新雪の乙女⑨
アンジェラに挨拶して市場を離れた三人は引き続き都市を練り歩く。
居住区画に行けば子供たちの元気な姿が見え、宿屋や飲食店が並ぶ区画では『オフィール』に立ち寄った行商人や地元住民たちで賑わっている。教会の前を歩けば落ち葉の清掃しているシスターが柔和な微笑みで挨拶をしてくれた。
『アルカディア』とは一味違う、けれども平和な景色を見ていると知らず穏やかな気持ちになる。
「なにニヤニヤしてるんですか。気持ち悪いですね」
「お前は本当に口が悪いな」
隣を歩くイリスがジト目で
「安心してください。レイちゃんに近づく男にはいつもこんな感じですので。輝様を特別扱いしているわけじゃありません」
「お前、他の男にも斬りかかってるのか?」
「……前言撤回です。輝様は特別なんです。なので輝様だけです」
「そんな特別扱い嬉しくない」
イリスを挟んで歩くレイは何ともわかりやすい愛想笑いを浮かべて、二人のやりとりを見ている。
愛想笑いとはいえ笑顔は笑顔。イリスが入ってからレイも多少は硬さが取れたようだ。
「でも輝様は虫除けとしては最高ですね」
イリスは周囲を見渡しながら感心したように呟いた。レイに色目を使う男たちは輝に視線を向けられるとサッと顔を逸らしていく。歩いている間もう何度繰り返したかわからない。
「文字通り睨んでいるだけだぞ。誰でもできることだろ」
「私だって同じことしてますよ。でもここまでの効果はないです。剣を抜けば簡単ですけど、守るべき人たちに剣を抜くわけにはいきませんし」
「是非その意識を俺にも適用してくれると助かるよ」
「前向きに検討して善処します」
絶対しないな。これは。
「私が睨んでも効果薄いんですよ。何でしょうね。女で小さいから舐められてるんですかね」
「確かにイリスに凄まれても迫力には欠けるかな」
「む、なんでですか。これでも私、騎士としてそれなりの実力はあるつもりですよ」
「でもイリスも可愛らしいからな。可愛い女の子に睨まれてもあまり怖くない」
「……もしかして口説いてます?」
「口説いてない」
「なるほど、私を
「そんなことも考えてない」
何でもレイに繋げるな、この娘。
「というかお前、恋人はいないのか?」
「いません。告白されたことは何度かありますけど、ついこの前もフってやりました」
「隅に置けないな。どうしてフッたんだ?」
「その男の場合は、さっき言った通りですよ。レイちゃんが目的で私に近づいてきたんです。見え見えでしたね。浮気されるとわかってて頷くわけないじゃないですか。そもそもタイプでもありませんでしたし」
その時のことを思い出しているのか、イリスは憮然と続ける。
「女を舐めてるとしか思えませんよ。何が君を守る騎士になりたい、ですか。気持ち悪くて総毛が立ちました。私は曲がりなりにも騎士です。守り手であって守られる姫ではありません。しかも、私に気持ちが向いているならまだしも私を見てないときた。侮辱も良いところです……ってレイちゃん、その顔はなによぉ」
「ふふ、イリスが愚痴を零すところが珍しかったものですから」
微笑むレイに指摘されたイリスはほんのりと頬を染めた。照れ隠しなのかレイではなく輝を睨む。
レイを見ると視線が合った。途端、彼女から笑みが消えて強張った表情になってしまう。
親密度の差を見せつけられた気がする。過ごした時間も違えば、異性という大きなハンデがあるのだから仕方がないのかもしれないが、それでも割と傷ついた。
イリスの勝ち誇った顔が妙にイラっとくる。
「お、レイちゃんじゃないかい! ちょうど良かった。この前に注文もらった本が入ったよ! 持っていくかい?」
近くの店からレイを呼ぶ声が聞こえて振り返ると恰幅の良いおばさまが手招きしていた。どうやら本屋のようだ。
「本当ですかっ。あ、でも……」
いまは輝に都市を案内している最中。私用で寄り道をすることに抵抗があるらしい。
「気を遣わなくていいよ。また改めて来るのも手間だろ?」
「ありがとうございますっ。すぐに戻りますのでお待ちください」
はっきりと礼を告げるレイに輝は少し面を食らった。
いま見せてくれた表情が彼女の自然体なのかもしれない。
レイは小走りでそのおばさまと本屋に入っていく。てっきりイリスも追いかけるかと思ったのだが、予想に反して輝と一緒に残った。
「レイって本が好きなのか?」
「レイちゃんの好みのリサーチですか? 私が簡単に教えるとでも?」
「そういうのいいから」
「……そうですね。レイちゃんは結構な読書家なので本を読むのは大好きですよ。ジャンル問わずいろいろ読むみたいですし」
「ふーん」
「なんですかその生返事。聞いた割に興味なさそうですね」
「そういうわけじゃないよ。ただ、俺と話すときはいつも小さな声だったから、ああいう感じで話すこともできるんだなって」
「女の子だけの場ならレイちゃんはちゃんと話しますよ。ティアノラ博士に至ってはレイちゃんに頭が上がらないことだってありますから。まあ普段はお淑やかな感じで話すので、いまみたいな弾んだ声は私たちでもあまり聞きませんけどね」
輝とちゃんと話せないのは苦手な異性だから。その輝の前でもそうなるということは、それだけ本が好きなのだろう。
「でも輝様は他の男の人とは違うと思います」
どこか面白くなさそうにイリスはそう言った。
「レイちゃんは男の人とはほとんど話せません。私たちと一緒にいるときだって、レイちゃんの意思を伝えるときは私たちが代弁することがほとんどです。でも輝様と一緒にいるときは自分で話をしてました。だからレイちゃんにとって輝様は他の男の人と何か違うんです」
「【魅了】の効果が薄いからだろ」
