第四章―1 第23話 『マッドムントの街』



「全治1週間ってとこね」



 診察室に響いた声は、シンプルにわかりやすいものだった。

 マッドムントの街に到着したエミールたちは、まず街の診療所へとやってきていた。

 そこでエトヴィンを治癒術師の女性に診せたエミールたちは、寝ている本人の代わりに診察結果を聞いていた。



「内出血が酷いけれど、それをどうにかする術なんてないからね。代謝を促進させて自然に健康体に戻るのを待つしかないのよ」



 話を聞きながら、エミールは少し首を傾げていた。



(ナディアだったら、内出血だろうと複雑骨折だろうとすぐに治していたけど……)


 エミール自身、ナディア以外の治癒術師を知らないので、基準がナディアになっていたものだが、ナディアだって勇者パーティの一員。上澄みであるということを、200年越しに思い知らされることになった。



「そこのルヴァイラ勢は青髪の子以外は即日退院でもいいわ。青髪の子は1か所酷い外傷があるけど、3日で治せるわね」



 紺色のローブは存外有名なのか、カルテに記帳しているペンを未だに気絶している3人と腹を押さえながら呻いているメルヒオルに向けてそう言った。



「じゃあ、5人の治療費、入院費併せて金貨5枚ね」


「ごっ……!?」



 術師の言葉にアグネスは目を剥いて驚いている。

 エミールはポケットに入れていた金貨をむんずと掴み、言われた通りの金額を手渡した。



「え……?」


「ちょ、エミールさん!! 多分冗談ですよ!」



 困惑している術師と、ツッコむアグネス。200年で金銭のレート感がわからなくなっていたエミールは、その手の冗談が通じなかった。





 診療所から出たエミールたちは、出口で待っていたマンハイムが、おどおどとしながら話しかけてきた。



「んー……なんというか、助かりますな。こっちの学生の分も……だしていただいて」


「いえ、怪我をしたのは僕たちが一緒にいた時ですから、責任の一端は僕にもあります」



 エミールの態度に安堵の表情を浮かべる。



「んー彼らの親族はこの国の貴族……丁重に扱わなければならないんですな」



 マンハイムの発言にエミールは驚き、笑いそうになる。



「たしかに、あなたはあの時話した人とは別人みたいだ」



 生徒に対してビクビクしている彼の様子に、『ルヴァイラに下がる評判などない』と言い切っていたネイル扮するマンハイムは、存外再現度が低かったのだと思い知った。







「さて、1週間……どうしたものかな」



 飯屋へやってきたエミールとアグネスは、席について料理がやってくるのを待っていた。

 飯屋は酒場や傭兵のギルドのようなものも併設されていて、まだ明るい時間だというのに活気がある。



「うーん、わたしはしばらく宿屋に籠って、できる分の解読を進めようかと思います」


「そうだね、その方が良い」



 エミールにしても、例の史料の内容は興味があるところだ。解読は早いに越したことはない。しかし、その間エミールはどうしたものか……考えても、いい案は出てこなかった。

 料理が来るのを待っていると、エミールたちの前に、数人の男が立ちはだかった。



「おい、そこはウチのアニキの席だ」



 連中の中で一番若輩風の男が、エミールたちに圧を掛けてきた。

 様子を見るに、どうやら彼らはこの街を拠点にしている傭兵のようだ。



「ああ、すいません」


「え、いいんですか、エミールさん……」


「いいでしょ、別に。他の席空いてるし……どこに座ってもご飯の味は変わらないし、まだ料理が届いた訳でもない」



 なんの衒いもなく、エミールは荷物を持って空いている席に移動した。



「ハズい事すんなや。カタギの人に迷惑かけたらあかんわ」



 若輩の後ろに立っていた葉巻を咥えている男が、煙を吐きながら説教をする。



「すいやせんアニキ……それにしても、失踪者がまた出たって話っすよ」



 謝罪を口にしながら、若輩は仕事の話をする。

 不穏な内容が気になったエミールは遠巻きに耳を傾けた。



「ああ……お前らは知らんやろが、今回の失踪者、どうやらフーゲンベルク伯爵の娘らしいで」


「ほんとうですかい!? 領主の娘が……」


「治安も悪ぅなったもんや……最近じゃ、ワシら傭兵に行方不明者の家族からの依頼が止まらん。ま、伯爵んとこは例の『お抱え』がやるんやろうがな」



 可燃部がほぼなくなった葉巻を腰に付けていた袋に捨てた兄貴分は、最後の煙を溜息と共に吐き出した。



「儲かりますねえ、最近は。魔物も増えてますし、傭兵のシノギ全盛期ってかんじっすわ」


「馬鹿言うな。ワシらが儲かるってことは誰かが苦しんでる事実がある。ワシらの前では構わんが、間違うても依頼人の前で言うなや」


「あ、す、すんません」



 意外とまともなことを言う傭兵に、エミールは感心するが、エミールの心には少しばかり引っかかる部分が生まれた。


(……もし仮に、その失踪事件が魔王……バルナバスの行っているものだとしたら)



