その46

R38基地(ホルモン・スモーク)2階南側の部屋


高井大佐と上沼大尉、下田大尉による停戦交渉が成立し、香貫軍が武装解除を始めると、高井大佐は急に走り出し、堀内少将のもとに向かった。

上沼大尉と下田大尉は、高井大佐が急に走り出したため、驚いて拳銃を抜きながら高井大佐の後を追った。

堀内少将は、軍医の治療を受けていた。軍医は高井大佐と目が合うと頭を横に振った。

高井大佐は堀内少将の隣にひざまずいた「司令官、終わらせましたよ。香貫山に帰りましょう」弱いながらも意識はあった堀内少将に話しかけた。

「高井君か、すまんな。私は疲れた。悪いが先に香貫山に帰ってくれ」

「いえ、司令官、一緒に帰ります。しっかりしてください」

「そうだな。みんなを連れて帰ろう」堀内少将は弱々しくほほ笑んだ。そして思い出したように言った。「高井君、最後の願いを聞いてくれんか」

「最後じゃありません。これから何度でも願いを聞きます」

「すまんな……紬(つむぎ)と凛(りん)のことだけが気がかりなんだ。よろしく頼む」堀内少将は、高井大佐の目をしっかりと見据えると、高井大佐の手を強く握った。

そして、堀内少将は目を閉じると、高井大佐の手を握る力が徐々に弱くなっていった。

「司令官、あなたとの約束、必ず守ります。お二人のことは心配しないでください……ゆっくりお休みください」高井大佐は堀内少将の手を静かに床に下ろした。

二人の傍らに立っていた上沼大尉と下田大尉は、拳銃をホルスターにしまうと息を引き取った堀内少将に敬礼して最後を見送った。




R38基地(ホルモン・スモーク)2階核弾頭保管格納庫 星川合衆国陸軍3/75Ranger(レンジャー第3大隊)、星川合衆国海軍 シールズ、酒匂陸軍 特殊作戦群臨時特別分遣隊


香貫軍が降伏したとはいえ、上沼大尉と下田大尉には最後の難関が待っていた。香貫KGBが立てこもる核弾頭保管格納庫の開放である。

核弾頭保管格納庫を開放し、核弾頭を持ち帰らなければ作戦の半分は失敗したことになる。

レンジャーと酒匂陸軍特殊作戦群臨時特別分遣隊が強襲を始めようとしたその時、高井大佐が核弾頭保管格納庫に立てこもる香貫KGBを説得させてほしいと申し出てきた。これ以上の損害を出したくない上沼大尉と下田大尉は、高井大佐の申し出に同意して説得が開始された。

高井大佐は、核弾頭保管格納庫の人が出入りする強化ドア横にあるインターホンを通じて内部に立てこもるKGB第3総局核防護課の工藤大佐を説得した。だが、工藤大佐は頑なだった。

「うるさい! 降伏の説得をする時間があるのなら直ちに攻撃を再開しろ! 腰抜けが!」

正直なところ工藤大佐は戸惑っていた。KGBの将校である彼は、KGB以外の人間から自分の意にそぐわないことを強要されたことなどなかった。誰もがKGBを恐れる香貫においてKGBは常に強要する側だった。KGBの大佐である自分がKGB以外の者に事を強要されるなどありえない。それに、たかが軍の政治将校である大佐の言うとおりに核弾頭を星川に渡してしまったら、私のKGBでの立場はどうなる。いや、それどころか処刑される。工藤大佐にとって核弾頭保管格納庫を明け渡すことなど問題外だった。

「高井大佐、腰抜けとはいえ同じ香貫の同志だから教えてやろう。我々はこれから核弾頭を爆破する。その前に星川でもどこでも逃げるがいい。KGBの慈悲に感謝するんだな」工藤大佐はそう言うとインターホンを切った。

「核弾頭を爆破するとなると…時間がない。高井大佐、突入する。いいですね」上沼大尉の決断に高井大佐は頷いた。

「準備は?」上沼大尉の問い掛けにシールズ・島崎大尉、酒匂陸軍特殊作戦群臨時特別分遣隊長・須磨少佐は黙って親指を上げると、全員NVGを着けた。

当初の計画では、酒匂陸軍特殊作戦群臨時特別分遣隊が核弾頭保管格納庫に突入して内部を制圧することになっていた。だが、激しい戦闘で酒匂陸軍特殊作戦群臨時特別分遣隊6名中3名が戦死したため、急遽シールズの5名が突入に参加することになっていた。


