第3話 大学・オブ・ザ・デッド

「本当は車で迎えに行きたかったんだが……あいにくガソリンに余裕がないんだ」


 創と航大は、航大の姉である理奈りなによって大学の研究棟の一室に通された。疲労困憊といった二人はリュックを床に置き、ソファにどっかり腰を下ろした。

 弟の航大に似て、理奈という女性もまた整った目鼻立ちをしていた。背が高く、やや吊り目気味で気の強そうな雰囲気のある所なんかも、彼女の弟そっくりだ。


「姉ちゃんありがとう……ほんと死ぬ所だった」

「私だって弟とその友達がゾンビになるのを見たくはないからな」


 理奈は自分の淹れた緑茶を一口飲んだ。同じ緑茶は創と航大にも出されているが、二人は疲れすぎていてまだ口をつけていない。

 創は横目で航大をちらと見やった。この友は自らの姉に対して何かを伝えようとしているが、どうやらためらっているらしく、さっきから下を向いている。

 それを見て、創は友の心中を察した。創と同じく、航大の両親もまた、ゾンビになってしまっている。航大の両親ということは、それすなわち姉の両親でもある。


「あのさ、姉ちゃん……」

「どうした」

「お父さんとお母さんのことなんだけど……その……」

「ああ、それ以上言わなくていい」


 理奈が航大を制すと、しばらく三者の間に静寂が流れた。ややあって、理奈は「タバコを吸ってくる」と言って部屋を出てしまった。


「嘘つけ、タバコなんか吸わないくせに……」


 航大はぽつりと呟いた。部屋のすぐ外の廊下からは、かすかにすすり泣く声が聞こえた。歳の離れた姉の心境を慮ったか、航大はただずっと下を向いている。創もまた、隣の友にかけるべき言葉を見つけられないまま押し黙っていた。


 大学内は非常用の自家発電設備のおかげで、停電せずに済んでいた。スマホの充電もできるし、その他の電化製品も使える。

 

「理奈さん、僕たちの他に、大学に逃げ込んできた人はいるんですか? 何だか人の姿がないような……」

「いい質問だ、創くん。ここには誰もいないよ。この間まではいたんだが、逃げた。もう連絡もつかない。はぁ……」


 理奈はため息をついた。その話を聞いて、創は首をかしげた。電気も通っているし、ゾンビから逃れるための避難施設としてはなかなか便利な部類だろう。それなのに、大学内にはこの三人以外誰もいないのだろうか……


「姉ちゃん、この騒ぎ、いつになったら収まるんだよ……」

「ああ、そのことをこれから話そうと思ってた」


 創とは小学校入学以来七年の付き合いがあるこの友は、その顔に憔悴の色を浮かべていた。まるでこの世の終わりを迎えたかのような絶望が、航大の顔から見てとれる。


 ――分かるよ。だって僕も、父さんと母さんがゾンビになったんだもの。


「ゾンビが発生したのは……実はこの大学の研究室が原因なんだ」


 理奈はすっかりぬるくなった緑茶を飲み干し、湯呑を置いた。


「さる教授が持続可能な社会を作るためと称して、サケの遺伝子改造を行っていた。生命力と繁殖力の強いサケを生み出すことで、水産資源の枯渇を防ごうとしたんだ。けれどもその結果、とんでもないサケが生み出された」

「さ、サケ?」


 創と航大は、二人して腑抜けた声を出した。


「ああ、そうだ。非常に凶暴で、産卵数も多い。しかもこいつは口内でとある細菌と共生しているんだが……そいつがまた厄介な代物なんだ」

「それってもしかして……」


 創はすぐに察した。その細菌こそ、ゾンビ化の原因なのではないか、と。


「察しがいいね。この改造サケに噛まれて細菌感染を起こすと、強力な毒素を出してあっという間に人間を死に至らしめる。しかもこの細菌は脳に入り込んで理性を破壊してしまう……こうして感染者を攻撃と捕食のみを行うモンスターへと変貌させるんだ」

「それがゾンビってことかよ……」


 航大はぎりりと歯を嚙みしめた。


「その通りだ。人間がゾンビに噛まれたりすると……血液中に細菌が入り込んでゾンビにされてしまう」


 言いながら、理奈は視線を下に落とした。恐らく両親がゾンビにされたことを知った衝撃が、まだ尾を引いているのだろう……


「ゾンビだけならまだいい。町は山と川で囲まれているし、冬になれば雪が降って完全に交通が遮断される。問題はサケの方だ。サケは海と川を行き来するだろう?」

「え、そうなのか?」

「コウちゃん……知らなかったんだね」

「 普通のサケは生まれた川に戻ってくるんだが……あのサケは他の川にも入り込む可能性がある。つまりあれがいる限り、毎年あちこちの川沿いでゾンビが現れるってことだ。だからサケの卵……つまりイクラを全部駆除しなければならない」

「なるほど……じゃあ早くそれを自衛隊とかに伝えないと」

「駄目だ航大。イクラがどうとか言ったって、彼らに信じさせるのは無理だ。説得で時間を無駄にしている間に手遅れになる。自衛隊に期待できるのはゾンビの掃討と生存者の避難だけだ。だから……キミたちに手伝ってほしい」


 そう頼み事をする理奈の表情は、どこか申し訳なさそうに見える。


「……分かりました。僕にできることがあるなら」

「俺もだ、姉ちゃん。こんなことが毎年起こったらたまったもんじゃない」


 これ以上、自分たちのように近しい者を失う人を増やしたくない……創と航大の思いは一致していた。


 理奈が再び別の部屋に移動したため、この場には創と航大の二人きりになった。

 創は窓を開けて夜風を浴びた。まどろみかけた目が、秋の冷たい夜風に吹かれて少しだけしゃきっとした。

 窓の外には、黒洞々こくとうとうたる闇が広がっている。大学の敷地内は節電のためか、どの建物も全く電灯の類がついていない。そして大学の外は、文字通り真っ暗だ。

 見上げると、きれいな星々がそこにあった。昼間に空を覆っていた雲は、いつの間にかなくなったのだろう。下界に明かりがないと、こんなにも夜空は美しくなるのか……創はため息を一つついた。


「何かさ、この世界に僕たちしかいないみたいな、そんな気してこない?」


 創は後ろを振り向いて、ソファでくつろぐ航大に話しかけた。


「姉ちゃんが言うには町の外は平和らしいけどな。でもここは確かにそんな感じだ」

「何だかさ、全部信じられないんだよ。悪い夢でも見てるみたいだ」

「分かるよ。その辺にゾンビがうろうろしてるとか……現実味がないもんな」

「この前に見た映画みたいだよ。世界中ゾンビだらけになって、生き残りが旅するっていう……そんな映画をみたんだ」


 創は窓を閉め、改めて航大の方に向き直った。


「創ってゾンビ映画とか見るのか?」

「そんなに見るわけじゃないけど……最近映画見るのにハマってて」


 言いながら、創は目から涙を溢れさせていた。両親を失った悲しみが、今になって創の心を襲ったのだ。さっきまでは、逃げるのに必死だったおかげで、そうした現実を思い出さずに済んでいたのである。


「創、しっかりしろよ。明日は俺たちでゾンビをやっつけなきゃいけないんだぞ」

「分かってる……分かってるけど……」

「クソッ……俺も創のこと言えねぇ……」


 創につられてか、航大もまた、頬に涙の筋を作っていた。

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