新雪の乙女⑥


「ここが『オフィール』か」



 目の前にそびえ立つ開け放たれた大門。都市唯一の出入り口から覗く街並みに輝は感嘆の息を漏らした。


 都市そのものが一つの山脈のような円錐状の都市。頂には王城が佇んでおり、城下の街を見下ろしている。外界を隔絶する北方の石壁は修繕が繰り返された形跡があり、外の危険から都市を守り続けてきたことが見て取れる。南方に連なる鉱山『アイゼン鉱脈』から採れる鉱石や石材がふんだんに用いられた建築様式は『アルカディア』とはまた違ったおもむきがあった。


 『アイゼン鉱脈』は鉱脈や金脈が豊富に眠る宝の山として有名だ。当然の如く『オフィール』では金属の採掘が盛んで、その生産量は世界の約三割を占める。千年以上も採掘され続けてなお数百年は資源が枯渇こかつする見込みはないと言われており、一攫千金を狙って移住する者も少なくない。


 故にこの都市は黄金郷と呼ばれている。枯れない資源で金を生み出し続ける鉱山の都市。


 門の脇には門番が四人立っていた。全員が術式兵装らしき剣を携えているが、魔獣の襲撃に備えるにしては頭数があまりに少ない。この体制で魔獣が襲撃してきたときに対処できるとは思えない。高ランクの魔獣が現れれば都市に多大な被害が出るだろう。



「こんなにも無警戒なのが不思議かい?」



 門を凝視していると横に並んだバギーからティアノラが声をかけてきた。



「そうだな。魔獣に対して無防備過ぎるし、門を通るときにチェックはしてるみたいだけど、ほとんど全員素通りだ。門の意味あるのか?」


「今となってはあまりないね」



 門が門としての意味を成さない。この時代においてそれは危機的状況を意味するが、不敵に笑うティアノラを見る限りどうやら危機意識が低いというわけではなさそうだ。



「となると都市全体を覆っているアレに秘密があるわけか」



 輝が見上げる先にあるのは都市全体を覆うように展開されている障壁のような何か。陽光にも似た色合いで目を凝らさなければ見えないほど薄っすらとした膜だった。


 待ってましたと言わんばかりにティアノラは爛々と目を輝かせた。



「よくぞ気づいた! あれはだね、退魔結界装置っていう機械から発生させている魔獣を退けるための結界さ。魔獣が保有している魔力にはある共通する性質があってね。その性質を持つ物体が一定の距離まで近づくと強力な斥力場を発生させるのさ。斥力の大きさは質量に比例するから大型の魔獣であればあるほど近づくことができない。しかし人は素通りさせるという優れものさ。稼働寿命が約半年で定期的なオーバーホールが必要なのと、一日稼働させるのに手のひらサイズの魔力素マナ結晶を二百個も消費する燃費の悪さが玉にきずだが、それは今後の課題というやつだね」



 ティアノラの説明を聞いて輝は驚きに目を見張った。


 これがあれば魔獣の被害を劇的に減少させることが期待できる。小さな村や集落など、十分な戦力を確保できなくても魔獣から身を守ることができるのだ。開発者当人の言う通り燃費の悪さがネックだが、それを踏まえても世界にもたらす価値は計り知れない。


 輝の反応にティアノラの声が弾んだ。



「どうやらあんたはこの装置の価値が理解できるみたいだねっ」


「すごいな」


「そりゃあ、この大天才であるティアノラ=クーラー様が開発したんだからねっ。これくらいのもんは作れて当然さ。むしろこの程度のことが出来なきゃあたしの夢は叶わない」


「夢?」


「ああそうさ、でっかい夢だ。聞きたいかい? 聞きたいだろ? そうかしょうがない話してやろう!」


「別にそんなこと言ってないんだけど……」



 アルフェリカの冷ややかな呟きもティアノラの耳には届かず、嬉々としてその夢を口にする。



「あたしの夢はそう! 何を隠そう、人と転生体の共存だ!」



 ろくに興味を示していなかったアルフェリカが目の色を変えた。当然、輝も同じ反応を示す。


 それは輝が目指しているものに通じるものがあったから。



「世界的に転生体が恐れられているのは、おそらくあんたたちなら身をもって理解していることだろう。転生体は忌避の対象。恐怖の象徴。産まれたて赤子であっても神名を持つだけで忌み子と呼ばれて社会から切り捨てられる。両親に望まれて生を受けたにも関わらず、だ。よしんば両親がその子を愛しても、周囲はその子を恐れ、憎み、そして排斥する。それでまっすぐ育つ子供がどこにいる? 心はすさんで自分を傷つける人たちを憎むに決まっている。だけど子供にそれに抵抗する力なんてあるはずがない。ならどうするか?」