核弾頭保管格納庫の内部は、核弾頭保管室、事務室兼待機室、空調機器室の3区画に分かれていた。

核弾頭保管格納庫の正面には防弾シャッターで閉ざされた核弾頭搬出用出入り口があり、その横に人が出入りする強化ドアが設置されている。そして、内部の核弾頭保管室の入り口は、核弾頭を搬出入しやすいように防弾シャッターのすぐ内側にあった。


突入作戦は、最初に核弾頭保管格納庫に電力を供給する電線を切断することから始まった。

次いで、M3(カールグスタフ30ミリ無反動砲)によって防弾シャッターが破壊された。

シャッターが崩れると、島崎大尉ら4名のシールズが素早く内部に突入し、電気の切れた暗い廊下を走った。

廊下には、防弾シャッターが爆破されたときの衝撃でぼう然としていたKGB3名がいた。だが、彼らは抵抗する間も無く島崎大尉らの銃弾によって倒された。

事務室兼待機室と空調機器室に分かれたシールズの4名は、同時にショットガンでドアを破壊すると手榴弾を部屋に投げ込んだ。

手榴弾が爆発すると、シールズの4名は素早くそれぞれの部屋に突入し、手榴弾の爆発によって倒れなかったKGBを撃ち、制圧を完了させた。

シールズの4名は、担当範囲の制圧を確認すると「クリア」と報告し、部屋を出て核弾頭保管室の入り口に戻った。

核弾頭保管室の入り口では爆破専門のシールズ・越智上等兵曹がC4プラスチック爆弾で核弾頭保管室の強化ドアを破壊する準備をしていた。

「ブリーチング(ドア破壊)準備は?」島崎大尉の問いに、越智上等兵曹は「終わった。外に出てよう」と言って、信管に繋がれたコードを伸ばしながら核弾頭保管格納庫を出た。

外では核弾頭保管室への突入準備ができていた。越智上等兵曹は警告を発すると爆破のスイッチを入れた。

爆破されてもドアは残ったままだった。火薬の量が多すぎると、内部にある核弾頭が傷つく可能性がある。このため、越智上等兵曹はドアを破壊する火薬を最小限にとどめたのである。

続いて大きなハンマーを持ったレンジャー隊員がドアの前に駆け寄り、ハンマーでドアを思い切り叩いた。

ドアは内側に倒れた。

すかさず別のレンジャー隊員が核弾頭保管室の中にスタングレネード(閃光発音弾)を投げ入れると、酒匂陸軍特殊作戦群臨時特別分遣隊の3名が核弾頭保管室の中に突入した。

核弾頭保管室内部にいた核防護課のKGBはスタングレネードの強烈な光と爆音によって反撃することができなかった。酒匂陸軍特殊作戦群臨時特別分遣隊によって、彼らは全員撃ち倒された。酒匂陸軍特殊作戦群臨時特別分遣隊員の射撃精度は一流だった。KGBを倒しながらも核弾頭には1発も当たっていなかった。

「クリア」核弾頭保管室から須磨少佐が出てきた。


終わった。


核弾頭保管格納庫を取り囲む星川と酒匂の兵士はそう思っただけだった。勝った喜びも、任務をやり遂げた達成感もなかった。あまりにも多くの仲間を失った彼らにそのような感情は湧かなかった。


「さあ、あとひと仕事だ」上沼大尉は気を取り直すと、NEST専従員・笠原少佐とともに核弾頭保管室に入った。

「こいつが核弾頭なんですね。思ったより小さいな」上沼大尉はキャスターに乗せられた核弾頭に手を触れた。

「8F型、ダイダラ換算で550キロトンの破壊力を持つ核弾頭だ。こいつ1発で小さなコロニーなんか蒸発してしまう」笠原少佐は核弾頭を眺め回しながらそう言った。

「ところで上沼大尉」笠原少佐はあらたまった表情で上沼大尉に向き合った。「ここまで連れてきてくれてありがとう。約束どおりだな」

「いえ、お礼を言うのは私のほうです。笠原少佐がいなければ、私はまだ屋根の上でオロオロしていましたよ」

「ハハ、そんなことはない。私なんかいなくても君は自分で活路を切り開いていたさ。さっ、私が点検して異常がなければペンで“異常なし”と核弾頭に記入していく。記入が終わったら運び出してもらえないか……1発は酒匂が持って帰るんだったな」

