その45
ハラミ・ステーションの東南東約3メートル
“ロストル010”から脱出した緒方少尉と石川少尉は、すさまじい射出の衝撃にぼう然としながらパラシュートに吊るされていた。二人は風に流されながらハラミ・ステーションの南側を通る砂利道に向けて降下していった。ぐんぐんと砂利道は迫ってくる。もうすぐ地面だ。
二人とも着地するときの転び方を教わっていたが、ぼう然としている二人に転び方にまで考えている余裕はなかった。それでも二人は幸運だった。
緒方少尉は、砂利道脇の雑草の葉に着地して滑るように砂利道に落ちた。砂利道で右肩をしたたかに打ちつけたが無事だった。
一方の石川少尉は、偶然にも砂利道の小石の上に足からストンと着地した。ホッとしたのもつかの間、風で流されるパラシュートに引っ張られて石川少尉は小石の下に落ちた。落ちたときに腰を打ったが、緒方少尉と同様に無事だった。
「腰が! くそっ!」石川少尉はブツブツ言いながらパラシュートのリリースハンドルを外し、足に絡まったパラシュートの吊り索を外していた。
「見事な着地だがその後がいけないな」石川少尉の背後から声がした。
「うるせぇ! こっちは腰を打って痛てぇんだよ」石川少尉が振り向くと、そこに飛行装備を身にまとった同じ年頃の少年が立っていた。「お前さっき紫電改から脱出したやつか? 王子だろ?」パラシュートの吊り索を取り外すのに手間取る石川少尉は、手を休めてその少年に顔を向けた。
「いかにも私は酒匂王国出雲家第3王子、出雲隼人です。だが、今は酒匂王国連邦海軍少佐・出雲隼人。君とは戦友の出雲隼人です」出雲少佐はナイフを取り出すと、石川少尉の足に絡んだパラシュートの吊り索を切りはじめた。
「おれは星川合衆国海軍少尉・石川新之助! やっぱり王子か。助けられてばかりですまねぇ。よろしくな」石川少尉が右手を差し出すと、出雲少佐はナイフを置いて石川少尉の右手を握った。
「いえ、いつも助けられているのは私たちのほうです」出雲少佐はにっこりと笑った。
「いしかわー!」石川少尉を探す緒方少尉の声がした。
「ここだー!」石川少尉が答えると「今すぐ行く。だいじょうぶかー」と緒方少尉の声。
「お前こそ大丈夫かー 早く来いよ! 酒匂の王子も一緒だ!」石川少尉がそういい終わる前に小石の陰から緒方少尉が現れた。
「だいじょうぶか? 石川」
「あぁ、だいじょうぶだ。いま王子に手伝ってもらって吊り索を切っているところだ。お前はだいじょうぶか?」
「オレはこのとおりさ」緒方少尉は石川少尉の無事を確認すると出雲少佐のほうを向いた。
「私は星川合衆国海軍少尉・緒方翔太です。お目にかかれて光栄です」緒方少尉は丁寧にお辞儀をした。
「そのような堅苦しいことをおっしゃらないでください。先ほども石川殿に申し上げたのですが、私たちは戦友です。私は、あなた方二人を信頼できる親友だと思っています」出雲少佐は緒方少尉の手を握って言った。
「親友だと思っているなら石川殿はないぞ。石川でいいよ石川で」吊り索から自由になった石川少尉は立ち上がった。
「おい、殿下に失礼だぞ」
「だって親友だろ。親友ならファーストネームで呼び合うのが星川の流儀じゃないか」
「ファーストネーム? あなた方は石川、緒方と呼び合っていたが」
「そう言われればそうだな」三人は笑った。
「じゃあ、出雲、緒方、石川と呼び合えばいいじゃないか」石川少尉の言葉に出雲少佐と緒方少尉は同意のうなずきを返した。
「決まりだな。じゃあ親友として言わせてもらうぞ。出雲、俺たちを助けてくれたことは本当にありがたく思う。だけどあんな危険なまねはもうするんじゃねえぞ」
「石川の言うとおりです」石川少尉の言葉に緒方少尉も同意して言った。
「ありがとう。考慮する」
「考慮じゃなく、約束してくださるかで…」緒方少尉は、いつもの言葉づかいと敬語が頭の中で交錯し言葉に詰まった。三人は、また笑った。
「それじゃあ、バグ除け(虫除け)をばら撒いて、銃の点検をしながら助けを待とうぜ」
