。これからも都市の外で生きていくなら、安全を確保するこの車は必須だ。


 金を惜しんでリスクを上げるのは愚の骨頂だ。



「わかった。けど俺たちもいくらか持たせてくれ。これじゃあこっちが引け目を感じる」


「そんなの気にしなくていいってのに。律儀だねぇ。でも結構な金額だよ? そんなに手持ちがあるのかい?」


「手持ちの魔力素マナ結晶を換金するのと魔獣を狩ればある程度は」


「そうかい。そっちがそう言うなら止めはしないよ」


「気を遣わせて悪いな」


「構わんさ。出費が抑えられるからあたしとしちゃ悪くない話だからね。あんたたちの気がそれで済むって言うなら止める理由もない。上の方にギルドがあるから明日イリスに案内してもらいな。イリス、部品の注文をついでに頼めるかい?」



 それを聞いたイリスがあからさまに嫌そうに顔を歪めた。



「えー、また輝様と行動するんですかぁ」


「そんなこと言って、実は輝と一緒で嬉しいだろ」


「嬉しくないですぅ。レイちゃんと比べたら雲泥の差です。輝様なんてまさに地面で薄汚れた泥みたいなもので――ひいっ!?」



 まるで幽霊でも見たかのようにイリスが青褪あおざめた。その原因は言うまでもなくアルフェリカだ。笑顔だが全く笑っていない目がイリスを捉えて離さない。下手なことを口走ろうものなら再び制裁を受けることになるだろう。


 頬をつねる程度なら可愛いものだが。



「わーい、輝様とご一緒できるなんて嬉しいですー」


「無理しなくていいからな、イリス」


「ムリシテナイデスヨー」



 カタコトだった。よほどアルフェリカのことが怖いらしい。レイの次はイリスのアルフェリカ恐怖症を改善するために手を貸すことになるのだろうか。


 もうその辺に、とアルフェリカの肩に手を置く輝。


 それでいつものアルフェリカに戻った。



「レイはどうする?」



 輝が尋ねると彼女は大きく肩を震わせた。


 力になると言ったからには継続してレイと接していくつもりではある。しかしあくまで本人の意思によるものでなければならない。


 長い沈黙。レイは何度か口を開きかけるが言葉になるには至らなかった。


 沈黙に耐えかねたティアノラが頭を掻き毟りながら口を開く。



「あー、すまんが上にはレイは――」


「は、はい。ご一緒……させて、ください……」



 断ろうとしたティアノラを遮ってレイは同行を申し出た。


 それが予想外だったのかティアノラは目を丸くする。



「いいのかい? 上はあんたにとって……」


「はい……でも、少しだけ、頑張ってみます」



 ティアノラは腕を組んで悩む素ぶりを見せた。事情を知らない輝は彼女がなぜ悩むのか知る由もない。



「よし、なら行っておいで。ただし無茶しなさんな」


「ありがとうございます、博士」



 レイは輝に向き直る。相変わらず目は逸らしたままだがそれでも――



「……黒神様、明日も……よ、よろしく……お願いします……」



 レイは己の言葉で静々しずしずと頭を下げた。二人のやり取りは気になったが、本人が望むのなら応じるのみだ。



「ああ、こちらこそよろしく頼む」



 その隣。何かを堪えるようなイリスの悲痛な表情だけが、少し気がかりだった。


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