「そうです。1発は私のほうで酒匂の須磨少佐に引き渡します」

笠原少佐は頷くと、核弾頭の点検を始めた。




伊勢原駅北西約650メートル

井崎コロニー


「あなたの戦闘機はもう来ないんでしょ? あなたたちはいつ帰るの?」美代は管制卓で無線に聞き入る木下大尉に尋ねた。

「ええ、生き残った我々の戦闘機は基地に戻る途中です。ここには来ません。我々も撤収を開始します。ご迷惑をおかけしました」木下大尉は頭を下げた。

「もう任務とやらは終わったんでしょ。せっかくだからゆっくりしていきなさいよ」

「個人的にはそうしたいのですが」

「個人的に? あなたはここに居たいの?」

「いや! そんな! ただもう少しあなたと話がしたかっただけで」

「ふーん、でも香貫にはいい人がいるんでしょ?」

「いませんよ! いたら、こう、何と言うか、こんな野暮ったい髪形にしないで、こう、もっと都会的な……」

「いないのは、わかったわ」美代はくすっと笑った。


木下大尉と美代しかいない運航事務所に険しい顔つきの清水大佐が入ってきた。木下大尉と美代の二人だけの時間は終わった。


木下大尉は、清水大佐の表情を見た瞬間、R38基地は負けたのだと思った。

「木下大尉、機長を呼んでくれないか。我々はA57に向かうことになった」

やはりそうか。木下大尉はそう思ったが、動揺を表に出さないように平静な態度で「わかりました。お呼びします」と答えた。

木下大尉は、エプロンに駐機したイリューシンIl-76MD“山鳥-570”の機内で待機中の機長を無線で呼び出した。

運航事務所に清水大佐、“山鳥-570”機長、木下大尉、三好少尉がそろった。

清水大佐は三人を見て告げた。「先ほどR38から連絡があった。R38の守備隊は降伏した。司令官は戦死された。三好少尉……青木中佐も戦死された。このため、我々はいったんA57に向かうことになった」

「R38にはまだ仲間がいるんです。負傷してすぐにでも手当しなければならない者もいると思います。仲間を見捨てて帰るのですか」三好少尉は独り言のように話した。

「三好少尉、君の気持ちはよくわかる。私の部下もR38にいる。だが、星川は自分たちが撤収するまで我々の着陸を認めないそうだ。それに、ここにいる全員と器材をこのままにはできない。これらを積んだままではろくに負傷者を運べないし、A57の医療体制も貧弱だ。まずはA57で全員を降ろし、燃料を積み込んでR38に向かおう。その頃には星川の撤収も完了しているはずだ」清水大佐は、自分の子どもを諭すように話した。

「清水大佐がおっしゃる通りです。わかりました」三好少尉はうなだれた。


井崎太一郎は運航事務所の傍らで彼らの話を聞いていた。

太一郎は、彼らに哀れみを感じた。それに、太一郎は、最初は清水大佐を憎んでいたが、今では憎んでいなかった。命令とはいえ銃で自分たちの要求を強制する自分と、そんなことは倫理に反するとする善の部分の葛藤を清水大佐に見たからである。

こんな状況で出会わなければ、彼とは真の友人になっていただろう。太一郎はそう思うようになっていた。このような人物にここまでさせるとは。香貫という国は罪作りな国だ。

「清水大佐、負傷者は多いのか」太一郎は言った。

聞かれているとは思わなかった清水大佐は少し驚いたが、隠さずに答えた「我が兵力の三分の二が死亡または負傷しているようです」

「今から医療品を入れたコンテナを出してくる。持ってってくれ」

「井崎さん。ありがとう。ありがとう」清水大佐は頭を下げた。

木下大尉も美代に言った「ありがとう。美代さん」

「美代と呼んで」美代は木下大尉の手を握った。

その時、手を握る二人の後ろに設置された電話が鳴った。

美代は電話をとった。

「はい、こちら井崎空港運航事務所……」電話を手に取る美代の顔がみるみる青ざめた。「わかりました。すでにシステムは可動しています。いつでも受け入れ可能です。ETA(到着予定時刻)を教えていただけますか……わかりました。お待ちしております」

美代は電話を静かに切った「たいへん! あと40分したら星川の査察チームがここに来るんだって。星川に気付かれたのよ」

「急ぐんだ! 清水大佐」太一郎は言った。

そこからは慌しかった。コロニーの住民総出で“山鳥-570”の出発準備をおこなった。

“山鳥-570”は、星川が来る10分前に井崎コロニーの長い滑走路を離陸した。

木下大尉と美代は、別れの時間をとることもできなかった。

「無事に帰るのよ。また会えるわよね」エプロンで“山鳥-570”の離陸を見つめる美代の目から涙があふれた。

涙は朝日を受けて美しく輝いていた。




R38基地(ホルモン・スモーク)2階


R38基地では、殺しあう戦闘から命を助ける戦闘に移行していた。

星川、酒匂、香貫の区別なく緊急を要する重傷者はスロープを越えて滑走路に搬送された。滑走路には星川軍のSH-60R、SH-60S、酒匂軍のSH-60Kが飛来し、重傷者を<瑞鶴>に運んでいった。

