第13話 夏 バンクーバー その1
「本当のところどうなんだろう?」紡が聞くと、「サアソレワ、ワカリマセン」と言う答えが返ってきた。
日差しは強烈だが、一歩、建物の影に入って仕舞えば、急に身体が冷んやりとする。湿度が低いのだ。紡とオリヴィアは、ビルの影から影へと蝶の様に飛び回ってウオーターフロントの小さなカフェへと辿り着いていた。
「ありがとう。これだけ買い込めればもういいかな」
「ユーアーベリーウエルカム。イツデモ、ツカッテ」
いつものようにオリヴィアは陽気に答えた。彼女を見ていると、いつも些細なことで悩んでいる自分が馬鹿馬鹿しく感じられる。でもこのことは別だ。細事ではない。
「ねえリヴ。さっきも話したんだけど、このままでブレンダはいいのかな? もう三ヶ月以上経ったし」
「コマリマスカ?」
「いや、彼女は働き者だし、気立ても良いし、店としても個人的にも凄く助かってる。気が済むまで居てもらって構わないくらいなんだけど」
「デワ、ナゼ?」
「記憶が戻る気配がない。そろそろ医者に診て貰った方が良いんじゃないかと」
オリヴィアは「フム」と鼻を鳴らして、エスプレッソを一啜りすると、徐に口を開いた。
「ソウスルト、アナタワ、ハンザイシャ、トイウコトニナリマス」
「そうだけど——」紡は反論しようがない。
「ワタシモデス」オリヴィアは冷静に言った。
「確かに。待った方が良いのかな」
「義を見てせざるは勇無きなり!」
いきなり流暢な日本語がオリヴィアの口から飛び出し、紡は口に含んだラテを吹き出しそうになった。「クリカエシ、オボエマシタ」オリヴィアは澄ました顔で言った。
「そうだね。『毒を喰らわば皿まで』って言うし」
「ドク……? ナゼ? ナンデスカ、ソレ?」
目を輝かせて尋ねてくるオリヴィアを前にして、紡は笑いを隠せなかった。
「ところで、今度皆んなでハイキングに行こうと思うんだけど、リヴもどう?」
「ハイキング、デスカ?」
「うん。九月のレイバーデイが過ぎて、客足が落ち着いたら」
「ソレワイイデスネ。ドコヘ?」
「そうだな。キラーニーレイクの北の方の、ゼニア・ラビリンスだっけ? コテージとかあるよね。あの辺りなんかどうかと思ってるんだけど」
「アア、イイデスネ」オリヴィアはうんうんと頷いた。
「少し外れた場所なんだが、ここのコテージを安く借りれそうなんだよ」携帯をタップして、紡はお目当てのコテージ周辺の地図と写真をオリヴィアに見せた。
「ココワ……」オリヴィアの顔から笑顔が消えた。
「どうかした?」紡は怖々尋ねた。
「イヤ、ダイジョウブ。タダココ、ムカシ、ジケンガアリマシタ——」
「事件って? どんな」
「ワタシモ、キイタハナシデス、オンナノコガキエタ——」
「え?」
「ユウレイヤシキ、デス」
「ええーっ?」
天井に向かってオリヴィアは大袈裟に右腕を突き挙げ、それを見た紡は大いに動揺した。
紡が島に戻ったのは午後四時を大幅に回ってからだった。
カフェで一休みした後いざ帰ろうとして、紡は買い忘れたものを思い出し再びダウンタウンに買い出しに戻ったところ、帰りにライオンズゲート・ブリッジで渋滞に嵌ってしまった。おかげで橋を渡ってパークロイヤルに着くまでに、およそ四十分も掛かってしまった。普段なら五分、十分の距離を、である。
キセツは既に閉店していたが、日和とブレンダは、まだ居残って明日の支度をしていた。直ぐに紡は二人を家に返し、残りの作業は自分一人で行うことにした。
店の裏を片付けながら、紡は昼間オリヴィアから聞いた幽霊屋敷の話を反芻した。
彼女の話では、過去に写真のコテージの背後に写っていた古い洋館で、少女が失踪した事件があったのだという。
洋館はかってこの島に住んでいた資産家が所有していたもので、離婚後、彼は一人娘と二人で、その屋敷で暮らしていたらしい。
父娘は島でも評判になるほど仲が良かったが、ある日、娘が忽然と姿を消してしまう。その後、島を上げての捜索が行われたが、結局、娘の行方は掴めぬまま事件は迷宮入りとなってしまったという話だった。
悲しみに暮れた父親は、その事件の後、ひっそりとこの地を去って行ったという。
「ソノトキノ、ディテクティヴ、ワタシノチチデシタ」とオリヴィアは言った。どうやら、彼女の父親が捜索隊を指揮していたらしい。
この屋敷の周りで、行方不明の少女の幽霊が目撃される様になったのは、その頃からだとオリヴィアは話してくれた。その為、未だに屋敷は買い手がつかないまま朽ちていったのだと。
「——ダカラ、ヤスインデスヨ。ココ」オリヴィアの声が耳元で木霊した。
(幽霊か……)
本当だろうか? 紡は迷っていた。
大の大人が何を言ってる。大体、事件が起きた当時、オリヴィア自身はまだ生まれておらず、父親から伝え聞いた話だと言っていたではないか。幽霊なんて……都市伝説というやつだ。
否、閉鎖された島の中での口伝と言うべきか。横溝正史あたりのミステリー小説に良くある、あの類だ。いずれ、本当の話ではない。
そんな作り話のために、こんな破格の条件のコテージを見送るとか有り得ない。
「やはり、ここにしよう」
紡は一人、店の壁に向かって呟いた。
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