第四章―10 第32話 『懐かしの構え』



 ライブラー家にゆかりがあった場所、という線で聞き込みをし、今は使われなくなった騎士の訓練施設を兼ねた屯所があるという情報を得たエミールは【タルンカッペ】という姿を隠す術を使い、偵察に来ていた。

 …………まさか、本当にいるとも思わなかった上に、術が見破られるとも思っていなかったが。



「あら素直に1人で出てくるなんて、愚かなのかよっぽど自信があるのか……」



 杖を向けられながら、なおも余裕の表情を崩さない女は、エミールに向け妖しく微笑んだ。

 エミールは目の前に立つ女が、アーブラハムから聞いた容姿の情報と一致しているのを確信し、口を開いた。



「どちらでもないよ。聞きたいことがいくつかあるんだ……マクシーネ」


「まあ。名前は割れているのですね。褒めてさし上げましょうか? ですが、質問があるのはこちらですわ」


「僕がどんな能力を持っているかわからない以上、君は僕の話を聞くしかできないだろ」



 正直言ってエミール自身に強者を1人でどうこうできる能力はない。

 しかしそれは初見のマクシーネにはわかるはずもない。エミールは手に汗握りながら、それを表に出さないように努めた。



「…………君は確信犯なのか?」



 確信犯――――信念をもって犯罪を行うこと。

 姿を隠して潜入していたエミールは、マクシーネが思っていたよりもリーゼロッテに優しくしていたこと、正義という言葉を口にしていたこと……それを目の当たりにし、エミールは彼女が何を考えているのかを知らなければならない、そう感じた。