「エミールさん?」



 考え込んでいるエミールに、対面に座っているアグネスから声がかかる。

 なにかと顔を上げると、目の前には煮付けられた魚料理が、湯気を立ち昇らせながらエミールの前に運ばれていた。



「ご飯冷めちゃいますよー」


「……いただきます」



 エミールは思考を一度やめにして、料理に手を付けた。



「うまっ」



 久々に『ちゃんとした料理』を食べたエミールは、素直にその感想を漏らした。



「……わたしの料理には、そんな反応とかせずに黙々と食べてましたよね?」



 これまでの移動中、馬車で夜を明かすことも多かったエミールたちは、自分達で料理を作る必要に駆られていた。



「いや、まあ……大丈夫。アグネスの料理は……普通に食べれたから」


「なんですか普通にって! 怒りますよ!」



 ぷりぷりと怒るアグネスに小さく謝罪をしながら、エミールは料理に舌鼓を打った。







「ふぅ……くたびれた」



 遺跡を調査し、ゴーレムを鎮め、魔族とやり取りをしたエミールは疲労困憊だった。

 個室のベッドに寝転んだエミールは、天井を眺めながら深呼吸をした。


(…………もし仮に、さっき聞いた話が魔王に関係していたとして、人を攫う目的は? ……いや、そもそもバルナバスの言ってた魔王の目的ってのがわからない以上、考えるだけ無駄か……)


 結局は『魔王の目的とは?』という疑問に収束する。

 堂々巡りの疑問に飽き飽きしたエミールは、寝返りをうってシーツに顔をうずめた。


(……気になるな……エトヴィンが復帰するまでの1週間、個人的に調べてみるか)


 もう一度寝返りをして仰向けになったエミールは、自分の顔の前に舞った鱗粉に目を奪われた。



「ん……? これは……」



 その鱗粉は金色の蝶から出ていた。蝶はふわふわと纏って飛んでいる。エミールは窓の方を向く。先程までは閉まっていたはず……。



『この子が開けたんだよぉ』



 ビクッ、と、エミールは驚いて肩を揺らす。

 聞き覚えのある声だ。ホーホラント王城で出会った、あの金色の少女……ノルンの声そのものだった。



『驚いたぁ? 驚いているよねぇ。まだ魔喰蝶がなにできるか知らないもんねぇ』



 蝶から聞こえるノルンの声は、顔も見えないのに笑っている様子が伝わってくる。


(魔喰蝶は会話もできるのか……便利だな)と観察しているエミールの鼻に、蝶はとまる。



『あぁちなみに魔喰蝶に話しかけたところでぇ、本当は声聞こえないからねぇ。ワタシのだからぁ、特別ぅ』


「……あ、そう」



 見透かされるような……実際見透かされているのだろうが、ノルンの話にエミールは頭を掻いた。



『あははぁ、そう不貞腐れないでよぉ。エミールのしたいことぉ、手伝ってあげようと思ったんだぁ』



 あやすような口調のノルンに、エミールは鼻についた蝶を払おうかと考えるが、ノルンが何をしようとしているのかが単純に気になったので、眉をひそめるだけに留めた。



『カーステン・フーゲンベルクに「ノルンの託宣で訪ねてきた」って言えばぁ、エミールのしたいことに一気に近付くよぉ』


「フーゲンベルク……?」



 聞き覚えのある名前に、エミールは反復して名前を唱える。

 それは飯屋で聞いた、娘が疾走したという伯爵候のはずだ。たしかに、直接被害者の関係者に話を聞けるとなれば、情報を多く引き出せるだろう。


 しかし、予知能力があるとはいえ、遠く離れた地にいるエミールの悩みもわかるとは、一体彼女の能力はどこまで強力なのだ。そう思いながらも、恩恵にあずかっているエミールは頭が上がらない。



「ああ……助かるよ。ノルン」


『えへへぇ、どういたしましてぇ』



 少女の無邪気な声に、エミールはどこか安堵感のようなものを覚えた。

 予知能力のある彼女が否定しない道である……その事実は、エミールにとって大きなものだった。


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