第二章―1 第9話 『帰郷』


「ふぅ……もういないかな」



 王都から出発した馬車に揺られて数時間。エミールは平野に立ち、顔についた血を拭っていた。

 エミールの足元には5体の四足獣型の魔物……その死骸が転がっている。

 魔王が表舞台に上がらなくなったとはいえ、魔物という存在は未だ消えることはなく存在し続けている。


 次なる目的地に向かっているエミールたちの馬車を襲ってきた魔物達は、エミールの手によって排除されたのだ。

 エミールが馬車に再度乗り込もうと近付くと、中に隠れていたアグネスと御者が羨望の眼差しでエミールを見つめていた。



「……凄い、さすが英雄! だから女王様に『護衛付ける』って言われたのを固辞していたんですね! 正直『まじかよ……絶対つけてもらった方が良いのに……』って思ってましたけど!」


「…………まぁ、このくらいの魔物なら200年前もっといっぱいいたし、もっと強いのもいたし……多分当時だったら子供でもこの程度はできていたよ」


「200年前、どんな世界だったんですか……」



 エミールはそれを聞いて、ノルンから聞いた魔王が目論んでいたという世界を平和ボケさせるという作戦が如実に成功していることを痛感する。

 本来であれば喜ばしいことであるはずのそれも、『魔王は死んでいない』と知っている身からすれば、胃が痛くなる思いだ。


(って言っても、右も左もわからないからなぁ……今はとにかく、今のこの世界のことをよく知らなければ)


 馬車がガタンと揺れ、その進行を再開した。

 軽く酔いを感じながら、エミールは向かいに座るアグネスに問い掛けた。



「そういえば、今はどこに向かっているんだ?」


「あ、そうですね。次に向かうのは『ハイマト村』です」


「……何だって?」



 アグネスの告げた村の名前に、エミールは驚いて聞き返す。



「僕の……故郷じゃないか」




* * * * *




<201年前 ハイマト村>




「母さん、僕……魔王討伐隊に選ばれたんだ。凄いでしょ」



 王から勅命を聞き入れた後、エミールたちは一度地元へと戻り、それぞれの準備を整えるように指示された。

 帰ってきたエミールは椅子に腰かけ、母への報告をしていた。



「って言っても、僕はオマケみたいな存在で……僕以外の人たちが凄いから、多分何かの間違いで選ばれたんだと思うけど」



 自嘲気味に半笑いでそう述べたエミールは、沈黙がその場に流れるのを感じていた。

 一言も発さず……眠り続けている自分と同じ白色の髪をした母親を見て、エミールは溜息を漏らす。



「……もう行くよ、母さん」



 別れの言葉にも返事はない。

 エミールは振り返りもせず、扉に手をかけ、外に出る。

 持った荷物は着替えと、手渡された本。それだけだった。





「お、もういいのか? エミール」


「はい……お待たせしてすいません」


「……いいの? 長い旅になる、のに」



 村の外で待っていたパーティに合流したエミールに、ヴィルヴァルトやナディアが声を掛けた。



「……ええ、僕はこの村……そんなに好きでもありませんから」


「家族はどうしたのよ」


「……二人で住んでいた母が『常夜症』なんです。だから、大丈夫です」



 ――――『常夜症』。

 世界を雲が覆ってから、人々が目覚めなくなるという現象が起き始めた。

 エミールの母もまた、その謎の現象に蝕まれ、長い間目を覚ましていない。


 そんな状態に陥っても、エミールの母は衰弱することもない。活動に使うエネルギーが極端に少ないため、空気中に漂う魔力で補われているのではないかとエミールは考えている。

 だからエミールはこの村にいる必要が無い。


 さらに常夜症の原因は魔王にあると言われている。予言で選ばれたからというだけでなく、エミールは『母の目を覚ましてやりたい』という目的もあったから、魔王討伐を快諾したのだった。