「だとしたら、なんの為に誘拐なんてことを? 他の誘拐した人たちはどこなんだ?」



 これまで誘拐されてきたリーゼロッテ以外の5人。その姿が見えないことがまず確認しなければならない。彼らさえ開放できれば、ひとまずはそれでいい。

 そう思っていたエミールだが、マクシーネはポカンとした表情で首を傾げた。



「あら、とぼけなさるの? あなたたち伯爵家が誘拐しているというのに」


「――――なんだって?」



 エミールは驚き、杖を握る手が震えた。



「あら、もしかして……わたくしに他の罪さえ擦り付けようという魂胆でしたの? 悪辣ですわね」


「待て! ど、どういうことだ……」



 ――――マクシーネはリーゼロッテを誘拐はしたが、それ以外を誘拐していない。

 その情報一つで、これまで推理してきたことをすべて見直さなければならなくなった。

 混乱している中、マクシーネとエミールの間に立っていたリーゼロッテが、マクシーネの方へと歩み寄った。



「あたしは帰らないわ」



 少女が発した一言は、エミールを更に困惑させ、続いた言葉はエミールにさらなる衝撃を与えた。



「お父さまが誘拐をしているんでしょ! あたし、そんなこと許さないわ!」


「――――」


「フーゲンベルク家の家紋が入った馬車の影にいた人が、一瞬のうちに連れ去られる場面を発見しまして。ああも手際がいい人攫いは初めて見ましたわ」



 補足するように吐き捨てるマクシーネに、エミールは一周回って冷静になる。

 エミールが予想した、『誘拐できるのは街に馴染んでいる集団だけである』という読みは正解だったということになる。しかし、その確証はマクシーネの皮肉めいた発言のみだ。



「…………リーゼロッテさんは、それを見たんですか?」


「……見てないけど」


「……そうですか」



 リーゼロッテ自身が目撃していないのであれば、マクシーネが諭すためについただけの嘘である可能性もある……エミールはそう結論付け、1つ深呼吸した。



「……誘拐はいけないことだよ。リーゼロッテさんは帰すんだ」


「あら、当然のことをおっしゃってますわね。ですが貴方たちには言われたくありませんわね」



 マクシーネは手入れしていた大剣をゆっくりと構える。



 ついに戦いが始まってしまう。そう身構えたエミールはマクシーネの構えを見て、一瞬自分が立っていることすら忘れるような、妙な感覚を覚えた。



 その構えは、見覚えが……いや、200年前何度も見て、何度も助けられたあの存在と、全く同じそれだったのだ。



「――――ヴィルヴァルト?」



 しかしそんなこととは関係なく、マクシーネは巨大な剣を持っているとは思えない速度でエミールへと間合いを詰める。



「行きますわよ!!」



 エミールは後ろに跳びながら握っていた杖を振って術を展開する。



「【ブルートガング】!! 【スヴェル】!!」



 エミールはそう唱えると、事前にかけて置いた【タラリア】の速度でマクシーネから距離をとる。



「やっぱり、搦手タイプですのね! 真っ向から戦えるのなら姿を隠していた理由がありませんもの!」



 ボォン、と、エミールの耳に空気が歪む音が聞こえる。

 それはマクシーネが振った剣の空気を裂いた音だった。

 遅れて、剣圧から生まれる風が、エミールの白髪を揺らした。



「あっ……ぶな」



 ゴーレムの拳と遜色ない――――いや、剣という武器での攻撃である以上、ゴーレムよりも強力な一撃に、ぶわっと冷汗をかく。



「戦えないのに、1人で来たんですの? やはり貴方はただの愚か者だったようですわね」



 冷ややかに怯えているエミールを見るマクシーネは、次は逃すまいとまた剣を構える。



「僕が愚鈍で使えない馬鹿なやつであることは否定しないけれど……」


「そこまで言ってませんわ」


「でも……油断はダメだよ」



 エミールがそう言うのと同時に、マクシーネの背後から複数の黒い影が迫る。



「はっ!」



 巨大な剣をぶん回し、マクシーネはその影を叩き落とす。

 その影の正体はクナイだった。クナイの主がマクシーネの背後に現れ、次なるクナイをその手に握っていた。



「チッ……不意打ちが連日通用しないというのは、極めて矜持を傷付けられる」



 登場したヨナスは、ぶつぶつと怨み言を呟いた。

 先程唱えた【ブルートガング】【スヴェル】はエミールではなくヨナスに向けて放たれたものであり、外で待機させていたヨナスに対する突入の合図だった。


 ではなぜ、ハナからヨナスを連れて潜入しなかったのかと言うと……



「お嬢!! 息災か!?」


「……まあ、そういう反応になるよね」



 ヨナスという人間がリーゼロッテに強い執着を抱いているのは、たかだか2日程度の付き合いしかないエミールにもよく伝わっている。

 そんな人間に潜伏は任せられないと判断をしたからだった。



「…………」


「お、お嬢?」



 犬のようにリーゼロッテに喜んでいたヨナスだが、彼女が自分に対して向ける厳しい目線に当惑する。



「あたし帰らないわ。お父さまにそう伝えて、帰って!!」


「……!? お……お嬢……!?」



 リーゼロッテの断固とした言葉に、ヨナスは狼狽を隠せない。

 手がぶるぶると震えているヨナスは、リーゼロッテから目を逸らし、その先にマクシーネを捕えた。



「貴様が――――」


「あら?」


「貴様がお嬢を洗脳したんだな!! この売女がァ!!」



 絶叫をしながら腕を振ったヨナスから、新たなクナイが飛ぶ。そして新たに裾から小刀を出し、取り出して握り、マクシーネに突撃した。

 クナイを打ち払いながら、マクシーネは攻撃を仕掛けてきたヨナスに体術で対処する。小刀を持つ手を掴んで捻るが、ヨナスはマクシーネの肘に一撃を加え、無理やり離す。



「口汚い殿方は婦女子に好かれませんことよ? 特に、年頃の子には」


「黙れ! その舌を細切れにして好事家に食わせてやろうか!?」



 じりじりと戦いながら、舌戦も交える二人に、エミールは後方で頭を抱えた。



「……ああ、もう……ぐちゃぐちゃだよ」



 色々と戦っている場合ではない気がするが、この戦いを早く終わらせることが一番被害を出さずに済む。そう判断し、エミールは杖を握った。

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