第一章―6 第8話 『再出発』




「な……に? ノルン……? どういう、ことだ?」


「あははぁ、ビックリしてるねぇ。エミールはいっつもおどおどしてるよねぇ」



 エミールは少女の顔をよく見る。

 そのあどけない表情は、以前の記憶とよく重なるが……詳細に見ていくと、目鼻立ちや詳細な顔のパーツは、少し違うような気がする。



「あ、わかる? ワタシはワタシだけどぉ、あの時のワタシとは違うワタシなんだよねぇ」


「……ごめん、よくわからない」



 エミールのその答えが面白かったのか、ノルンによく似た少女は愉しげにニコニコしている。



「あははぁ。エミールと会った時のワタシはもう死んじゃったんだけどぉ……ワタシの意識は継続して生き続けているんだぁ」


「…………」


「つまりぃ、そうだなぁ……個体は違うけどぉ、心が同じってことだねぇ」



 少女の説明にようやくすこし理解が進んだエミールは、しかしその現実とは思えない事象に眉間の皺を深くした。



「あははぁ。やっぱり生で見ると反応面白いねぇ」


「生で……?」


「ワタシ未来見えるからぁ、人生で何が起きるのかぁ、大体何が起きるのかわかっているんだよねぇ。200年前からこうして再会することもぉ、全部知ってたんだよねぇ」



 予言者である彼女の言葉に、エミールは納得に小さく頷く。

 彼女が初対面の時にエミールのことを知っていたような口ぶりだったのも得心が行く。

 彼女のどこを見ているかわからないような状態も、もしかしたら未来視を発動していた状態だったのかもしれないとエミールは推測を付ける。



「さて……ノルン。貴女の望み通り、やってきたエミール様を貴女の元へ案内しました。これで、この国の……未来を教えていただけませんか」



 女王はノルンに向けて要望を口にした。

 先程『エミールに時間を掛けるのは当然』のようなことを言っていた彼女だが、そもそもの目的はノルンから予言を聞き出すためのご機嫌取りだったらしい。


(……食えない人だな)