他の男よりも警戒してなくていい。だからこそ接するときの心理的なハードルがいくらか低くなる。それが多少なりとも話せるという結果に繋がったのだろう。
輝のその解釈をイリスは首を横に振って否定した。
「レイちゃんが男の人と話せないのは男の人が怖いからです。【魅了】の効果が薄いと言っても全く効かないわけじゃないですよね? どんなに人を襲わないように訓練されたケダモノでも、襲いかかってくるかもしれないと思ってしまいます。それだけで充分に怖いものです」
「訓練されたケダモノってなんだよ……」
暗に自分のことを言っているとわかり、輝はぼやいた。イリスは無視して――
「怖いはずなのにレイちゃんは輝様とは会話することができてる。だから訊いているのです。どうやって
輝を見上げる瞳に帯びた雰囲気が変わる。今までのようなふざけた空気はなく、張り詰めた緊張が周囲の喧騒から二人を切り離した。
たかが会話をした程度でなにを。そう一笑に伏すには彼女の表情は真剣すぎた。
それだけレイが抱えているものは深い。それだけイリスが抱く想いは強い。
――もし、貴方もレイちゃんを傷つける人であるなら。
そう告げられた気がして、
「なにもしていない。ティアノラに頼まれ、レイが意思を示した。俺はそれに手を貸しているだけだ。けど力になりたいという思いに偽りはない」
「わかりました」
一つ、頷くとイリスは正面の本屋に向き直った。
「やけにあっさりしてるな」
「伊達に多くの男の人に言い寄られているわけじゃありませんよ。男の人のウソなんて目を見ればわかります。輝様はウソをついているように見えませんでしたから、その言葉を信じます」
目を見れば嘘がわかるとはまるでアルフェリカのようだ。
「レイちゃんがどうして男の人を怖がるか知っていますか?」
無言で首を振る。想像はついている。しかし踏み込んで聞いてはいない。
「俺が聞いていい話なのか?」
「私が話していい話ではありませんね。ですのでこれだけ知っておいてください。レイちゃんは男の人に酷い目に遭わされました」
「想像はできる」
異性を惑わす【魅了】を持った少女。男に何をされたか想像するのは難しくない。
「輝様がどこまでを思い描いているかわかりませんが、おそらくその上をいきます」
あるいは下ですかね、とイリスは乾いた笑みを浮かべる。しかしその目に浮かんでいるのは静かな怒りだった。
なぜレイが男性恐怖症になったのか。イリスが知っているのは間違いない。だがそれを輝に話すつもりはないらしい。
それはそうだ。会ったばかりの人物に輝が踏み込まないように、相手も会ったばかりの輝を踏み込ませるわけがない。それだけの信用がまだお互いにはないのだから。
「一つ、誓ってくださいますか?」
「なにを?」
「レイちゃんを傷つけないということです。先ほどの言葉をウソにしないということです。レイちゃんが前に進もうとしているのは私もわかっています。だけどこれ以上レイちゃんが傷つくところを私は見たくありません」
輝を見る眼差しはただ真摯に願っていた。友人の平穏を、幸福を、ただ願っていた。
「誓おう。黒神輝の名において」
悩む必要も考える必要もない。当たり前のようにイリスの願いに誓った。
「軽く聞こえますね。ちゃんと理解していますか?」
「そう聞こえたか? だとしたら残念だ。嘘は見抜けても男を見る目はないみたいだな」
「む」
「俺は誓いを軽んじない。誓いを折るときは自分を殺すときだ。こうして誓った以上、俺はレイを傷つけることはしない」
なんて酷い
ならば、どうして二度目がないと言い切れる。
それでも誓いに偽りはなく、根幹にあるのは一つの想い。
――殺してしまった人よりも多くの人を救う。もう涙を流す人がいなくなるように。もう傷つく人がいなくなるように。
過去に失敗しているからといって救う努力を放棄していいはずがない。
「その言葉も信じます」
輝の返答を聞いてイリスは穏やかに微笑んだ。
「あっ、もうレイちゃん待ちくたびれたよーっ」
本屋から出てきたレイを見つけるや否や駆け寄っていくイリス。ぶんぶんと振られる尻尾が幻視できるほど見事な忠犬ぶりだった。
「お、お待たせ、して……申し訳、ありませんでした……少し、話し込んでしまいまして……」
イリスに抱き着かれながら戻ってきたレイはびくびくと身体を強張らせていた。時間が経って興奮が冷めたらしく、すっかり元に戻ってしまったようだ。
「気にするな。その本、楽しみにしてたんだろ?」
「え、あ、は、はいっ」
「なら今日はもう戻ろう。早くそれ読みたいだろうし」
大事そうに抱えられた紙袋には既に開封された跡がある。もしかすると話し込んだというのは方便で、実は待ちきれなくてつい読み込んでしまったのかもしれない。
「いい、のですか……?」
「見ておきたいところは大体まわれたからな。充分だよ。今日はいろいろと疲れただろ? 俺と一緒にいるだけでも辛いだろうに、無理して案内してくれてありがとう」
「い、いえ、そんな……」
礼を言われたことにレイは恐縮してしまう。
「まったくです。輝様にはお礼として甘味物を所望します」
「別にいいけど、レイは早く帰りたいだろうから俺と二人になるぞ」
「あ、じゃあいいです」
「おい」
レイがいなくなると聞いた瞬間、即答でお断り。謝礼を要求しておきながら小生意気な。
「まったく……」
嘆息しながらティアノラの家を目指して輝は歩き出す。
視界の端でレイが肩を震わせながら笑いを堪えているのが見えて、輝は本日の目標が達成できたことに満足した。
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