僕の中の善人
お題:遠い善人 必須要素:学校使用不可 制限時間:4時間
(2013.8)
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僕の中には善人が一人住んでいる。
基本的に僕は善人とはいい難い考え方なんじゃないかなぁと自負しているのだが、こいつは時折にょきっと心の中に現れて「それはいけない!」と僕を正そうとしてくるのだ。
例えば、いじめの現場を見たとしよう。
例えば、クラスの中の、ちょっと人とコミュニケーションをとるのが苦手な女の子が心ないクラスメートにノートを取り上げられている場面だとか。
いじめに加担せず、傍観者でいることは、僕の中の善人にとっては悪なのだ。
今まで特に目立たないように、悪目立ちしないように、見て見ぬふりをし続けていた僕を不意にこの善人は責め始める。
「お前は本当に男か、女の子が目の前で困っているじゃないか!」
煩いな。ほっといてくれよ。そう言っているのに僕の中の善人は僕を責めるのを止めない。
「いいのかお前、後から後悔するのはお前なんだからな!」
いいよもう、僕はそんな、正義のヒーローになるつもりもないし、なれる気もしないし、いじめの対象になるかもしれないなんて危険は冒したくないんだ!
そこまでいいきると善人は不服そうな顔をして黙る。
そのころにはもう、現実世界では心ないクラスメートは数学のノートのページを破き終わった所で、女の子がその破片を黙って拾っている場面だ。
善人が、ほらみたことか、という顔を最後に僕に見せて、またどこへともなく消えて行った。
僕のクラスにはいじめがあります。なんて分かりやすい告発だろうか。
次の日の数学の授業中、つまらない先生の授業に僕はぼんやりと思考に沈んでいく。
この学校の2年A組にはいじめがあります。あの子が標的にされてるんです。
例えばそういって僕が担任に上告した所で、担任は何もなかったことにするだろう、という諦めが僕の中にある。誰に言ったってきっとそうだ。担任じゃなくて、どんな先生であったっていじめを止めるなんてことはできないんだ。いったん止まったとしても、それは表面上で、もっと分かりにくいいじめにシフトするだけなんだ。
あの子の名前は確か藤崎、藤崎良子とか言ったはずだ。藤崎さんだって、事を荒立てられてもっとひどいいじめになったら嫌だろう、と想像する。
善人が顔を出す。
「それはただのお前の勝手な妄想だ!お前は何もしないことを肯定したいだけだ!」
鬱陶しい。
昨日ノートをびりびりと破られてしまった藤崎さんの方を見やる。
藤崎さんはルーズリーフでノートを取っていた。昨日まではキャンパスの大学ノートだった。
じくり、と胸が痛んだ。
いいじゃないか、僕は傍観者だ!
善人はやれやれ、と言った顔で、心の隅っこに退散していった。
放課後、掃除当番の僕と藤崎さんと他多数が教室に残った。
みんな藤崎さんとは目を合わそうとしない。僕もそれにならう。だって、それがこのクラスで生きていく術だと思っているからだ。
藤崎さんの顔も俯きがちで誰とも視線を合わそうとしない。いや、誰かと視線があってしまった時に気まずさを感じてしまうからなのかもしれない。
まるで藤崎さんがいないような、そんな雰囲気で、教室の掃除がつつがなく終わる。
最後のゴミ捨てを残して、という所で、誰がゴミを捨てに行くかという話になった。
皆ゴミ捨て場が遠いからと面倒臭がって、けど誰かが行かなければいけないわけで、誰かがやるといい出してくれないかな、という雰囲気で互いを値踏みしている。
その雰囲気の中、一人が、藤崎さん、と呼んだ。
僕の中の善人が起きる音がした。
「ね、藤崎さん、ゴミ捨てお願いしても良い?」
