君はわたしの歯車 著:呉 那須
あの時飲み込んだ歯車に意味はあるのかな?
ここから感想。
子供のころに飲み込んだ歯車をめぐる物語。
いろいろなものに意味を見出そうとする考えすぎの少女が主人公。
基本的には、この少女と吹奏楽部の少年の会話によって本作は進行していく。
短編であるにもかかわらず、どちらのキャラもある程度確立されていて、作者の技量を感じた。
通常時は基本的な小説の改行がされているのだが、掛け合いになると途端に文字が詰まる。これは流石にわざとだろう。
会話のテンポを極端に早めることに成功していて、読んでいて楽しかった。
文字が詰まる以上、読み辛くなるというデメリットが明確に存在してしまうが、それを補って余りある良い効果を出していたのかなと感じた。
さて、内容に入っていこう。
上でも述べた通り、主人公は考えすぎの病を患っている。
いや、病といっていいのかも分からないが、この現象は現代に生きる私たちなら少しは経験したことのある類のものであると思う。
私も、考えすぎの病にかかっている一人だ。
ただ、少々今回の主人公は考えすぎの病の中でも行き過ぎた部類だ。私にはここまで物事を深読みすることはしない。というか出来ない。
この主人公は非常に生きにくい事だろう。
けれど、それがこの主人公の良さだと思う。
考えすぎてしまう、というのがこの作品の主題で、主人公の良いところだ。
さて、数ある短編の例にもれず「多くのことは語らない」という形式をとっているこの作品。
歯車、という題材をもとに動いていく本作。
最後の文章でも、最初に出てきた歯車というワードが再登場する。
どう考えたって、見せたい文章は最後にある『だって君はわたしの歯車なんだから。』に間違いないのだが、私は別の文の方が印象に残った。
じゃあ、どれか。
『まぁ、もうどっちでもいいや。』だ。
考えすぎの主人公。
何かに意味を求めなければいけなかった主人公が、少年との会話でだんだんと変わっていく。
それがこの文に現れているのかな、なんて思った。
こんなものだろうか。
それでは。
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