第四章―4 第26話 『ヨナスとの調査』
失踪した娘の部屋にやってきたエミールは、まずぐるりと全体を観察した。
どうやら失踪した時のままの状態がそのまま保持されているようで、整頓はされているが、たしかに人が暮らしていた跡のようなものが、しおりの挟まれた本や、外に出されたままの服から読み取れる。
まるで、失踪したその瞬間からこの部屋だけ時間が止まってしまっている――そんな感覚を、この部屋に入ったエミールは覚えた。
習っていたという刺繍がいくつか飾ってあったりする以外に、特に部屋自体に変わったところはない。
ふと、エミールは部屋にある本棚を見た。その中の一冊は、フリーデンの学長室……ロスヴィータの部屋に置いてあったものと同じ背表紙をしていた。
「……これは、魔術書」
手に取った魔術書をパラパラとめくる。内容は初級術が満遍なく記された、そこまで難しくない内容のものではあったが、個人が所有するには範囲が広い。
「娘は色々な属性の因子適性があって……娘にそうした魔術の書を買い与えていたんです」
「なるほど……」
エミールは本を棚に戻す。
それからも部屋を調べるごとに、母親から娘の話を聞きだすエミールの心には、ずし、と重しが乗せられる感覚があった。
*
「調子はどうだ、名探偵」
1人目の失踪者の家を出たエミールは、外で待っていたヨナスに皮肉めいた言葉を投げられる。
「そう簡単に成果が出るとは思っていないよ。残りの四人の縁者にも当たって、そこから初めて推理をするつもりさ」
エミールは伸びをしながら、次なる行動指針をヨナスへと告げる。
それを聞いたヨナスは少し曇った表情を見せ、エミールに問い掛ける。
「……何故、そこまでする」
「ん?」
「余所者の貴様が……何故、時間を割いて本来無関係の問題に首を突っ込む」
真剣に失踪事件を調べようとしているエミールに対し、ヨナスは疑問を抱いているようだった。
ここ最近、よく問うたり問われたりする『目的は?』という疑問が、まさかここに来ても聞かれることになろうとは。
エミールはどこか自嘲気味に笑いながら返答をする。
「僕の恩人であるノルンが、僕をここに遣わしたからね」
「……」
シンプルな答えだが、ヨナスはそれに満足していないようで、エミールに睨みをきかせている。
(……お気に召す答えが出ない限り、ずっとこうってわけか。ノルンに言われたからっていうのも、本当なんだけれどな)
しかし、このヨナスの気持ちもわかる。
恐らく彼自身はノルンという人物に出会ったことがないのだろう。
実際にノルンを知っているフーゲンベルクは物分かりが良かったが、ノルンの神秘性――異常性、と言ってもいいかもしれない――を知らないなら、信頼できないというのも無理からぬことである。
彼女に会ったことがない人間だったら、『予言者に言われたので……』と言って厄介な問題に首を突っ込んでこられたら意味が分からないだろう。
「……そうだな…………少し前、故郷が魔物に襲われていたんだ」
エミールは考えながら、言葉を探すように説明を始める。
自分がなぜ失踪事件解決に向かっているか、その言語化をするのは初めてのことだった。
「それを主導してマッチポンプに金を稼いでいた傭兵を捕えることはできたけれど、バルナバスって黒幕がいるということはわかってて、そいつはいずれ捕まえる必要があると思っていたんだ」
エミールの話に、ヨナスは黙って耳を傾けている。
「それで、つい昨日……バルナバスが近くのアルタトゥム遺跡に現れた。そのことがもしかしたら、この事件に関係しているかもしれない……と思ったんだ。なんの確証もない話だけどね」
ひとしきり話し終えたエミールは、バツが悪そうにはにかみながら眉を歪めた。
「個人的な問題で、君達のような事件の渦中にいる人からすれば疎ましい話だろう? だから、あまり言いたくなかったんだ」
「……否、隠し事をされるよりは幾分マシだ」
ヨナスはエミールから視線を外すと、次なる目的地に向けてエミールを先導し歩き出す。
どうやら、一定の理解は示してもらえたようだ。
エミールは安堵に微笑みながら、その後ろをついていった。
