B-29

部活が終わり、家への帰り道、友人のKとばったり会った。Kは地元では一つしかない受験が必要な中学に行ってから、疎遠になっていたが、そうであっても心に残る数少ない友人の一人であった。        

向こうから気がついてくれたのが嬉しかった。こちらからの一方的な感情ではなかったことが、分かったからである。

「久しぶり、元気かい」 そう語りかけた。

「病気をしていないだけだね。それを元気というかは僕にはわからないよ」 Kはそういってなんだか含みのある笑みを湛えた

「なんだい、そりゃあ。まぁ元気ってことだな。ところで彼女の一人でもできたか? 俺ぁサッパリだよ」 自分の中では一番当たり障りのない話題から切り出した。

「僕もだよ。大体、自分の学校にそういう人っているのかなぁ」

「いないのか? そりゃ不健全だよ」 

「いや、きっと居ないね」 Kは自信ありありに語った。

 Kはこう続けた。「夏休みに歩いているこの制服を着た学生を見たことあるかい」

「いや、ないな」 確かに同じ高校生であるのにKの学校の生徒とはまるで生活リズムが異なるようで、夏休みどころが、一年生の春を最後に記憶がなかった。

「それが答えだよ。ある種、不健全な学校に入ってしまったってことだよ」

 Kとの会話で覚えているのは、ここまでである。ただ最後に「夢に気が付いたのが僕の不幸だね」とだけ言って別れたのは、印象に残った。

 Kとはこれっきりであった。事故に遭ったのはその後である。

一週間ほど昏睡状態だったが、命に別条はなかったようで、脳への後遺症が残らなかったのは不幸中の幸いであった。

自分のことを轢いたトラック運転手は尋常ではない労働環境であり、それによる居眠り運転であったということを聞かされたのは、病院のベッド上でだ。ああ、そうかと思った。責める相手はいないんだなと。

怒りという感情にピリオドを打ち、意識は軽くなった下半身に集中していた。それが高校二年生の夏の出来事である。

 

 自分が希望したというよりは家族が期待した大学に合格したのはいいが、あの事故を機になんだか家族を除いた人間――正確には事故前の自分を知っている相手以外――と付き合うのが億劫になっていた。就活の時期は酷かった。流石に全くの人間関係なしに大学で生活することは、不可能であるからそれなりに知り合いがいて、それなりに楽しく生活はしていたのだが、

間が悪いことに、自分が一抜けで就活を終えていた。その時に、一人が冗談か嫌味であるか、わからないが障害者雇用という単語が飛び出した。なんとも言えない気分になった。悲しかったのは怒ることができない自分であったし、強く言い返せるだけの自信がなかったことだ。結局、そういう思い出しか作ることが出来なかった。仕事も長続きしなかった。

 生活が上手いことできたのは、国の補助で、介護ロボットを導入することができたからだ。これが結構便利で自分の好みを覚えて、アイスを買って来てほしいとお使いを頼めば、初めて食べたのに今まで食べたことがないのが、不思議なくらい舌と合うものを持ってくるほどだった。最近はアレ、で通じるのだからAIの能力に感心してしまう。どうやら温度やら季節やらを勘案した上で、割り出しているらしい。これは当人に聞いたから間違いないはずだ。

製品名はスーパーフォートレスである。私たちを守ってくれる要塞という訳だ。名は体を表すというが、しかしその風貌は不気味の谷へ真っ逆さまという具合で、これには閉口した。自分ですら不気味なのだから、無関係な人には殊更であろう。呼ぶ時は搭載されているAIと同じ、ルメイと読んでいる。

 仕事は辞めたが、蓄えや公的支援もあったし、家族も困らない程度に稼いでいるので、労働への圧力が強まることはなかった。不安はないといえば噓になるが、これは誰でも同じあると思う。自分が想うに人間という生き物はお金と不安は持ち続けたいというのが、結論である。

 家族は吞気なもので、自分が就労しないことを気にしている者はいなかった。むしろ不便をしていないかの方が気になっているらしかった。そうであったから自ずと気楽に生活することができた。