それまで空気みたいに扱っていたのに、と小声で善人が吐き捨てる。
他のみんなもああそれがいいお願いしたいなぁと言い始める。
無責任だ。藤崎さんは断れない。そんな空気を作り出す。
「……うん」
すごくぎこちない笑顔を作って、藤崎さんがゴミ袋を持とうとする。
僕は一番ゴミ箱に近かったので、ゴミ袋の口を縛って、藤崎さんにそれを渡した。
教室から藤崎さんが出て行くのを確認して、口々に皆薄笑いを浮かべはじめる。
ああ、厭だ。この薄笑いが気持ち悪いんだとまた善人が愚痴る。
「藤崎さんってさ、暗いよね」
「てかさっきの笑顔とかさ、本当無理して作ってますーって感じだったじゃん?」
「あーうん、なんかむかつくよね、ああいうのって」
「うんうん。あ、ゴミ捨て場行ったし、ゴミと一緒に泣いてるんじゃない?」
「なにそれすごく面白い。ね、藤崎さん帰ってくる前に皆帰っちゃおうよ」
「そうするか、別にあとゴミ袋ゴミ箱に張り直すだけだもんな」
「それも藤崎さんにやってもらっちゃわない?」
「めんどいしそうするかー」
善人がパカッと口を開いてこのクラスメートたちへの怒りをぶちまけそうになるのを、僕は慌てて、必死になってその口を押さえる。
善人が暴れ出しそうなのを押さえながら、同じく「じゃあ鞄取ってくるわー」という僕はけっしていい人じゃないのだろう。
ぞろぞろと雑談しながら教室から出る。
階段を下りている途中、僕ら掃除組は藤崎さんとすれ違った。
みんなニヤニヤして藤崎さんを見ている。
藤崎さんは僕らを見て、唇を噛みしめながら、目を合わさないようにしながら階段を駆け上って行った。
ずきずきと胸の奥が痛む。
玄関先で、幸か不幸か、教室に携帯を忘れたことを思い出した。
友達に悪い、先いってて、と断りを入れて教室に戻る。
きっと教室にはまだ藤崎さんがいるはずだから、そっと携帯を引き取ってそっと教室から出て行こう、と僕は考えていた。
教室に入ろうと扉を開けると、ゴミ箱の近くにへたり込んで泣いている藤崎さんがいた。
そして悪いことにばっちり目があった。ああもう、なんでこうタイミング悪いかなぁ。
藤崎さんは嗚咽を押し殺すみたいにしていて、新しいゴミ袋を握りしめて涙を床に零していた。
僕の中の善人が待ってましたとばかりに出てきた。
「これをみてもまだお前は傍観者でいるとかのたまうのか!」
それができれば苦労しねぇよ!
色々、これがばれたら明日から僕もいじめにあったりするのかなぁ、とかそういう不安よりも、女の子の泣き顔というのは破壊力が抜群だった。
泣いている藤崎さんは僕の姿を見て、どうしたらいいかわからない、困惑した表情をしていた。
そりゃそうだ、泣いている時にそんな、虐めている側にひとしい傍観者があらわれてしまったんだ。
僕はまず携帯のため自分の席、正確には自分の机の中を探った。
あった。依然として重い、二つ折りのガラケーだ。
それを制服のポケットの中に乱雑に突っ込んで、ゴミ箱の近くの藤崎さんに近寄る。
藤崎さんに近寄っていくと、びくり、と藤崎さんは身を震わせた。
それも無視して、藤崎さんの手の中の、握り締められてくしゃくしゃになった新しいゴミ袋を取ろうとする。
藤崎さんの手は強張っていた。
「ゴミ袋、新しいの張るから、手」
ぶっきらぼうな言い方になってしまったが仕方ない。女の子と普段そんな話慣れてないんだ。
藤崎さんは恐る恐る、手から力を抜いていった。ゴミ袋が僕の手へと渡る。
ゴミ箱にそのゴミ袋を張って、蓋をして、僕は藤崎さんの方へ向き直る。
予想はしていたけれど、お前は一体何をしているんだというように藤崎さんは僕を凝視していた。
その視線がふっと外れて、ぽつり、と藤崎さんの口から言葉が漏れる。
「あの、えっと、ありがとう」
