第42話 探索

 屋敷の中は乾いた埃の匂いに満ちていた。

 窓には外部からの出入りを遮断するために板が乱暴に打ち付けられ、その隙間から差し込む外からの淡い光が唯一の光源となって、一階の広いホール内を照らしている。三人は携帯のライトを灯して不足分の光を補完し、ホールの中を捜索し始めた。

 重厚な石造りの階段が、一階ホールの中央にどっしりと鎮座している以外、家具らしいものは何も残されていない。

「何も無いですね」

「ええ、特にこれといって」

 苗と日和は、そう言いながら隅に残された電気スタンドのスイッチに触れてみたが、案の定、何の反応も示さない。

「他の部屋はどうなのかな?」

 日和を先頭に三人は一塊になって、一つ一つのドアを開けて行く。

 入り口ホールから続く長い廊下には、あちらこちらに蜘蛛の巣が張り巡らされていて、三人はそれを手で払いながら先へ進んだ。

 食堂、キッチンと過ぎて、プレイルームらしき部屋に入ると、中央に飴色に燻んだ木製のビリヤード台が残されている。

「これは、置いていかれたんだね。きっと」

「重そうですものね。運ぶところを想像しただけで疲れちゃう」

 日和と苗が会話している間も、ブレンダは真剣な表情で残された物を観察している。まるで遺物と会話しているかの様だ。過去の痕跡を掴もうと必死なのが周囲にまで伝わって来る。

「これは?」ビリヤード台の下手、ポケットから落下した球が出てくる皿の当たりに銅色のネームプレートが螺子で固定されている。後の二人が駆け寄り、日和がそのタグに刻まれた文字を読み上げた。

「F……al……l、フォール? かな」

「フォールって?」さっぱり解らないという顔で苗が聞いた。

「入り口の扉の脇にも同じ様に書かれていました。多分、表札だと思う」ブレンダが言う。

「表札ってことは、ここの家主の名前?」

「ええ、この家の主人の苗字。フォールさんっていったんじゃないでしょうか?」

 三人は顔を見合わせた。

 必死で捜索したが、プレイルームからはそれ以上何の収穫も得られないと悟り、三人は再び先へ向かって歩き出す。と、直ぐに一階の突き当たりの、やたらと駄々っ広い部屋に辿り着いた。

 家族の居間とも応接間とも付かない雰囲気の部屋の中には、サイドボードやソファ等の大型の家具が取り残されていた。長い時間の経過を示す燻んだ色の壁には、振り子の付いた大きなアンティーク調の時計と油絵の肖像画がポツンと一枚残されている。

 壁の肖像画には、鼻の下に髭を蓄え、山高帽のような背の高い帽子を被り、ステッキを手にした紳士が描かれていた。

「これ誰だろう?」

「ここの家主でしょ。娘が失踪したっていう。何だか目付きが怖い」

 

『——ようこそフォール家へ。今日から、ここが君の部屋だ』

 

 耳元で誰かが囁く。ブレンダは驚いて絵画を見上げた。

「喋った」

「え?」怪訝そうに日和がブレンダを見る。「どうかしました?」と苗もブレンダに聞き直した。

「いえ、何でも——」一瞬ブレンダは言葉を濁したが、「今、聞こえませんでした?」と言って二人の顔を見た。

「聞こえたって——何が?」日和が不思議そうな表情を浮かべる。

「たった今、この画が話し掛けてきたんです」

「画が?」

「はい。『ようこそ——』って」

「それ、ビジョン?」

「ビジョンって?」苗が聞いた。

「来る時話したと思うけど、ブレンダが時々見る夢のようなもの。でも、私はブレンダの記憶の一部だと踏んでるんだけど」

「私もそう思います」ブレンダが日和に賛同し、一同は絵画の周りを探り始めた。大丈夫かと訝る苗を無視して日和が肖像画を外し、裏まで見てみたが、これといって目新しい発見は無かった。

「特に何も無かったね、ここも」

「二階」

「え?」

「二階に行きましょう」

 立ち止まって、じっと天井付近を睨んでいたブレンダが言った。その口振りから日和は、彼女が何か知っているという確信めいた予感を感じ取った。

「二階に何があるの?」

「分かりません。でも……、初めてここを訪れた時、二階の向かって左端の部屋の窓が空いていたような、誰かがそこに居たような気がしたんです」

「え? ちょっと怖いですね。幽霊とか」内心、苗は尻込みしていた。

「私、行ってきます」

 ブレンダが言うと、「私も」と言って日和が、「あ、待って」と言いながら苗が、その後に続いた。

 一階ホールに出て吹き抜けの大理石の階段を昇ると、光の差さない暗い廊下が左右に伸びていた。三人は左右を見渡した後、左に向かって歩き出す。足元を照らしながら恐る恐る歩いて行くと、時折、木材のギシギシ鳴る音が聞こえて、日和と苗は思わず足を止めてしまった。そんな中、一人ブレンダだけが、臆せずに先へ先へと歩を進めて行く。

「……」

「ここ?」

 ブレンダが突き当たりの部屋のドアの前で立ち止まり、正面を見上げる。日和と苗が到着するのを待ってから、彼女はドアノブに手を掛けた。

「開けますね」

「ええ、お願い」

「はい」

 後の二人の返事を聞き届けるや否や、ブレンダはドアノブを回し、躊躇なくそれを奥に向かって押し込んだ。

「あ。窓、開いてる」

 苗が呟く。硝子戸は閉まっていたが、屋敷の他の窓とは違い、板は打ち付けられていない。窓を通して夕暮れの仄かな灯りが差し込んでいる。三人は揃って部屋へと侵入し、中を物色し始めた。

 部屋の中は長期に渡る主人の不在を感じさせないほど、きちんと整えられていたが、窓際にある一人分のベッドと小さな書物机の上に堆積した埃だけが、ここが、そのままの状態で長い時間を経過したことを証明していた。

 壁には果物を描いた静物画が一枚、日焼けして燻んだ色合いを保ったまま掛けられている。その周りには、窓枠から伸びた無数の蜘蛛の糸が複雑に張り巡らされていた。

「何かある」

 そう言うと、日和は机の引き出しに手を突っ込み、畳んで仕舞ってあった写真立てを手に取った。繊細な飾り細工が彫られた木製の写真立ての中に、古い写真が挟んである。何かが写っているが、表面が厚い埃に覆われて良く見えない。

 日和はシャツの裾を捲って、すーっと撫でるように、丁寧に埃を拭き取った。

 埃の下から古いモノクロの写真が姿を現した。

「これって、家族写真?」

 ブレンダと苗が駆け寄る。三人は顔を揃えて白黒の画像を覗き込んだ。

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