街路を歩くエミールは、先導するヨナスが急に立ち止まったのを見て不審に思った。
なにかとヨナスの顔を見たエミールは、彼がなにかに熱心な視線を発していることに気が付く。
視線を追った先には、10代前半くらいの少女が3人並んで歩いているのを見つけた。
少女はこちらの存在を意に介すこともなく談笑しながら歩いている。これから遊びに行くところだろうか。
しかし、なぜヨナスはこうもじっと彼女らを見ているのだろう。
(知り合いなら、声かけるよな……)
疑問に首をもたげるエミールは、早く行きたいので適当に声を掛けて早く行こうと急かそうと決める。
「あれくらいの女の子に興味があるの?」
「違う!!」
「うおっ」
ほんの冗談のつもりで言ったエミールに、ヨナスは噛みつかんばかりの勢いで否定した。
「……お嬢があれくらいの年齢なのだ。彼女の身を案じ、つい思索に耽ってしまっただけだ! 別に、そういった趣味では断じてない!!」
「い、いや。ごめんって……そんなに怒らなくても」
予想以上に気色ばんだヨナスをなだめ、2人は街路を再度進む。
怒鳴られてしまったエミールだが、なんだかヨナスとは仲良くなれそうな気がした。
*
すっかり日が落ち、エミールとヨナスはフーゲンベルク邸へと戻っていた。
屋敷の応接室、その下座にあるテーブルとソファに腰かけ、エミールは顎に手を当てて考え込み、ヨナスは項垂れていた。
「さて、これで5人分の聴取は終わったね」
「き、貴様……疲労を感じない体躯になっているのか……?」
ヨナスは今朝より幾分覇気の落ちた声で、エミールを弱々しく睨んだ。
5人分の聞き込みをするにあたり、家族がいなくなったことに泣き崩れるものもいれば、被害者のことを嫌いだったのか話したがらない人もいた。
そう言った手合いにもきちんと情報を手に入れるためにしつこく聞きまわった2人――正確には聞いて回っていたのはエミールで、ヨナスは場所に案内しただけだが――は、一日中駆けずり回った形になる。
しかし、200年前の動乱に比べたら平穏なピクニックと変わらないと感じていたエミールからすれば、なぜこんなにもヨナスがヘロヘロになっているのか、全くわからなかった。
「……そうか、ヨナス……そんなにも心労が溜まっていたんだね……大丈夫、僕が頑張るからヨナスは休んでて」
「…………いや、吾が情けないみたいな感じになっているが絶対に違うぞ? 貴様のどこかの機能が狂っているのだぞ?」
そうしていると、屋敷の使用人が2人に茶を差し出す。
エミールの鼻腔に湯気が揺蕩う。その花のようであり、緑葉のようでもある香りは、動きっぱなしだったエミールの気分をリラックスさせた。
紅い茶が入った陶器を手に取り、口に傾けたエミールは、体内に広がる香りに衝撃を覚えた。
「これは……癖になりそうだ」
思えば、茶というものを嗜んだことはなかった。
貴族なんかが飲んでいるところを目撃することはあれど、エミールのような庶民が手を出せる代物ではない……そう思っていた。
しかしこうも美味いのであれば、貴族がこれ見よがしにティータイムなんてものをつくるのも頷ける。
「ふん、その茶葉は目が飛び出る価格だぞ。主様のご厚意で飲ませていただいているんだ。癖になったところで、そう簡単に飲めるものか……」
そう言って、ヨナスも自分の前に出された茶に手を付ける。
しかし、ヨナスは少し首を傾げ、茶を持ってきた使用人の女性に目を向けた。
「……おい、これは安い方の茶葉ではないか? この男と同じではないのか?」
「当然でしょ。お客様と同じものを使用人のあなたに出せるわけないじゃない。飲めるだけ感謝しなさいよ」
「……」
ものすごく残念そうに肩と眦を落としたヨナスに、エミールは乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
「ま、まあ……整理しようよ、情報」
恨めしそうにエミールを睨むヨナスだが、エミールは知らんぷりをして茶を味わって楽しんだ。
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