 そんなものは決まっている。転生体として生まれた子供が持つ唯一の力。



「そうだ。神の力を使うしかない。身を守るために、生きていくために、自分を傷つけようとする人をそうやって排除する。選択肢なんぞそれしかないんだ」



 心を折られてそれすら出来なかった子もいるがね、と僅かばかりに憐憫と悲痛の情を乗せてティアノラは呟いた。



「神の力を振るう転生体を人は恐れる。さらには力を使うほど覚醒体になるのも早まる。敵性覚醒体であれば人を襲う。神の脅威に晒された人はさらに神を恐れる。恐れて神を宿す転生体を排斥する。見事な悪循環だ。『神滅大戦』ディオスマキナ以降、歴史はずっとそれを繰り返している。だけど転生体として生まれた子たちにそんな運命を押しつけるなんてのはあまりに残酷だ。それを断ち切り、ささやかな幸せを享受できる居場所を転生体のために作るってのがあたしの夢ってわけだ。どうだ? なかなかに壮大だろう?」



 同じだった。黒神輝が夢見たもの。〝神殺し〟が共感し、アルフェリカも求めている世界。


 だからこそ、問わずにはいられなかった。



「本当に、できると思っているのか?」



 輝が幾度となく問われてきたこと。目指す場所は遥か遠く、そのカタチすらも未だ目にすることができない。


 ティアノラの不敵な笑み。愚問だと、眼鏡越しに放たれる眼光が答えを示している。



「それが出来なきゃ、天才は名乗れんさ」



 迷いなくそう言い放つ。その表情に一点の曇りもなく、自分はそれを成し遂げられるのだという自信に満ちていた。


 無意識に笑みがこぼれる。助手席のアルフェリカも他人には普段は見せない穏やかな微笑みを浮かべていた。本気でその夢を語っている。それがわかるから。



「道のりはまだまだ長いがね。あの結界装置はそのための一歩だが、大きな問題が一つある」


「問題? 燃費の話とは別か?」


「ああ、見てみるのが早いだろう。レイ、ついて来てくれ」


「はい」



 このまま門を通ればいいはずなのに、ティアノラはレイを連れてバギーを降りた。天才の考えが掴めず輝とアルフェリカは互いに顔を見合わせる。



「輝様もアルフェリカ様もついてってみるといいですよっ」



 ティアノラに代わってイリスがひょっこりと顔を覗かせてきた。驚いたことに出会ったときの警戒心は微塵も感じられず、人懐っこい笑顔を見せている。



「様?」



 驚きから立ち直るべく何とか口を開いたが、出てきたのは尋ねる必要もない内容だった。



「はいっ。お二人は博士の客人で、私たちの恩人ですから。そうお呼びするのは当然です。私のことはイリスとお呼びください。隊長はセリカ、レーネはレーネで良いです」


「さっき輝に死ねとか言ってたのに随分な変わり様ね……」



 不可解なイリスの態度にアルフェリカは訝しげに目を細める。刺すような鋭い眼差しを向けられたイリスは顔を引きつらせたが、それでも笑顔を崩すことはなかった。



「確かに私は輝様に非礼な振る舞いをしました。さぞご気分を害したはずです。しかし輝様はそのような素振りを見せることもなく私を許して下さいました」


「それだけであたしたちを信じられるものかしら」


「私は博士の良いところだけは真似してるんです。お二人と直に接して、悪い人たちじゃないと感じました。私は自分の感覚を信じています」


「取り入ろうと善人ぶってるだけかもしれないわよ?」


「そうなのですか?」



 イリスは首を傾げた。アルフェリカの言っていることを微塵も信じていない。



「変わってるのね」



 透明な視線でイリスを見つめて、アルフェリカは背もたれに身体を預けた。ほんのりと口元に笑みを湛えて。



「けど様っていうのはやめてくれないか? 俺はそんな大層なやつじゃないから」


「命の恩人が大層じゃなければなんだと言うのですか。ほらほら、博士が手招きしてますよ。そんなことはいいから行ってみてください」



 イリスに急かされて二人は仕方なく車を降りる。



「あ、輝様はレイちゃんに近づいたらダメですからね。レイちゃんから五メートルは離れてくださいね」


「わかったよ」



 ブレないイリスに内心で苦笑する。でも許される距離が半分になったということは多少なりとも信用を得ることはできたらしい。


 二人は結界の前で待っているティアノラたちのところへ向かった。



「まったく、この天才を待たせるとは命の恩人というのは良いご身分だね」


「イリス曰く大層なものらしいからな、大目に見てくれ」


「うむ、確かに」



 話しながら視線を流すとティアノラの後ろに控えるレイと一瞬だけ目が合った。


 すぐに顔を逸らされたからか、【魅了】の効果はほとんど受けなかった。目を見続けるのはまずいが、視界に彼女の姿を収めている分には大丈夫なようだ。


 しかしこちらを見ようとしないレイの顔はやはり青白い。どう見ても男性である輝のことを恐れているとしか思えなかった。



「ほぉ、あんたやっぱり凄いやつだねぇ」


「何がだ?」


「いや、こっちの話さ。それよりもさっきの話の続きだ」



