新雪の乙女⑦


 輝たちはティアノラの自宅に招かれることになった。


 活気に満ち溢れた石の街を抜けた先。都市の外れにひっそりと佇む煉瓦の家。小さな畑があり、数種の野菜が栽培されている。風が吹き抜ける広い庭には洗濯物が干されていて、まるで農村にある家のようだ。


 『鋼の戦乙女』アイゼンリッターの三人とは道中で別れることになった。何でも本日の活動を報告する義務があるらしく、一度本部に戻らなければならないということらしい。



「いいですかっ! レイちゃんには絶対に近づいたらダメですからね!」



 別れ際、イリスにはそのように再三の忠告をされた。


 そして生意気な口の聞き方に気を悪くしたアルフェリカが頬をつねる制裁をイリスに加えて一悶着。しかしイリスは涙目になりながらも輝への忠告を止めることはなかった。


 それだけレイのことを心配しているということだろう。根にあるのはレイへの思いやりだ。口の悪さくらい目をつむってやればいい。


 そんなこんなでこの場にいるのは輝、アルフェリカ、ティアノラ、レイの四人だけとなった。



「我が家へようこそ。輝、アルフェリカ。大したもてなしはできないが、まあゆっくりとくつろいでくれ」



 ティアノラに続いて木製のドアをくぐると木の暖かみに溢れる空間が広がっていた。


 部屋の中央に置かれた木製のテーブル。奥にはキッチンがあり、アンティーク調の棚には食器が並べられている。そして目を引くのが大きな暖炉。所々に付着している煤が現役であることを告げていた。



「とりあえず座っとくれ。レイ、茶を頼めるかい?」



 頷いてキッチンへと消えるレイを見送りながら、ティアノラは椅子を引いて輝たちに座るよう促した。お言葉に甘えて二人はそこに隣り合って座り、ティアノラは対面に腰を下ろす。



「改めて礼を言わせてくれ。危ないところを助けてくれたことを感謝するよ」


「実際に助けたのはアルフェリカだ。礼なら彼女に」


「助けると言ったのは輝よ。お礼なら輝に言って」


「感謝してるのはあんたたち二人にだよ」



 譲り合う二人にティアノラは苦笑を漏らした。それもそうだ、と輝は思う。



「けど、あの人数で外に出るのはいくらなんでも無茶が過ぎる。今回はたまたま俺たちが通りがかったから良かったけど、全滅してもおかしくなかったぞ」


「だねぇ。今回のはあたしも反省してるさ。『鋼の戦乙女』アイゼンリッターを三人しか連れて行かなかったのは確かに失敗だった。レイがいるとはいえ、ちょいと過信が過ぎたねぇ」


「レイがいるから? ……ああ、そういえば――」



 キッチンに立つレイの後ろ姿を一瞥する。転生体として持つ力は【魅了】だけではないということか。



「ここって地下があるの?」



 ティアノラの背後に見える階段を見てアルフェリカは尋ねた。二階へ向かう階段の他に下へ向かう階段もある。



「ああ、地下にはあたしの研究室があってね。言ったろ? あたしゃ研究者だからね。気になるなら覗いてみるかい?」



 こちらが返答する前にティアノラは立ち上がって階段を降りていってしまう。どうやら見せたいらしい。仕方なく彼女を追って階段を降りた。


 木材の温かみとは正反対の無機質な階段。壁も床も天井も鋼鉄で覆われた冷たい空間。


 蛍光色の明かりが室内を照らす。



「汚ったない」



 研究の資料、メモ紙、割れた空き瓶、薬品の入ったアンプル、機材のコード、弁当の空箱、飲みかけの容器、埃、ゴミ、塵芥、その他諸々。足の踏み場もない。色々な匂いが混ざって胸焼けすらしそうだった。


 ここは同じ人物の家なのだろうか。



「し、失敬な。これは計算され尽くした配置の結果だ。必要なものが必要なところに、素早く効率的に手に取れるように整理されているんだよ」


「整頓できない人ってそういうこと言いそうよね」


「ぐうっ」



 辛うじてぐうの音は出た。言い訳している自覚は本人にもあったようだ。



「でもあっちの部屋は綺麗なんだな」



 フォローも兼ねて輝は指差した。奥に大窓があり、さらにその向こう側にもう一室がある。こちら側の部屋と比べて物らしい物はほとんどない。あるのは無機質な台と隅に並べられた多様な機械。繋がれたコードが床で蜷局とぐろを巻いている。