三人は、彼らの周囲にバグ除けを撒くと、護身用の拳銃を点検しながらいろいろな話をした。
話をはじめて10分くらい経つと、北の方向からヘリコプターが飛ぶ音が聞こえてきた。
三人は急いで赤色の発煙筒を焚き、発光弾を空に打ち上げた。
ヘリコプターの音が徐々に大きくなると、草むらの上空から星川軍のMH-60Sが現れた。
開け放たれたMH-60Sのキャビン・ドアから金城1等兵曹が大きく手を振っていた。
R38基地(ホルモン・スモーク)2階南側の部屋
「RPG!」携帯型対戦車ロケットが発射されたことを警告する叫び声に続きバーンという爆発音、そこら中に降り注ぐ弾丸の音。そして負傷した兵士の叫び声。またSAW(分隊支援火器)が狙われた。敵は総攻撃をかけてきたと考えていいだろう。くそっ! こっちが攻撃をかけようと準備している隙に敵の総攻撃が始まった。ここが踏ん張り時だ。下田大尉は部下のレンジャーと共にM4A1カービン銃を撃ちながら思った。
重岡2等兵曹は、敵が接近してきてからというものRPGを持つ敵兵士を見つけては隣で射撃姿勢をとる江見1等兵曹に報告していた。報告を受けた江見1等兵曹は、その兵士を一人ずつ狙撃していった。おかげで、これまではRPGによる被害はなかった。だが、今では複数の敵兵士が同時にRPGを発射している。これでは狙撃が間に合わない。この作戦を指揮しているやつがどこかにいるはずだ。重岡2等兵曹は、しだいに明るさを増す2階南側の部屋を見渡した。
限られた空間で無線による指揮をするのに長いアンテナを備えた無線機など必要ない。指揮官は無線機の近くに位置するものだが、その無線機は見つからないだろう。ならば敵兵士の動きを見て誰が指揮官か見分けるしかない。
ん! 重岡2等兵曹は双眼鏡を持つ手に力を入れた。キョロキョロと周りを見渡し、時おり大きく手を振り上げる兵士を発見したのである。
「見つけた。8インチ先、床を何かが引きずった後が見えるか。その東側だ」重岡2等兵曹は、周りの喧騒に負けない大声で言った。
江見1等兵曹が、スコープでその敵兵士を捉えると親指をあげた。
星川軍正面への攻撃を指揮する藤井中佐は、周りの兵士がAK-74の先端に銃剣を装着しているかを確認した。ほとんどの兵士は、朝日を受けて光らないよう銃剣に布を巻いていた。兵士一人一人の表情までは確認できないが、士気は十分なはずだ。RPG-7を持つ兵士を多く失ったが、攻撃の障害になっていた星川がSAWと呼んでいる機関銃は倒した。敵左翼に攻撃をかける青木中佐とは連携が取れている。よし! 突撃だ! 藤井中佐は立ち上がろうとした。
江見1等兵曹のスナイパーライフルMK13から1発のウィンチェスター・マグナム弾が発射された。
ウィンチェスター・マグナム弾は、江見1等兵曹の狙い通りに頭を上げようとした指揮官のヘルメットに命中した。7.62ミリのウィンチェスター・マグナム弾はたやすくヘルメットを突き破ると、兵士の頭部を貫通した。その指揮官は即死だった。
「藤井中佐が撃たれた! 藤井中佐が撃たれた! 中佐が!」藤井中佐の隣にいた通信兵が叫んだ。江見1等兵曹が狙った指揮官は藤井中佐だった。
なにっ! 堀内少将は藤井中佐に向かって匍匐のスピードを上げた。いまだ敵の銃撃は激しく、立ち上がって藤井中佐のもとに駆けて行くことはできなかった。
堀内少将は藤井中佐の隣に来ると、身体を伏せてヘルメットを床に押し付けたまま「藤井君!」と、藤井中佐の肩を揺らした。藤井中佐の揺れるヘルメットからは、大量の血が流れ出てきていた。
「藤井君」藤井中佐の死を確認した堀内少将は、周りの空挺隊員と基地警備兵を見渡した。みんな私を見ている。これなら行ける。
堀内少将は立ち上がった。それよりも早く空挺隊員と基地警備兵が立ち上がった。
「兄弟たちよ! 神と共に!」堀内少将はAK-74を高く上げると空挺隊員と基地警備兵は一斉に「ウラー」と叫んで星川軍に向かって駆け出した。
