第三章―8 第22話 『霧中の覚悟』
「【ケナズ】」
一言、男がそう呟くと同時に、メルヒオルはよろめいてそのまま倒れた。
メルヒオルには見ることすらできなかったが、黒い男が放った【ケナズ】――火の玉は、メルヒオルの懐へと打ち込まれていたのだった。
「ぐ――――」
「メルヒオル!!」
倒れた青髪に走り寄るエミールは歯噛みをする。
【スヴェル】をケナズ着弾の直前にメルヒオルに向けてかけていたエミールだが、間に合っていたのかいなかったのか、わからない。
もし間に合っていなかったらエミールはまたみすみす判断ミスをしたことになる。間に合っていたとしても、自分の術は役に立っていなかったことになる。
(また僕は……!)
いろいろなことが頭を巡っているエミールに、黒い男は鼻を鳴らし、踵を返して歩き始める。
「…………次に会う時は……もっと建設的な話をできると…………期待しているよ」
「ま……待て! くそ! 待つんだ!!」
対抗策も何もあったものではないが、エミールはとにかく叫ぶ。
それを眺めながら――否、眺めているのかどうかはわからないが、顔を向けながら顔無は大きく息を吐いた。
「はぁーだる。鬱陶しいよ、お前。思ってもねぇこと言うなよ」
「は……?」
「わかんだよ。口では勇ましいこと言ってるが、本気で止めたいって思ってるわけじゃねーだろお前。バルナバスはアンタのそういうとこ指摘してたんじゃねーの? …………何でオレが教えてやらなきゃなんねーの? はぁー……」
その言葉を最後に、顔無も黒い男……バルナバスの立ち去って行った方角へと歩き出していった。
「バル……ナバス」
どこかで聞いた名前を反復しながら、エミールは倒れているメルヒオルを抱き起していた。
*
「……ご苦労だった…………ネイル」
「はぁー、ほんとだよ。感謝してほしいね、全く……はぁーだる」
黒い男――バルナバスは、ネイルと呼んだ顔無にねぎらいの言葉をかける。
「で、アンタ結局なにしたかったの? 『オレの存在理由』的に手伝わざるを得なくなってたけど、手伝ったんだから意図くらい聞かせてくれよ。まあ長話ならだるいから聞かないけど」
「単純な話だ……俺は彼を……こちら側に引き入れようと考えている……」
「は? 勇者の手下を? そりゃアンタ……イカレてる。しかもアイツ、魔王の目的を一番有効的に阻んだ奴だろ」
ネイルは無い顔を驚きに歪めた。
バルナバスは面頬を撫でつけながら、くまの深い目を昏く笑う。
「200年という時の歪みは…………そう容易いものではない……たった5年ですら……人は闇に堕ちる」
そのバルナバスを見て、ネイルは癖になっている溜息をまた吐いた。
「説得力があるね、全く」
*
「エミールさん! 大丈夫ですか!」
遺跡から出てきたアグネスとマンハイムを尻目に、エミールはメルヒオルを横抱きにして馬車が停めてあるところへ向けて歩いていた。
「僕はいい。それよりも急いで最寄りの街へ行くんだ……メルヒオルがまずいし、なによりエトヴィンもちゃんとした治癒術師に診せなきゃ」
余裕を失い、早足になっているエミールに、アグネスは首を傾げる。
「んー……ここは一体、どこなんですかな」
マンハイムは困惑を隠せず、きょろきょろと挙動不審だ。
「エミールさん。マンハイムさんはどうやら、この遺跡に向かうところであの魔族に眠らされてしまったって……わたしたちと話していたのは、あののっぺらぼうだったみたいです」
「……そうか」
アグネスは早足に歩くエミールに報告をした。
エミールは眉をひそめて唇を噛む。頭の中には、さっきのネイルとバルナバスとの問答がずっと反響していた。
「……あののっぺらぼうが……その、魔族なんですか?」
「…………うん。あれが魔族だよ」
魔族。魔王が生み出す一族。
その存在が魔王の復活を示していることは、恐らくエミール以外は知る由もない。
(魔王……あのバルナバスって男が魔王について語るということは、魔王は既に復活していて……? 魔物が最近増えているって話も、もしや…………いや、だとすれば『夜』が蔓延しないのは……)
魔王の復活について思案を巡らせているエミールは、答えが出ないのはわかっていてもそれを止めることができない。