「あっちは実験室だね。実験に必要なもの以外はあっちにゃないからね。綺麗なもんさ」


「つまりこっちは不要なものがたくさんあるから汚いと」


「……ほっといとくれ」



 スッと視線を逸らすティアノラ。


 そのとき、バサバサと積み上げられた資料が崩れ落ちる音がした。


 何事かと振り返ればアルフェリカが両膝をついている。苦しそうに胸を掴み、ヒューヒューと細い音が彼女の喉から漏れていた。



「アルフェリカっ」



 すぐに駆け寄り、過呼吸に陥ったアルフェリカの手を握って瞳を覗き込んだ。


 気が回らなかった自分の愚かさが頭にくる。


 実験室と聞いた時点でアルフェリカを連れて部屋を出るべきだった。ここには彼女のトラウマを想起するものがたくさんあるとなぜ思い至らなかった。



「大丈夫だ、落ち着け。ここには俺がいる。お前はもう一人じゃない」


「はっ……はっ……はっ……はっ……」



 握った手は死人のように冷たかった。目の焦点は合っておらず、輝を認識できていない。声もおそらく届いていない。地上にいながら酸素を求めて喘ぎ、酸素の過剰摂取で症状が悪化する悪循環。


 どうすればいい? 自分に何ができる?



「こりゃ仕方ないかねぇ」



 焦燥に駆られる輝とは対照的な間延びしたティアノラの声。棚からシリンジを取り出すと、おもむろにアルフェリカの首に突き立てた。



「何を――」



 輝が全てを言い切る前にシリンジ内に入っていた透明な液体が彼女の体内に流し込まれてしまう。


 すぐにアルフェリカの様子に変化が表れた。呼吸は落ち着きを取り戻し、強張っていた身体からは力が抜け、彼女の重みを輝の腕が全て預かる。



「眠……ってる?」



 アルフェリカの呼吸は規則正しい。いつもの寝顔と何ら変わりがない。



「安心しな。ちょっと強めの鎮静剤だ。副作用で強い眠気を誘発するが害はない。レイもたまにそうなるからね。手に負えないときのために常備してるのさ」


「レイも……?」


「わかるだろう?」



 輝の疑問には答えず、空になったシリンジを弄びながらティアノラは階段を上がっていく。



「とりあえず、あたしの寝室を貸すからそこで寝かせてやるといい。こんなすぐに眠っちまうってことは、よっぽど疲れてたんだろ」


「ああ、助かる」



 静かに寝息を立てるアルフェリカを抱きかかえ、輝もその後を追った。


 案内された部屋にアルフェリカを寝かしてきた後、輝はティアノラとリビングに戻った。


 いつもは微かな物音で目を覚ますアルフェリカがずっと目を閉じたままだった。あの様子だとしばらくは目を覚まさないだろう。


 せっかく眠れているのだ。自然に目を覚ますまで待っていよう。



「しかしあんたたち、訳ありだとは思ってたけど存外根が深そうだね。根掘り葉掘り聞いてもいいかい?」


「転生体が実験室と聞いてああなった。そこから察してくれ」


「そうかい。なら興味本位で聞くのはやめたほうが良さそうだ」



 要請通り察したティアノラは笑みを消して不快そうに眉をひそめた。話が早くて助かる。



「あ、あの……どう、ぞ……」


「ああ、ありが――」



 まずいと思った時にはすでに遅かった。淹れたてのお茶を出してくれたレイに礼を言おうと無意識に顔を上げたとき、翡翠の瞳を至近距離で見つめてしまう。


 湧き上がってくる衝動。心臓が脈打ち、身体が熱くなる。飢えにも似た渇きに襲われ、今すぐにでも彼女を喰らって、この渇きを潤したくて堪らなかった。


 しかし本能に赴くままにそうしたのでは獣の所業。輝は欲望を意志で律し、体内に魔力を巡らせて【抵抗】レジストした。



「ほぉ」



 感嘆はティアノラのもの。レイは輝の反応を見て後ずさる。


 当然だ。彼女からすれば輝の反応は恐怖の前兆。怯えた表情がその証左に他ならない。



「悪い、もう大丈夫だ。ありがとう」



 目は合わせられないが、可能な限り彼女の顔を見て礼を告げる。目を合わせなければどうということもない。ただ魅力的な女性というだけだ。



「は、はい……」



 レイの警戒を解くには至らない。それでもある程度の安心感は与えられたと信じたい。


 お茶を配り終えると、レイはティアノラの隣、輝の対角線上の席に腰を下ろした。


 うつむいたまま、まっすぐカップに視線を落としている。それは微動だにせず、輝が視界に入ることを恐れているようにしか見えなかった。



「なあ、俺はいないほうがいいんじゃないか?」