声は掠れていて、瞳にはまだ涙がちょっと溜まっていて、いつもうつむきがちな顔が僕の方を恐る恐る見ていた。
なぜだか僕の心の中の善人は何も言ってこない。
「いや、こっちこそ、先帰っちゃってごめん」
あと、泣き顔見てごめん、と。
藤崎さんはそれを聞いてまた、少しぽろっと涙を流しながら、なぜか有難うと僕に言った。
僕の口が勝手に動く。
「あの、一緒にお茶でもどうですか」
ぽかん、とした顔で藤崎さんが僕を見る。
僕も自分がいったい何を言っているんだと思ってぽかん、としてしまう。間抜け面だったと思う。
一瞬間をおいて、藤崎さんが堪え切れないというように、くすくすくすと笑いだした。
鈴が鳴るような可愛らしい笑い声だった。
僕はそんなに笑われるような事言ったかなぁ、と一人ごちると、呆れたように僕の中の善人がにょきっと生えてきた。
「お茶ってお前、そんな言い回しするとかネタに走ってるんじゃないのか?」
煩いなぁ、ぽろっと勝手に出た言葉なんだよ、ほっとけ。
藤崎さんはよほどつぼったのか、くすくす笑い続けている。
笑っていて何か言っているようだがよく聞き取れない。
耳を澄ますと、ひたすら、「お茶……っ!お茶って……!」と笑っているらしかった。
藤崎さん、あなたもか。
行き場のないこの感情をどうしよう、すごくはずかしい。
ひとしきり笑って、ちょっと落ち着いた藤崎さんが、僕に息も絶え絶えに声をかける。
「山田君って、面白い人だったんだねぇ」
「それって誉めてる?」
「褒めてると思ってよ」
そういってまた思い出したのか笑いだす藤崎さん。
本当に恥ずかしい。顔が真っ赤になってるのが自分でもわかる。暑い。
藤崎さんの泣き顔を見たと思ったら今度は笑い顔を見ている。
なぜこうなった。どうしてこうなった。
善人がまたも口を出す。「そりゃいきなりあんなこと言ったら笑うだろ」煩いな、もう。
居たたまれなくなって、逃げ出したくなる。
けれど一度こうやって関わってしまったし、ともう一回声をかけた。
「笑いすぎて喉痛くなったりしてない?」
「うん、してる」
「……なんかごめん」
「……えっと、じゃあ、お茶、する?」
「えっ」
笑いを堪えながら藤崎さんが言いだすので僕は、気が動転してしまったのか、うん、と言ってしまった。
教室を出て、階段を下りて、玄関を抜けて、学校の外に出る。
ああ、明日から僕もいじめられるのかなぁとか思うけれど、藤崎さんの泣き顔と笑顔を考えると、べつにどうだっていいや!なるようになれ!と思った。
思春期なんてそんなもんだ!と適当に言うとやはり僕の中の善人が否定を……してくるかと思ったら、してこない。何やらニヤニヤこっちを見ている。
校門まで出て、藤崎さんが口を開いた。ちょっと落ち着いて、今の状況を把握したのか、なんだか複雑そうな、またちょっと泣きだしそうな、そんな顔だ。
「山田君、本当に、お茶、しちゃう?」
ノリで言ったのかこの子。
ただ、これで断ったら、本当に藤崎さんが可哀そうだな、とか僕があいつ泣いていたんだぜとか言い出すんじゃないか不安に思ったりとかするのかな、とか余計なことを考えてしまった。
もうなるようになれ。
「とりあえずマック行く?」
「え、あ、うん」
「あ、でもラーメン屋でもいいな。お腹減った」
「お茶って言っておいてラーメン屋に行くの?」
またツボったらしい。
くすくすくす、と藤崎さんが軽くお腹を押さえながら笑っている。
「そういやさ、学校の調理室とかでお茶って飲めないのかな」
「学校でお茶するの?」
「いや、ふっと思っただけ。そうしたらタダじゃん」
「確かにタダだけど、タダだけど!」
さっきから藤崎さんの笑い声が止まらない。僕はそんなに変なことを言っているんだろうか?