ノルンから託された魔王の再討伐……それに責任を感じる思いが、魔王に対する考察に歯止めをきかなくさせていたのだ。
「――ルさん、エミールさん!!」
アグネスに何度も声を掛けられていたエミールは、はっとしたように振り返る。
「馬車、乗らないんですか?」
「あ、ああ……ごめん」
考え事のせいで周囲が見えていなかったエミールは、メルヒオルを抱えたまま駐車してあるところを通り過ぎていた。
*
エミールたちは乗ってきていた馬車に乗り、ルヴァイラの乗ってきていた馬車と並走していた。
アルタトゥム霊山から最寄りの街であるマッドムントの街へと進路を取っている馬車の中、空気は非常に重かった。
「…………」
まだ目を覚ましていないエトヴィンは、ガタガタと揺れる馬車で寝心地が非常に悪そうに顔色が悪くなっている。
それに加えずっと無言で考え事をしているエミールと、空気を察して黙っているアグネス。空気が和やかになるわけもなかった。
(バルナバスが言っていた、『戦う理由』……僕に問い詰めてきたということは、魔王側にはあって、それを知るにはアルタトゥム遺跡の史料が関わってくる……)
エミールはバルナバスが言っていたことを整理し、自分が今何をすべきかを考えていた。
その中で、エミールはアグネスが拝借していたものを思い出した。
「……アグネス、君はこれからどうするんだ?」
「え、あ、そうですねー……とりあえずはこの書物の解読が優先ですかね。フリーデンに行けば必要な文献があると思うので……エトヴィン君の治療が済んだら、一度帰ろうかなと」
アグネスの返答は、エミールにとっても都合の良いことだった。
エミールとしてもバルナバスが何を言わんとしていたのか、理解するにはまず資料の解読が必要だが、それはアグネスに頼る他にない。
「ぐ、く……別に、ボクは……平気だ。直接……フリーデンとやらに向かっても、構わない」
目を覚ましたエトヴィンが無理矢理に体を起こしながらそう言った。
「何を言っているの! あのルヴァイラの人、治癒術も大したことなくて内臓がまだ万全じゃないんだから!」
明らかに具合が悪そうなエトヴィンに、アグネスはぷりぷりとそう言った。
「僕も……治療はしっかりするべきだと思う」
エトヴィンの怪我に自分の責任もあると感じているエミールからすると、苦しんでいるエトヴィンを見るだけで心が痛い。しっかり治療してもらわなければ、道中ずっと申し訳ない思いをすることになる。それは避けたい。
「ぐ……これじゃ…………贖罪にならない」
朦朧とする意識の中でのエトヴィンのつぶやきに、アグネスは首を傾げる。
「いいから、回復するんだ。そうじゃないと何もできないだろう……【アンナル】」
そう言ってエミールはエトヴィンの目を手で塞ぐと、術を唱える。
すると苦しそうにしていたエトヴィンは呼吸安らかに、深い眠りへと落ちて行った。
「え、強い術ですね。強制睡眠……」
「その代わり魔力消耗も大きいし、そもそも目に手を被せるっていう条件付きだから、戦闘中に使う暇はないよ」
よくできているもので、強力な術であるほどに使うのが難しい。
「そうだ、ハイマト村での事件で名前があがっていたバルナバスって男に会ったよ。魔族はそいつの差し金だった」
「え? ……どういうことですか?」
エミールはアグネスに、バルナバスという男についてあったことを話した。
妙にエミールに詳しかったことまで話したが、魔王についてのことと、エミールの戦う理由についてのことは伏せることにした。
隠し事をしながらの説明に、エミールは自分に対する疑問がわく。
(……もし、魔王の復活が秒読みだとして、ここで話さないことは本当に正しいのだろうか)
ノルンに対して慮った行為だったとはいえ、エミールは自分のしていることが本当に正しいのか、わからなくなる。
それでも、ノルンを信じて取っている行動だ。
今更、怖がって信条をぶらすのは、今まで取ってきた行動の責任放棄であるし、なにより裏切りだ。
エミールは、改めて魔王の復活を秘すことを覚悟した。
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