 アルフェリカは置いていくことになるが目覚める頃にまた訪ねればいい。それよりもこのままレイを怯えさせ続けるのは忍びない。


 そう切り出した輝に返答したのは意外にもレイ本人だった。



「い、いいえ……そのようなことは、ありません……く、黒神様は、私たちを助けてくださいました。その、お礼を……させてください……」



 声は今にも消え入りそうでたどたどしい。本心はどうであれ輝の目には無理をしているようにしか映らない。



「レイもこう言ってるんだ。あんたが気にすることじゃないよ」



 難しいことを言う。そもそも礼が欲しくて助けたわけではない。無理をしている素振りを見せられている方が余計に気を遣う。


 顔に出ていたか、ティアノラは困ったような表情を浮かべて――。



「頑張って克服しようとしてるんだ。少し、付き合ってやってくれないか?」



 輝を見つめるティアノラの目は至って真剣だった。レイの自立を願う慈愛的な願い。


 その願いを蹴るのはもっと難しかった。


 異性を見たときのレイの怯え様。【魅了】の力。彼女の周りが同性で固められていること。


 過去に何があったのかは容易に想像がつく。


 それを乗り越えようと勇気を振り絞っているというのなら。



「わかった。俺にできる範囲であれば力を貸すよ」


「おおっ、そりゃ本当かい!?」


「できる範囲でな。できるだけレイとコミュニケーションを取るようにするよ。まずは俺で耐性をつけてもらう。スタートはそんなところか。ただしレイが根を上げたらそれで終わりだ。無理強いしたところで悪化するだけだろうからな」


「むしろありがたい。こっちからお願いしたいくらいだ。レイもそれでいいかい?」



 レイは答えられない。


 異性と接することは彼女にとってとても勇気を必要とする。その話を他人がどんどん進めていく。本人の覚悟が伴わない決定に、簡単に頷けるはずがない。



「改めて強調するけど俺は無理強いをするつもりはない。嫌だと思ったら――嫌に決まってるだろうけど、できないと思ったらやらなくてもいい」



 だけど、と輝は続ける。



「変わりたいと、変わらなければと、少しでも思っているなら俺が手を貸すよ」



 踏み出すかどうかはレイ次第。輝がするのは手助けだけ。それ以外のことをするつもりはないし、しては意味がない。


 ティアノラは何も言わない。答えなければならないのはレイだから。



「は、はい……」



 数分かけて、白い顔をさらに白くしながら、それでもレイは頷いた。



「よ、よろしくお願い……します」


「こちらこそよろしく頼む、レイ」



 レイがこちらを向いたので輝は微笑んだ。


 協力を承諾したとはいえレイと行動を共にする以上、彼女の【魅了】に抗うことは大前提。もし【魅了】されてしまえば彼女の心に傷を増やしてしまう。


 それでは本末転倒だ。



「で、具体的にはどうしようかね。このままいっそ二人で都市でも見て歩いてくるかい?」


「それはいくらなんでも急ぎ過ぎだろ」



 レイも顔を青くしている。


 異性である輝と一対一。しかも外には都市に住む異性も大勢いる。レイからすれば獣ばかりの場所に一人で出向くのと何ら変わりないはずだ。


 不安要素しかない。



「ははは、そうかもね。レイはどう思う?」



 拒否されるだろうけど一応聞いてみよう程度の軽い気持ちで意思確認をするティアノラ。



「……わかり、ました」



 驚いたのはティアノラだ。



「お、おお……あたしから言っといてなんだが、大丈夫かい?」



 本当になと輝は思った。しかしレイは不安そうにしながらも小さく頷いて見せる。



「は、はい。頑張って、見ようと思います」


「そうか。わかった。頑張るんだよ」



 ティアノラは優しい微笑みをレイに向けた後、輝に向き直って真剣な面持ちで。



「そういうことだ。どうか、レイをよろしく頼む」


「わかったよ」



 レイへの負担が心配だが、誰に強制されるでもなくレイが自ら意思を示した。協力を申し出た以上は拒むわけにはいかなかった。



「レイ」



 輝に呼ばれるとレイは怯えながらも視線を向けた。



「『オフィール』の案内、頼んでもいいか?」


「は、はい」



 やはり消え入りそうな声で、しかし確かにレイは頷いた。


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