しまった! 敵に先を越された。上沼大尉は後ろを振り向いて「60ミリを北側の鉄板に撃つんだ! 急げ!」上沼大尉は、自分たちの突撃を支援するため、北側鉄板の南端を目標に60ミリ迫撃砲を打たせていたが、予期せぬ敵の突撃に対処するために射撃目標を変更させた。
上沼大尉の命令を受けた武器小隊の隊員は、大車輪で迫撃砲を調整した。だが、急いだため目標の西10センチに着弾するように調整されていた。
調整が間違っていることを知らない武器小隊の隊員は、着弾地点を確認するため1発の迫撃砲弾を発射した。
「よし! 我々も突撃だ! アトホート!」青木中佐は北側の鉄板を飛び出した。空挺隊員は「ウラー!」と叫びながら青木中佐を護るように追い越して星川軍に向かって駆け出した。
その時だった。
間違って調整された星川軍の迫撃砲弾が、青木中佐の目の前で炸裂した。
青木中佐とその直前を走っていた中隊長は即死。そのほか、突撃の先頭集団で動ける空挺隊員は一人もいなかった。
突撃の出鼻をくじかれ、突撃を再編成する指揮官を失った左翼への攻撃は、まとまりがなく勢いを失った。
下田大尉は、正面に移動中のチャーリー中隊を急かすと、左翼を護るアルファ中隊を指揮するアルファ中隊第2小隊長・中川少尉を無線で呼び出した。
「アルファ2、ブラボー6、正面は激しい攻撃を受けている。そっちはどうだ?」
「ブラボー6、アルファ2。アルファ6の60ミリで敵を制圧しています。攻撃に勢いがありません。持ちこたえられます」中川少尉の声の後ろに散発的な銃声が響いていた。
「ラジャー、アルファ2。左翼が崩れたら我々は持ちこたえられん。やばくなったと判断したらすぐに報告しろ。躊躇するなよ。すぐに支援をまわす」
「フーア! まかしといてください」
「支援をまわすにも時間がかかる。やばくなったら早めに報告しろ。いいな」
「ラジャー」
「アルファ2、ラジャー、アウト」通信を終えた下田大尉は、瓦礫となった掩体壕に敵の銃弾が当たることによって生じるコンクリートの雨の中、腰をかがめて正面に移動した。
江見1等兵曹は、スナイパーライフルMK13を構え直すと息を止めた。スコープ越しに目標を狙い、静かに息を吐きながら人差し指をゆっくりと手前に動かした。
ウィンチェスター・マグナム弾が放たれた。
「青木中佐が戦死されました」
「なに!」堀内少将の走るスピードが緩んだ。
次の瞬間、堀内少将は、わき腹を蹴られたような衝撃を感じヨロヨロと前に倒れた。
「ブラーチャ! 司令官が撃たれた! ブラーチャ!」堀内少将の後ろを走っていた基地警備兵は堀内少将のわき腹を押さえながら叫んだ。
江見1等兵曹が撃った瞬間に堀内少将が走るスピードが緩めたため、ウィンチェスター・マグナム弾はわずかにそれて堀内少将のわき腹を貫通した。もし堀内少将が走る速度を緩めていなかったら堀内少将は即死だっただろう。それでもわき腹からの出血は激しく、ショック状態となり堀内少将は重傷だった。
必死の形相で突撃する香貫軍空挺隊員と基地警備兵は、基地警備兵の堀内少将が倒れたと叫ぶ声など聞こえなかった。だが、彼らの精神的支柱となっていた堀内少将が倒れたことは、まるでコップの水に垂らされた1滴のインクのように彼らに染みていった。
空挺隊員と基地警備兵は、一人また一人と突撃をやめ、床に伏せていった。
R38基地(ホルモン・スモーク)2階南側の部屋 香貫軍救護所
「司令官が倒れた! 先生! 一緒に来てくれ!」突撃隊の無線を聞いていた高井大佐が叫んだ。
高井大佐は、血まみれになって捨てられた包帯の束をつかむと、軍医の返事を待たずに救護所を出で駆け出した。
「くそっ!」高井大佐は走るのに邪魔になる拳銃とホルスターを引きちぎるように外すと、再び駆け出した。
「司令官!」と叫びながら走る高井大佐の脳裏に昨日のことがよぎった。
星川が攻めてくるのは今夜だ。司令部では、要員が慌しく準備を始めていた。
「私も何かしなくては」高井大佐は焦ったが、今では形だけとなった政治将校に手伝えるものなど何一つなかった。そんな高井大佐に堀内少将は声をかけた。