「……悪いこと聞いたわね」


「え?」


「なんでもないわ、行きましょ」



 ロスヴィータが小さく呟いたことを、エミールは聞き逃した。

 小さく首を傾げながら、エミールは『好きじゃない』村を振り返る。


 村には畑と、背の低いしょぼくれた建物……それくらいしかない。

 眺めているエミールの胸に、なにかもやっとした感情が沸き起こる。

 それが何かわからないままに、エミールは村に背を向け、歩き出す。


 それから201年の間、エミールがこの村に帰ってくることはできなかった。




* * * * *




<現在・ハイマト村>



「……ここ、ハイマト村?」


「はい、ハイマト村です」



 目的地に着いたエミールは、隣に立つアグネスに問い掛ける。

 その答えを聞き、再度エミールはぐるりと視線を回し、自分の記憶と現状見える景色をすりあわせる。


 寒村にすぎなかったエミールの記憶とは異なり、今目の前にある村は多くの人が行き交っていた。

 建物は高くレンガが積まれたわりと新しいようなものがいくつも建っており、広場には噴水と銅像なんかが建立され、出店が人々に活気を与えている。



「なんかすごい栄えてる……」


「それはまあ、英雄エミールの故郷ですからね。そりゃあもう観光客がいっぱい来て儲かるでしょう」



 ――200年も経てば、あの寂れた村もこうなるのか。

 エミールは感心半分、それ以外の気持ち悪いような感情半分でハイマト村を眺めていた。



「せっかくですから、エミールさんの生家に行ってみましょうよ!」


「えぇ? 今、他の人住んでるんじゃ……?」


「いいですから! いきましょ!」



 背中を押されながら、エミールはアグネスの案内で、201年ぶりに実家へと戻ることになった。





「さあ、並んでください! ここがあの英雄、エミール・レークラーの住んでいた家だよぉー!! 当時の形そのまま残ってますよ! 銅貨一枚で見学をしませんかー!」



 中年の男性が、かつてエミールが住んでいた場所の前に立ち、手を叩いて通行人の気を引いている。

 男性は当時の姿そのままと言っているが、エミールが家を見てみると、改装されているのか屋根や壁が結構変わっている。男は嘘をついている。



「……なんだか気分が悪いな、知らないところで勝手に金儲けに使われているのは」


「まあ、エミールさん有名人ですからね」



 苦笑いをしているアグネスに連れられて、エミールはその男の前に行った。



「おっ、お二人さん! 入るかい?」



 男は笑顔を浮かべ、アグネスから銅貨二枚を受け取るとその笑顔をさらに深めた。



「……なんで自分の家に金払って入らないといけないんだ」


「まあまあ、研究費から出しますから、お気になさらず」



 眉間に皺を刻み、溜息を吐いたエミールをアグネスはたしなめ、二人は建物に入る。

 中には観光客が数人入っており、『エミールの使っていた食器』という貼り紙を張られた見たことのない陶器や、着たことのない『エミールの着ていた服』の貼り紙のある飾られた服をありがたそうに見ていた。



「……悪質だ! 思いの外!」


「利益のために歴史って改変されていくんですねぇ」



 感心したように頷くアグネスとは裏腹に、エミールは憤慨した様子で叫んだ。



「駄目だ、ここにいると精神衛生上よくない。出たい」


「そうですね。ここが虚飾に塗れているとわかった以上、もういる意味もないですしね」



 頷いたアグネスを確認し、エミールは早々に家を出る。


 エミール達が家を出ると、村の門の方角から耳を劈くような叫びが轟いた。



「!? なに、今の悲鳴……」


「アグネス、行くよ」



 声の方向へ、エミールは駆け出す。

 アグネスもそれに倣い、走り出そうとする。だが、エミールの速度には到底追いつけなかった。


「は、はやっ……!」



 早くも大差を付けられたアグネスは自分の出せる全力を出す。

 エミールがふと振り返ると、アグネスが大変そうな表情をしていることに気が付き、立ち止まってアグネスに向けて掌を向けた。



「ああ、ごめん。【ラド】」



 エミールはそう呟くと、アグネスの足が急に軽くなる。

 【ラド】は初級の敏速上昇魔法だ。大した術ではないが、素のエミールに追いていかれることはない。



「急ぐよ!」


「……はい!」


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