 手は自由に利くから、ゲームと読書が趣味になった。元から運動をするような方でなかったが、ある種強制されてそうなった。

 ゲームは自分の部屋でするのだが、問題は配置である。子供部屋というものは基本的には、二階にあることが多いと思うが、自分もそうであった。当然、自力では不可能である。だからこそ、彼が二足歩行であることが、ありがたかった。なにしろリフォーム要らずである。

 抱えられるようにして――つまるところお姫様だっこだ――されながら、運ばれていくことは最初の頃こそ、いたく男のプライドのようなものを傷つけられたが、今はもう慣れた。


 日課にしていることに外出がある。用事があることは滅多にないが、しかしそれでも、家から出ることだけがなんだか最後の境界線であるように感じられていた。流石に用事もなしに、出歩くのもなんだか気疲れしてしまうので、図書館に本を返却するとか、そういう用事をわざわざ作ることにしている。

 無為な行動になり兼ねないことが苦痛だった。無理して楽しもうとするのが難しい性分であった。

 窓から覗いた空は灰色である。「ルメイ、流石に今日は難しいと思うんだ。だからカレンダーに設定してある散歩を解除してはくれないか。雨が降ると困るからさ」

 ゆっくりとルメイは、顔認証するためにカメラを顔に向けたのであった。しかし願いは届かなかった。問題は借り本があることだ。母が気をきかせて借りてきた本の返却日であった。なぜだか風水の本で、税金でこれが購入させられている経緯を考える方が楽しい本である。

 腹が立つのは返却日までルメイに設定していたことである。こうなってしまえば忘れたフリどころか、歩けない私にとっては勝手に連れていかれてしまう。恐らくそれまで含まれる親心なのだと思う。それも腹立たしさを増幅させた。

 同じようにして階段をおり、車椅子に乗せられる。低気圧なせいか少しだけ憂鬱だった。

 大体、500m先に図書館があり、10分前後で到着する。平日の昼間に仕事ではないことで、外出するのは何度やっても面白い。生産活動から交わらないでいることは社会に属していないことになっているだろうが、外野にいることで見える風景は知育玩具で売っていたゼリーでできたアリの巣の営みを覗いているようで――特に忙しそうに歩いているサラリーマンは――好きだった。

 図書館前のスロープ上がり、扉を開けるとあの図書館特有のなんとも言えない、もう少しバランスが崩れれば不快になってしまいそうなギリギリな香りがした。

 周囲には司書の人たちしかおらず、事実上の貸し切りであった。本の返却をする時に予約していた本が戻ってきたか、そういう雑多な会話をした後、適当な会話を交わした。声は交えども、しかし目線が合うことはなかった。仕方ない頭一つ低いのだから。

 まぁ目が合わないのは仕方ないと思う。カウンター側からすればそもそも高さが合わないのだから。しかしふと、考えた。じゃあこの人は今誰を見て話しているのだろう。

 全身がムズムズして、居ても立っても居られない。レポート提出日当日なのに終わっていない。全身に虫が這うような、吸うべき時にタバコを切らしたような、そういう感覚を全身に駆け巡った。

 川辺の石の裏をひっくり返したら、一杯虫が出てくるのを知っている。しかしひっくり返さずにはいられない。やってはダメと言われると、やりたくなる現象は、なんというんだったか――どうにも思い出せない。

 やるしかない。確認すればいいだけで、杞憂で済むことだって十分にあり得る。

 次に司書さんと話すのは本を借りる時だ。取り敢えず適当な本を二冊見繕ってくることにした。

「この二冊、よろしくお願いします」カウンターの下から置いた。

「はい、こちらですね。かしこまりました」先ほどと同じ状況になった。次の行動は何となく予想はつく。見るならそこだろう。

「返却日は二週間後です」本をこちらに差し出したようだった。

 ここしかない。腕で体を少しばかり持ち上げて、顔を見ようと必死になった。

 あの人が話していたのは、目を合わせていたのは、ルメイとであった。

 確かに好みや嫌いなものまで網羅しているし、自分の個人情報なども完全に把握しているから、これと話せば確かに用事は事足りるわけだ。

 心臓が痛いほど脈打つ。飛び上がって走り去ってしまいたいと思った。しかしそれはできない。

 気がつくと、図書館から出ていた。エアコンの効いた館内から外に出たものだから、存外に寒く感じられる。寒く感じることがなんだか存在が希薄であることを物語っているようで、虚しかった。真後ろで車椅子を押している忌々しい機械はリチウムイオン電池やモータの排熱で、ほんのり熱気があり、それも自分を苛立たしくさせた。