 エミールは少し女王のやり方に少し渋いものを食わされた気分になるが、為政者とはそういうものだろう。

 そう思って黙って眺めていると「んー」と考え込むようにして、ノルンは自分の長い髪を指先でくるくると遊ばせた。



「んー……やだ」


「……何ですって?」



 ノルンの短い拒否に、女王の片眉がピクリと動いた。



「ワタシはぁ、エミールとしか話したくない。クレメンティーネにぃ、ワタシの予言を聞かないでほしい」


「それは……どうしてですの?」


「それも教えなきゃわからなぃ?」



 ノルンはニコニコと笑いながら、冷たい言葉を女王に向けて放つ。

 後ろにいたアグネスが不敬なその態度に顔を青ざめさせるが、女王は口を一文字に閉じたまま、踵を返し、ノルンの部屋からつかつかと出て行った。



「……わかりましたわ。ご自由になさい。ただし、エミール様。ノルンとの会話が終わり次第、謁見の間へといらしてください。構いませんね?」


「は、はい。了解しました」



 それだけ確認すると、女王は付き人を引き連れきびきびと立ち去っていった。

 それをごろんと寝返りを打ちながら見送ったノルンは、アグネスに緩慢に指を指す。



「アグネスもどっか行ってぇ。ワタシぃ、アナタにも聞かせるつもりは無いのぉ」


「えっ……あ、はい、そうですよね、わかりました」



 アグネスも突然名を呼ばれたことにびっくりしながら、部屋を出て扉を閉める。

 外からの光が遮断され、蠟燭の光のみに照らされた部屋の中で、エミールとノルンは二人きりになった。



「……どういうことだ? 僕以外に聞かせたくないって」


「それよりぃ、ワタシに言うことない? エミール」



 彼女はどこかニヤニヤしながら、エミールに上目遣いを見せる。

 ノルンが何を言ってほしいのか、よくわからなかったエミールだが、前に会った時、ノルンの便宜によってエミールの適性であった本を3冊与えられたことを思い出した。



「……ああ、200年前はありがとう。おかげで、ただの無能にならずに済んだよ」


「――――あははぁ、やっぱりエミール好きぃ」



 これまでの笑みとは違い、ぱっと花開いたように笑ったノルンに、エミールは少し戸惑った。



「……で、僕に聞かせたいことって?」


「ああ、エミールにはねぇ、また世界の英雄になってもらいたいんだぁ」


「……なんだって?」



 荒唐無稽なノルンの言葉に、エミールは本日何度目かもわからない困惑を表した。



「何を言っているんだ? 魔王は既に討伐されているじゃないか。もうこの世界は平和になったんだろう?」


「エミールは素直だよねぇ。まぁ、それが良いところでもあるけどぉ」


「……?」


「皆が魔王はもう討伐されたーっていえばぁ、本当にそうだと思っちゃうもんねぇ」


「――――」



 エミールは言葉を失った。



「ま……待て待て。嘘でしょ。じゃあ、どうして……」


「200年もなにもなかったんだーってぇ? それは簡単な理由だよぉ。人間だって怪我したら治るまで何もできないでしょ? それとおんなじだよぉ」



 エミールは手を頭に当て、呼吸を浅くした。

 ノルンの予言者としての正確さは自らの才覚を以て知っている。そのノルンが言っていることに間違いがないことを、エミールは確信しているのだ。



「そう。魔王はまた復活するんだよぉ。200年前と同じ……いや、多分それよりも強力になって、ねぇ」



 エミールは、若干の絶望を胸の内に感じた。





「……ふ、復活するのはいつだ? 10年とか、20年とか……それくらいなら、まだ――」


「残念だけどぉ、そんな悠長には待ってくれないよぉ」



 エミールは言葉を失い、蝋燭の火が揺らめくのを茫然と眺めた。



「魔王の狙いは3つあったのぉ。勇者戦で負った傷を癒すことぉ、長い時間を掛けて自分の魔力を蓄積することぉ、で、平和ボケした世界に変えることぉ」



 ノルンは指を折りながら饒舌に解説をする。

 その解説に、エミールはゲルハルトのことを思い出した。

 魔術学校という、恐らく才能のある人が集うであろう場所でトップクラスと謳われていたゲルハルトが、エミールに手も足も出なかった。


 言ってしまえば、レベルが低いのだ。エミールは自身が戦うには向いていない才能である自覚がある。そのエミールが、魔術学校という高め合いの場に身を置くゲルハルトに容易く勝ててしまった。

 魔王の目論見は成功しているということになる。



「……どうすればいいんだ? 僕にわざわざ伝えるってことは、なにか対策があるんだろう?」


「あるけどぉ……あははぁ、教えなーい」


「え?」



 無邪気に笑うノルンに、エミールは予想外のあまり間抜けな声を上げた。



「な……なんで?」


「ワタシは知っているからぁ。教えなきゃいけないことと、教える必要のないことぉ」



 つまり、ノルンは『エミールにどうすべきか伝える必要はない』と判断したことになる。

 教えてくれれば、簡単に済む話であるはずだ。

 だというのに、ノルンに教えるつもりはないというのは……どういうことだろうか。



「教えてほしぃ? エミール」



 見透かしたように笑うノルンは、無垢な少女のようでありながら、どこか妖艶にエミールを見つめていた。



「いや……君が言いたくないんだったら、聞かない」



 どんな目的があるのか、なにを思っているのか……それはわからないが、ノルンがエミールに才能を自覚させ、その成長のきっかけになったのは紛れもなくノルンの行動だった。

 ノルンが味方であることを確信しているエミールは、言いたくないという意思を尊重する以外の選択肢がなかった。

 この受け答えすら、未来が見えるノルンにはわかっていたことなのだろう。



「――――あははぁ、エミール、大好きぃ」



 しかしエミールの目には、ノルンの表情が本気で喜びにほころんでいるように、そう見えた。






「――――ご苦労様です、エミール様」


「……は、もったいなきお言葉」



 エミールは女王の指示通り、ノルンの部屋退出後、アグネスと共に謁見の間へとやってきていた。

 玉座に座った女王は流石に風格があり、初対面での非礼を悔いる反面、(あの玉座に座れば、もしかして誰でも威圧感でるんじゃないか……?)という疑問が噴出した。



「……それで? ノルンは貴方にどのような予言を授けたのですか?」



 予想していた質問が、エミールに降りかかる。

 女王という立場上、国を背負う彼女にはノルンの予言は大いに縋りたい存在だ。

 これまでの口振りから、ノルンが女王に予言を授けなくなって久しいのだろう。となれば、当然のように予言をエミールから聞き出そうとするのは当然のことだと、エミールも思う。