「高井君、少し外に出ないか」
二人は司令部掩体壕を出ると薄暗い中を歩き始めた。二人の周りでは、攻撃に備えて最後の準備に余念がない兵士たちが行き来していた。
「星川を迎え撃つ準備はほとんど整ったようだな」
「そうですね。ですが“魔女の食事”が成功して星川が攻撃を諦めてくれるのが一番です。星川はここまで来るでしょうか?」
「来る。星川軍は弱体化していると言われるが、それでも巨大な力を持っている。簡単に諦めるような国ではない」
「ここではどんな戦いになるのでしょう。恥ずかしながら私に戦闘経験はありません」
「苛烈な戦いになるだろう。藤井君も青木中佐もそう考えているからこそ準備に余念がない」
「そうですか」銃弾の飛び交う激しい戦闘でも自分は正気を保てるのだろうか? 自分ひとり逃げ出して隅で丸まっているのではないか? 高井大佐はそのことが心配だった。
「先にも言ったように君には監視と司令部での後方支援を任せる。それと、あと一つ頼みたいことがある」堀内少将は歩みを止めた。
「なんでしょう」高井大佐も立ち止まると堀内少将を見た。
「もし仮に、もし、藤井君、青木中佐、私の三人が倒れたら君が戦闘を止めてくれ」
「えっ! 降伏しろというのですか」高井大佐は、大声で尋ねた。
「高井君、気を落ち着けて聞いてくれ。何も最初から降伏を考えているわけではない。我々は勝つために準備をしている。勝つための人もそろっている。そして私は勝つつもりでいる。だが、勝敗は兵家の常と言うではないか。最悪の事態も考えておくことが私の責任なのだ」
「もし生き残った私が降伏を命令したとなると、私は生き恥を晒すことになりますね」
高井大佐の言葉に堀内少将は天井を見つめて考えた。
「そうだな。やはり君をそんな目に合わせるわけにはいかん。すまない。忘れてくれ」
「いえ、司令官、やります。私が生き恥を晒すだけで多くの仲間が救われるなら喜んでやります。それに、もし司令官が倒れてしまったら、もし倒れてしまったら、この私に晒すような恥など何もありません。こんなこと考えたくもないですが、もし司令官が倒れたら私がみんなを、少しでも多くの仲間をまもります。その任務承りました」
「高井君、ありがとう。だが、降伏は数あるオプションの一つにすぎない。我々は勝つ。何としてもな」堀内少将は、また天井を見つめて言った。
R38基地(ホルモン・スモーク)2階南側の部屋
高井大佐は、血まみれの包帯を大きく振りながら「もうやめろ!」と叫びながら走った。
高井大佐を狙う銃弾は星川軍からも、そして香貫軍からもなかった。
星川軍と香貫軍の間まで走った高井大佐は、「もうやめてくれ!」と声の限り叫んだ。
銃声はやみ、2階南側の部屋は静寂に包まれた。
「香貫軍の諸君! みんなよく戦った。まだまだ戦えると思っている者もいるかもしれない。くやしいかもしれない。だがもうやめよう。すでに我々の航空兵力は香貫に帰った。この空は星川のものになってしまった。我々に援軍は来ない。いや、来られない。この周りには星川の戦闘機がウンカのごとく飛んでいる。君たちが恥じ入ることなど何もない。だからやめよう」静かな2階南側の部屋に高井大佐の声が響いた。
高井大佐は星川軍のほうを向くと、また大声で叫んだ。「私は香貫軍・高井大佐。ここにいる香貫軍の最先任者だ。星川軍の指揮官にお伝えする。我々は即時停戦を要求する。その代わりこの基地をあなた方に明け渡す。再度申し上げる。即時停戦を要求する」
高井大佐とかいうやつ、即時停戦を要求する前に部下を説得していたようだが……向こうが撃ってこないのは部下も納得したと考えていいのだろうか。下田大尉は判断に迷った。希望的観測で判断を誤りたくない。どうする? 下田大尉は、隣で加勢しているシールズの島崎大尉の目を見た。
目の合った島崎大尉は頷いて言った「勝ったんですよ」
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