 真っ直ぐ帰っても、ソワソワして居られないことが容易に想像できた。一旦、コーヒーでも飲みたかった。一服つけたかったのだ。これは自分でも面白いが、あのことに気が付いてからなんだか気まずかった。機械と一緒にいることに気まずさを感じることがルメイの人格性を認めていることの証左であり、なにより自分の主導権を握られていることへの実感といえる。

 コーヒーを飲みたいというのは、やはり言い訳であろう。自分は人間であり、気まぐれがあるということを無理矢理にでも表現したかったのだ。

 この必死の“演技”による願いは聞き届けられた。コンビニは図書館からの帰路とは逆の方向にある。しかしそこまで遠くはない程度である。

 コンビニへの下り坂をゆっくり進む。いやに町を行く人々の会話がハッキリと聞こえた。なんだか時間が長く感じられた。

 コンビニに到着し、自動ドアが開く。店内は熱いくらい暖房が効いていて、おでんとコーヒーの匂いが混ざって、少し不快だった。

 ほかに買うものがないから、真っ直ぐレジに行き、カップを注文した。

「サイズはいかがしますか」店員の目線はやはり自分の後ろに投射されていた。ヤツの風体がキテレツだから今まで目線が向いていたとひとり合点していたが、しかしそうではないのが最早ハッキリしている。少しばかり可笑しく思ってきた。どっちが主人なのか教えてやろうじゃないか。

「Lでお願いします」これだけの会話をするのに何故だか、口角が吊り上がってしまった。カップを受けとって、コーヒーマシンまで向かわせる。

「ちくしょう。中々上手く入らないな」わざと大きめに言った。すると後ろのサラリーマンが、のぞき込めるように少し横に首を伸ばして手元を見始めた。しかし結論から言えばこれはフェイクである。いくらこの体であろうが、あそこに入れることなど造作もない。

「失礼いたしますね」真後ろのヤツよりよっぽど機械的に、確認とはいえない確認を声に出して、私の手からカップを取って機械に入れた。五秒も経たないほどの出来事である。

「私、お願いしましたか?」敢えて大きい声でわめいてみた。

「困っているようだったんで」

「腕の塩梅とね、腰の位置からして入れられるでしょう。ただ場所が少し悪かったから手こずってただけって話で。ではもう一度聞きますよ、どうしてそれがわからないんです? メガネの度数が合ってないってならわかりますよ。しかしそうではないですよね? じゃあなんで入れたんです?」

「だから困っているようだったから・・・・・・」随分、ビックリしているようだった。

「いいや、違いますね。いいですか? アンタはね、時間が惜しいばっかりに俺を馬鹿にしたわけだ。違うか? 違うなら言ってみろよ!」 思いっ切り啖呵を切ってやった。あんまり大声なものだから、店員も客も集まってきた。もうやめられないわけだ。俺は自分じゃ動けないから言わば固定砲台だ。玉砕するまでやってやる。

「なんだってそんなに絡むんだ。悪かったから、この通り」サラリーマンは何のことはなく、普通に謝罪したのだった。

「わかりゃあいいんです。わかりゃあね」ここらで終わっても良かったが、人間らしい閃きが浮かんだ。実に人間らしい閃きである。普段はブラックが好きだ。でも今日は凄く甘いコーヒーが飲みたかった。しかし困った。サトウとミルクが高くて取ることができない。だからこう切り出した。

「所でなんですがね。いや・・・・・・なんてことはないんですが。へっへっへ。サトウとミルクを二つずつ貰えますか。ほら、私こんな風体ですから」自分でも笑ってしまった。サラリーマンはカンカンになって帰ってしまった。空のコップを持ったまま。

「ありゃ、帰っちゃったようですなぁ。他に誰かとってくださる人はいませんか」

 店員が追い出すためだろうが、急いでそれを渡すとレジへ戻っていた。混ぜようとしないあたり、学習能力が高いようだった。

 コーヒーは飲まずに、側溝に流した。甘すぎたからだ。

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