第2話 逃避行・オブ・ザ・デッド

 鉛色の空の下、冷たい秋風が吹きすさんでいる。

 はじめは友達の航大こうだいとともに、アスファルトの道をひたすら歩いていた。道の両脇にはススキやセイタカアワダチソウがぼうぼう茂っていて、その長い茎が風に揺られている。二人の他に、道を歩く者の姿はない。


「あとどのくらいなの? 航大の姉貴の大学ってのは」

「あー……ここからバスで三十分ぐらいだから……まだまだありそうだ」


 二人が目指していたのは、町の西側にある、航大の姉が通う大学であった。バスも電車も動いていないので、ずっと徒歩で目的地に向かっている。

 創たちの暮らす閑静な住宅地は、映画で見るような動く死体――ゾンビが闊歩する町と化していた。最初のゾンビは鮭漁師の家から発生したらしいが、今となっては外をうろつく者のほとんどがゾンビであり、生きている者の姿を外で見ることはできない。

 創も航大も、町を襲った空前のゾンビパニックによって両親を失ってしまった。ゾンビになった親から逃げた二人は合流して話し合い、大学を目指すことに決めたのである。

 姉と連絡を取った航大は彼女の大学に招かれたが、あいにく迎えの車などは出せなかったようで、結局、二人は徒歩で大学を目指す羽目になってしまった。とはいえ二人とも家族を失っており、取り敢えず頼りになりそうなのは航大の姉のみなのだから仕方ない。

 二人の口数は少なく、ほぼ会話もなしにひたすら歩き続けていた。いきなり町がパニックになった上に、十三歳にして親を失ったのだ。そのショックのほどは言うに及ばない。

 

「あっ、コンビニだ。食料調達していく?」

「そうだな」


 創の指差す先には、電気のついていないコンビニがあった。近寄ってみると、中には誰もいないようだ。ドアの前に立っても自動ドアが反応しない辺り、電気も止まっている。

 

「一緒に開けるぞ。創、そっち持って」

「分かった」


 創と航大は扉に指をかけ、両側から力任せに引っ張って手動でドアを開け、中に入った。

 

「電気が止まってるし、冷蔵に入ってるのはよそう」

「そうだな……となると缶詰とかカップ麺がいいか。大学行けばお湯湧かせるかな」

「何だか野菜不足になりそうだね……」

「はは、野菜嫌いだった創がそんな心配するようになるとはなぁ」

「前は大変だったけどさ……今では結構食えるようになったんだよ」

「そりゃ良かった」


 軽口を叩き合ったことで、それまで硬かった二人の表情に少しばかり笑みが戻った。創は好き嫌いが多く、小学生だった頃は給食にはほぼ毎日苦戦していたのである。そんな創が野菜不足を心配する所に、航大はおかしみを禁じえなかったようだ。

 目ぼしい食料を粗方リュックに詰め終えると、航大は店の奥にあった付箋を拝借して、そこに持ち出した品目と値段、そして自分の名前とスマホの電話番号を書いた。


「それは……?」

「黙って持っていったんじゃあホンモノの泥棒じゃんか。後でお返ししますよってことだよ」

「ああ、なるほどね……確かにこんな時でも泥棒になるのは嫌だよね」


 創が言い終えたちょうどその時のことであった。突然、航大は創の頭をぐっと押さえて一緒にしゃがんだ。


「何?」

「しっ……伏せてろ。外にゾンビがいやがる」


 そう教えられて、創は雑誌棚の隙間からガラス越しに外を覗いてみた。すると確かに、ジーンズを履いた何者かがすぐ外を歩き回っているのが見える。だらんと垂れ下がった土気つちけ色の手は、その人物がゾンビであることを示している。見た所、この一体の他にゾンビはいなさそうだ。

 ゾンビは筋肉が腐りかけているせいか、さほど俊敏に動くことはできない。走って逃げれば、子どもであってもゾンビを振り切ることは可能だ。しかしその代わりに疲れたり痛がる素振りは全く見せず、加えて力の加減を一切しないため、組み合いになった場合大人であっても力負けする可能性が高い。その上ゾンビに噛まれれば噛まれた人間もゾンビになってしまうため、ゾンビと戦うこと自体が危険といえる。

 二人は祈るように手を組みながら、じっとしゃがんでいた。早く遠くに行ってくれないと、二人はコンビニを出ることができない。

 ゾンビはコンビニの駐車スペースをしばらくうろついた後、ふらふらとどこかに行ってしまった。


「よし、行ったな」


 そうして、二人はコンビニを出て再び歩き出した。一本道をひたすらに歩くと、やがて坂道に差しかかった。左手側には古い住宅が並び、右手側には木々が生い茂っている。


「うわ……しんどいなぁ」

「坂道ってことは……もうすぐ姉ちゃんの大学だ」


 食料をぎちぎちに詰め込んだリュックサックを背負いながらの坂登りが、少年たちの体力を容赦なく奪い去っていく。そんな中での航大の一言は、創にとって小さくない希望をもたらした。

 空が赤い。もう日は傾きかけていて、このままだと夜になる。二人の脚は棒のようになっていたが、創も航大も休憩しようとは言い出さなかった。


 そうして曲がり角を曲がった時、とうとう目の前に白い大きな建物が見えた。目的地の大学だ。

 しかし、晴れやかになった創の顔は、すぐさま恐怖で引きつった。この場で一番見たくないものを、創は見てしまったのである。


「うわゾンビだ!」


 十体ほどのゾンビが、彼らに特有のうめき声を発しながら、ゆらゆら体を揺らして大学の塀沿いをうろついている。

 ゾンビの足はさほど速くない。とはいえゾンビの群れをくぐり抜けて大学の構内に入るには、ゾンビの数が少々多い。かといって実力でゾンビを排除するのは無理だ。

 二人は家屋の影に身を潜めながら、門の辺りの様子をじっと眺めていた。飛び出すタイミングをうかがっているのだが、なかなか良いタイミングは訪れない。もう空は赤い夕陽が青黒い夜に食われかけている。もたついているうちに夜になってしまうのは避けるべきだ。時間は二人の少年にとって敵であった。

 そうして身を屈める二人の背後から、近づいてくる者があった。鼻をつくような悪臭と、草を踏み分ける足音で、二人はその存在を察知した。


 グォォォォォ……


「クソッ! こんな所にも!」

「ど、どうしようコウちゃん!」

「どうしようったって……」


 二人が壁代わりにしていた家の裏庭から、恐らく元は中年女性であったと思われるゾンビが近づいてきた。二人はすぐさま家の敷地を出て、道路に飛び出した。

 その時であった。大学の門付近にいたゾンビの群れが、一斉に二人の方を向いた。


「げっ、こっち来るぞ!」


 ゾンビは相変わらずの千鳥足で、二人に向かってきた。ゾンビの足は速くない。すぐに追いつかれるわけではないが……さりとて今の二人の疲労ぶりでは、振り切れるか微妙なところだ。

 二人がゾンビに背を向けて逃げ出した時、背後で聞き慣れない音が断続的に聞こえた。せいぜいテレビでしか聞いたことのない音――銃声だ。

 後ろを振り向いた二人は、地面に倒れ伏したゾンビたちと、門の向こうに立つ、ライフル銃を持った白衣姿の女を見た。


「遅かったな航大」

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