 陽光の膜に人間であるティアノラが手を触れる。何が起こるわけでもなく彼女の腕はその膜を素通りした。先程の説明通り、人間にはなんら影響を与えないらしい。



「転生体であるあんたたちだから明かすが、レイも転生体だ」



 驚きはない。常時発動している強力な【魅了】。自分でコントロールできない力と言われて真っ先に思いつくのは神の力だ。



「だろうな。それがどうかしたのか?」



 ティアノラが目配せするとレイは結界に手を伸ばす。結界に指先が触れる直前、電気が弾けるような音と共にレイの腕が弾かれた。



「どういうこと? この結界は魔獣を退けるんじゃなかったの?」


「厳密には特定の性質を持つ魔力を有する物質を弾く。魔獣から取った魔力素マナ結晶も一緒さ」



 そう言ってティアノラは魔力素マナ結晶を結界に放り投げた。綺麗な放物線を描いた魔力素マナ結晶は先程と同じ音を発して逆再生するようにティアノラの手元に跳ね返されてくる。


 この現象が意味することは一つ。



「魔獣と転生体は、同じなのか……?」



 そもそも魔獣とは大量の魔力素マナを取り込み、体組織の魔力素マナ配列が狂ったことによって突然変異を起こした生物の総称である。


 生物の定義には、人間も当てはまる。



「魔獣の研究の中に人間が魔獣化した存在が転生体であると主張する論文がある。研究者の中じゃ、それなりに広まっている説なんだが聞いたことあるかい?」


「聞いたことくらいはある……けどこの装置は――」



 その仮説を証明することになるのではないか。


 この事実がもし世間に公表されればどうなるか。転生体の立場がさらに悪くなるどころの話ではない。魔獣と認定され、人権が剥奪はくだつされかねない。


 そうなれば始まるのは転生体の虐殺。


 ――ではない。


 矛を向けられた転生体は自身を守るために神の力を使い、覚醒体の数は加速的に増え、覚醒した神々が生前の戦いを勃発させる。


 すなわち『第二次神滅大戦ディオスマキナ』。


 そうなれば今度こそ世界が滅びる。


 その結論に至った輝は戦慄した。



「今はまだこれを世に広めるわけにはいかん。本来は魔獣を近づけないために開発したものだが、それ以外の用途に使われるのは目に見えているからね」



 たとえば踏み絵のように。



「この技術自体破棄した方がいいんじゃないのか?」


「そう思ったんだが、魔獣も転生体も脅威に感じている人がそんなこと望むと思うかい?」



 望まないだろう。だから『オフィール』ではこれが稼働している。



「失敗したよ。この事実に気づいたのはこの装置を稼働させてからなんだ。レイが外に出られなくて初めて気づいた。一応、資料やデータは全部破棄したから製造技術は全部あたしの頭ん中だ。そこから技術を盗まれる心配はない」



 がしがしと頭を掻き毟るティアノラは明らかに苛立っていた。


 転生体を脅かすモノを作ってしまった。転生体の居場所を奪うモノであり、自身の夢に反するモノ。研究者としてのプライドがそれを許せないでいるようだった。



「ティアノラ博士! お戻りになられたんですね。このようなところで立ち止まってどうなされたのです?」



 門番の男がティアノラに気づいて声をかけてきた。



「おおー、お勤めご苦労さん。悪いんだが結界に穴を開けてくれるかい? 魔力素マナ結晶を取ってきたんで中に運べないんだよ」


「そうでしたか。おや、そちらのお二人は?」


「ああ、私の客人だ。帰りに『喰蜘蛛』デッドスパイダーに襲われてね。あわや食われるところを助けてくれたんだ」


「なんとっ。それは本当ですか!?」


「嘘ついたって仕方がないだろう」



 ティアノラはひらひらと手を振りながらそう答えた。


 そんな他愛のない会話をしている中、不意に門番の視線がレイを捉えた。何の気なしに見た先にレイがいた。日常においてありふれた普遍的な行為。


 ただそれだけのことなのに門番から表情が消えた。虚ろな眼差しでレイを見詰めてフラフラと近づいていく。


 誰が見てもわかるほどにレイの顔が青ざめた。



「はいそこまでだ。見惚れとらんでとっとと仕事しろ!」



 門番の顔面を鷲掴みにしたティアノラがそのまま押し返す。



「はっ!? こ、これは大変失礼しました! 今すぐ!」



 正気に戻った門番は睨みつけるティアノラから逃げるように門の中へ消えていった。



「まったく、見ただけであれたぁ、男ってのはどいつもこいつも」



 嘆息するティアノラの脇でレイはその場に座り込んでしまう。荒い呼吸を繰り返し、冷や汗に額を濡らしている。



「ほらレイ。もう大丈夫だ」


「は、はい……」



 ティアノラはレイを気遣って声をかけるが手を貸したりはしない。


 レイも呼吸を整え、自分の足で立ち上がった。


 満足そうにティアノラは頷く。


 門前で輝いていた陽光の壁が消え、それと同時にティアノラは両手を広げた。



「ようこそ『オフィール』へ! ろくでもない都市だが、歓迎するよお客人!」

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