ためしに、ちょっと笑いが治まった所で、「お茶のための学校使用はできないな」というとまた笑った。お腹が痛そうだ。
しかしさっきから善人は全く茶々を入れてこない。
なんだか僕の中の善人が遠くの方から、「少年よ、青春せよ!」といい笑顔をしている気がして、なんか面白くなかった。
そのあと、お茶と言っていたのにラーメン屋に入り、餃子とラーメンを二人で食べた。
隣に座っていた、塩ラーメンをうまそうにすすっていたおじさんが疎ましげに僕らを見たけれど不思議とそんなに気にならなかった。
餃子の皮がもちもちしていて本当においしい、じゅっと肉汁が出てくるあの餃子は忘れられない味だった。藤崎さんが思ったより辛党で、ラー油とか豆板醤をがっつり使っていたのも意外だった。
ラーメンもスープのだしがしっかりと、魚介類をベースにしたダシが僕の味覚にジャストヒットであった。藤崎さんの食べていた塩ラーメンは、一口もらったけれど豚骨でがっつり胃にボディーブローしてくるような美味さだった。藤崎さんはスープを最後まで飲んでいた。
途中、いじめられている子なんだよなぁ、と思って、まじまじと藤崎さんを見たけれど、なんだ、普通の子じゃん、と自分の中で結論がついてしまった。
皆がそういう風に彼女に当たるから、暗い子だなとか思ってしまうだけなんだなぁ、と。
実際の彼女はちゃんと笑うし、美味しそうにご飯を食べるし、たわいない話をしていても、すごく楽しそうだった。ゲームが好きだ、というと、ふぁみこんとか?と聞かれたのが未だに忘れられない。
ラーメンを堪能した後、携帯の話になった。
話の流れというか勢いで、メアドと電話番号を交換した。
女の子と連絡先の交換なんて、1年の時に学校祭関連、つまり事務的な、必要性があるからとした記憶しかない。
ちょっと嬉しかった。
そのまま駅まで藤崎さんを送る。
改札口で別れたのち、バスの停留所のベンチにかけたところで、ふっと藤崎さんの泣き顔と笑顔が浮かんだ。
携帯を開いてさっき交換したばかりの藤崎さんのアドレスを探す。
『結局お茶しなかったし、今度は喫茶店でちゃんとお茶しよう!』と送った。
しばらくして、笑ってる顔文字と一緒に、『学校の外で、山田君に迷惑かからない程度にお茶しようよ』と返ってきた。
ちょっと、もやっとする。
久方ぶりだな!というように勢いよく僕の中の善人が生えてきた。
「別に、学校内で仲良くしてもいいだろう!」
なんとなく彼のその言葉を否定せず、そのまま藤崎さんに返信した所でバスが来た。
携帯をポケットにしまう。整理券を取って、適当に席に座った。
ちょっとして携帯が震えた気がしたが、バスの中だから携帯を開かないで、ぼんやりと今日のことを考えていた。
そういえば、藤崎さんと一緒にいる間、一度も善人が声をかけてくることはなかった。
いつもはいきなり出てきては正論というか善い事を好き勝手に言う、叩きつけてくる僕の中の善人が、珍しく遠い善人だったなぁ、と思って首をかしげた。
家に着くと親に夕食を食べてきたことがばれて、根掘り葉掘り聞かれた。
女の子と一緒だったということまで聞きだされた。
始終にこにことしていた我が父と母と弟の顔がすごく憎たらしい。
夜寝る前、携帯を開くと、一言だけの返信が返ってきていた。
それが嬉しくてそのまま寝てしまおうとすると、僕の中の善人が口うるさく顔を出してくる。
「ちゃんと歯をみがけよ!」
そんなことまで言うのかよ煩いな!と言いながら歯を磨いて眠りに着いた。
その日は、藤崎さんと調理室でお茶していると言う変な夢を見た。ついでにラーメン屋で隣にいたおじさんもいた。
目が覚めた時に「いやだから学校は使用不可だって」といの一番に思ったのがすごく悔しかった。
そういえば藤崎さんの下の名前を聞いていないなぁ、と気付く。
今日学校に行ったらまず藤崎さんに下の名前を聞いて、ちゃんと携帯に登録しよう、と思った。
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