ヘリコプターの離発着の合間を縫って星川軍のMC-130J、C-130J、酒匂軍のC-2が着陸し、医薬品と医療関係者を卸すと、替わりに核弾頭と、容態の安定した重傷者を収容し二俣川コロニーや平塚コロニーに運んでいった。

これまで敵同士であった彼らの間に奇妙な連帯感が生まれていた。敵同士なのは分かっている。でも傷ついた仲間の命を救いたい。壮絶な戦闘を経験した彼らに、敵も、味方も、勝ち組も、負け組みもなかった。


上沼大尉は、滑走路で重傷者をヘリコプターに運ぶ作業の陣頭指揮をしていた。

重傷者を乗せたヘリが飛び立った。「次のヘリが来るまで20分あるな」上沼大尉は、次の搬送を待つ重傷者の列に向かうと、自分の部下を探して声をかけていった。

「おい、望月、早く治せよ。医官は、1か月もあれば今までどおりジャンプもできると言ってるぞ」

「中隊長、ちゃんと治すからオレを中隊から出さないでくれよ。待っててくれますよね」

「当たり前だ。お前、ジャンプ・マスターになるんじゃなかったのか? 待っててやる。だから早く治せ」上沼大尉は、望月特技兵のなくなった右足を見ないように肩を軽く叩くと、その場を離れた。

「小田、当分酒は飲めんぞ」

「やあ、中隊長、治ったあとに飲む酒はうまいでしょうね」

「今度酔っ払ってドアを壊したら、お前の豚のようなケツを思いっきり蹴飛ばしてやるからな」小田3等兵曹の唇が青い。メディックに知らせよう。上沼大尉は、急いだそぶりを見せないようにその場を離れるとメディックを探した。


上沼大尉は、メディックに小田3等兵曹の状況を知らせると、下田大尉がCCT(戦闘統制員)・柴田一等軍曹と話し合っているところを見つけた。

「下田大尉、どうしたんですか?」

「重傷者を運ぶヘリが緊急通信を受信したらしい」下田大尉は柴田一等軍曹に頷いた。

「そうなんです。ここでは受信できていないのですが、上空からは受信できたのでしょう。コールサインは“チョップスティック・アルファ・フライト・リーダー”……」

上沼大尉は、柴田一等軍曹の言葉を遮った。

「ちょっと待て!“チョップスティック・アルファ・フライト・リーダー”?」上沼大尉は声を上げた。俺がジャンプした飛行機じゃないか。みんな生きていたのか!

「そうです。ここから北にある木の上に不時着したそうです。敵のミサイルで死亡したコ・パイロットを除いて乗員8名は全員無事。ただバグ(虫)の襲撃を受けているので早く救出してほしいそうです」

「次に来るヘリは?」

「あと5分後にSHが来ますが、対潜戦用機内装備を下ろしていないので、担架の負傷者を運ぶことはできません。ギュウギュウ詰めに乗っても6人が限界です。10分後に3機来る酒匂のヘリなら大丈夫ですが」

「その木まではすぐに着くのか?」

「3分ほどでしょう。ここから飛び立って15分もすれば戻って来れます。2往復、30分もすれば全員救出できますよ」

「下田大尉、そのヘリを貸してくれないか。全員救出まで俺がバグを食い止める」

「ヘリの件はいいが、あんたが行くことないだろう」

「いや、おれは“アルファ・フライト・リーダー”に借りがあるんだ。自分たちは墜落するのに我々のジャンプを優先させてくれた。行かせてくれ」

「一人で行く気か?」

「6人しか乗れないんだろう。俺一人で満杯だ」

「最先任者はここで指揮をとるべきだと思うがね」規則に厳しい下田大尉は顔をしかめた。

「俺が屋根でウロウロしている間にレンジャーをまとめていたのは下田大尉じゃないですか。この戦いに勝ったのは下田大尉のおかげですよ。最先任といっても俺は頼りないからね」

「何を言っているんだか。最後の輸送機が30分後に来る。乗り遅れたらおいていくからな」

「オッケー!」上沼大尉は、バグ対策の装備品を取りに駆けて行った。

下田大尉は、上沼大尉の後姿を見ながら思った。あの軽いノリさえなければ良い指揮官なんだが。

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