「……どうしたのですか? なにか言えない理由でも?」


「いえ…………」



 ただ、ノルンは女王に言いたがらなかった。『魔王がじきに復活する』という、世界を揺るがす予言。それをあのブロンド髪の少女は、言いたがらなかったのだ。

 ノルンが何を考えているのかはわからない。

 女王が聞き出そうとしている理由は、重々承知している。

 それでも、エミールは――――



「女王様、それをお伝えするのは……少し、待っていただけませんか」


「……それは、どういうことですか?」



 ノルンの気持ちを無碍にすることができなかった。



「あのノルンが、いたずらに困らせる為だけに情報を秘匿しているとは考えにくい……という点は同意いただけますか」


「……ええ。それはわかっています」



 見た目がただの少女であっても、彼女はこの国のことを誰よりも知り、誰よりも役に立ってきた存在だ。その彼女を否定することは、国そのものを否定することにつながる。エミールはそこを突く。


「その彼女は未来が見える。彼女の行動には意味がある。その彼女が『予言を僕以外に言いたくない』と言った。僕は、その彼女の行動を尊重しなければならない……という風に考えます」



 エミールはノルンの意図はまだ汲み取れていない。それでも、この寂しくなってしまった世界で、ただ200年前と変わらずに接してくれた彼女のすることを大事にしたい。エミールは自然と、そう考えていた。

 しかし、そんなエミールのことなど知ったことではないと、女王はエミールに冷えた視線を送り、小さく鼻を鳴らした。



「少女一人の感情の為に、国に住まう民を振り回すわけにはいきません。エミール様。執政は子供のお遊びではございません」



 為政者としての言葉。それは正論に聞こえる反面、エミールにはとても馬鹿げた発言に聞こえた。



「その子供のわがまま一つで立ち行かなくなる国で、何を言うんですか」


「……!! 不敬であるぞ!!」



 口をついて出た言葉に、女王の傍に控えていた大臣や、部屋の隅に並んでいた兵士が騒めき立つ。

 エミールは想定以上の反応に内心しまったと汗をかく。図星を突いてしまったようだ。しかしここまで言ってしまった以上、もう後には引けない。



「……ノルンを信じてあげてください。僕は彼女を信じたい。あなたたちは自由を奪っている少女に、そんなことも許してくれないんですか」



 あまりな仕打ちではないか。200年以上この国のために予言を与え続けてきたであろう少女に対し、一つのわがままも許さないなんて。

 そのエミールの悲痛な、言葉にしない思いが通じたのか……騒めき立っていた連中も少し静まる。



「…………それが、ひいては国のためになるのですね?」



 女王が居住まいを正し、エミールに真っ直ぐ問い掛ける。

 この問答が、これまでのやり取り全てをまとめる一言になる。そう感じたエミールは、自分が持つ一番説得力を持つ言葉を、明確な覚悟を以て口にする。



「勇者一行の名に誓って」



 エミールの一言に、謁見の間は完全に静まり返った。



「……わかりました」



 その一言で、エミールは少しだけ、ノルンへ恩返しができたような気になった。







 城を後にしたエミールとアグネスは、やってくるときに乗ってきた馬車に再度乗っていた。その中で、ずっと沈黙を貫いていたアグネスが堰を切ったように口を開いた。



「え……エミールさん……! 気が気じゃなかったですよ! 何であんな急にイキったんですか!?」


「いや、うん……ああでも言わないと、一旦でも退いてもらえないと思って」



 『イキった』という言葉の意味自体はよくわかっていないエミールだが、青い顔をしてオロオロしていたアグネスには悪い事をしたと感じている。



「しかし、どうしたものかなぁ……いや、言っちゃった手前、しょうがないか…………人、集めないとな」



 魔王が復活するという情報を手にし、その情報を秘匿にする……その上、女王には『悪いようにはしない』と啖呵を切ってしまった。

 言葉の責任は取らなければいけない。エミールは200年後のこの世界に、やらなければいけないことが生まれた。



「……もしかしたら、ノルンは……僕に生きる意味を与えるために…………?」



 だとしたら、また恩返しをしなくてはならない。

 エミールの胸に決意が漲り、200年越しの魔王討伐を、再度胸に誓った。



「何ですか? 何を決心した顔してるんですか? エミールさん!!」



 やかましいアグネスの声を掻き消すように、馬車が発進し、ガタガタと音を鳴らす。

 エミールはまた酔った。酔いはいつも、彼の旅の始まりを示してきた。エミールにとって望まない旅の。

 それでも空が晴れていたから、エミールは笑顔を浮かべることができた。



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