その33

伊勢原駅北西約650メートル

井崎コロニー


制圧が完了して、航空機の運航に関係がない住民が自宅に帰された運航事務所は落ち着いていた。

管制卓では井崎美代が木下大尉に機器の説明や井崎コロニー周辺の地形と気象特性を説明する話し声と、井崎コロニーの各地点に散った空挺隊員が三好少尉に状況報告する短い無線のやり取りのほかは口を開く者はいなかった。

燃料タンクを空にした戦闘機が着陸するまであと40分。それまでは、この落ち着いた状態が続くだろう。だが、ここで気を緩めるわけにはいかんぞ! 清水大佐は、そう思ってテーブルに広げた井崎コロニーの地図を見ようと身をかがめたそのとき、突然1台の無線機から年老いた女性の声が響いた。

「もしもし、井崎さん出てくんろ…………もしもし、井崎さん出てくんろ……伊東さんところのじいさんが血まみれじゃ」

この無線にいち早く反応したのは、美代の兄であり医師の井崎淳一郎だった。父である井崎太一郎らが操縦するC-130に乗って伊勢原に点在するハウス・コロニーで巡回検診をしている淳一郎は、この無線の発信源が市米橋コロニーからだと思った。本当に市米橋コロニーからだとすると非常にまずい!

市米橋コロニーは、井崎コロニーの北約1キロにある一軒家の屋根裏コロニーだが、下に住む「ダイダラ」がいない空き家だった。家の手入れをする者がいない空き家は老朽化が激しい。隙間だらけの木造住宅は、今日のような強い風が吹くと屋根裏を風が吹き抜け、身長5ミリの「スクナビ」が飛ばされても不思議ではない。もし風に飛ばされたのであれば負傷者は一人だけではないかもしれない。

「こちら井崎コロニー。今の発信は市米橋コロニーですか?」淳一郎は、三好少尉ら香貫軍の空挺隊員が制止する前に無線のマイクを取って呼びかけた。

淳一郎に先を越された三好少尉ら空挺隊員は、淳一郎の手からマイクを荒々しく奪い取ると二人の空挺隊員が両脇から淳一郎の身体を押さえこんだ。

「離せ! 急患なんだ」淳一郎は叫びながら空挺隊員の腕を振りほどこうとした。だが鍛えぬかれた空挺隊員はびくともしなかった。

「先生か? 先生! 先生! 市米橋の伊東だ! 先生に教わったとおりに止血をしているが、すごい血だ! うちのじっちゃんが危ない。助けてくれ先生!」

無線機から、今度は男の叫び声が響いた。

「俺は医師の仕事をしたいだけなんだ! マイクを返してくれ! あんたらのことは喋らない」淳一郎は再び叫んだ。

予想外の事態に一瞬戸惑った清水大佐は、気を取り直して淳一郎に近づいた。「いいでしょう。状況確認の無線通信は許可します」清水大佐は、そう言って淳一郎の身体を押さえていた空挺隊員と、黙ったまま清水大佐を睨みつける太一郎に向かって頷いた。

淳一郎が無線で確認した負傷者の容態は、無線を聞いていた誰もが病院に緊急搬送しなければならないと認識できるものだった。

「行かせてもらうぞ」太一郎は清水大佐に言った。

清水大佐は、井崎の航空機が伊勢原のハウス・コロニーで発生した急患を星川の救急病院に航空搬送していることを知っていた。ハウス・コロニーにすぎない井崎が伊勢原の救急医療に貢献していることに清水大佐は感銘も受けていた。それだけに、すぐにでも行かせなければならない。だが、そうすれば我々が井崎コロニーにいることが露見する。清水大佐は判断に迷った。

そんな清水大佐の背中を押したのは木下大尉だった。「あと30分もすれば燃料に余裕のない我々の戦闘機が着陸してきます。そうなると、さらに20分から30分離陸が遅れます。井崎のC-130を離陸させるなら今しかありません」美代は、木下大尉の言葉に驚いて木下大尉の横顔をまじまじと見つめた。

「何分あれば離陸できますか?」清水大佐は太一郎に尋ねた。

「15分」

「すぐに行ってください。だが、我々のことは一切しゃべらないことを約束してもらえますね」清水大佐は約束できないといわれても行かせるつもりだった。

「わかってるさ。しゃべらねぇよ。そのかわり、コロニーの者に手を出すんじゃねぇぞ」太一郎の弟であり今日の当番機長でもある井崎太祐はそう答えると、フライトに必要な物を詰め込んだ愛用のバックを手にとって今日の当番クルーに首を振って合図した。

「まってくれ!」清水大佐は、急いで運航事務所を出ようとした太祐らC-130のクルーと淳一郎を制止した。

「急いで航空機に向かうコロニーの人間を、うちの者が見つけたらトラブルになるかもしれん。三好君、急患輸送でC-130が緊急発進すると警戒班に伝えてくれ。念のため、航空機まで護衛も頼む」

三好少尉の指示に対する警戒班の応答が全てそろうと、彼らは運航事務所を飛び出し、C-130に向かって走り出した。




鈴川 伊勢原駅南約3キロメートル 星川合衆国軍・酒匂王国連邦軍共同前進基地「ハラミ・ステーション」

星川合衆国海軍 HSM-74(第74ヘリコプター海洋攻撃飛行隊)“ャット03“


<伊400>の命と引き換えに完成したハラミ・ステーションに金城1等兵曹らヘリコプター整備チームを乗せたMH-60S“キャット03”が着陸した。

強い向かい風とBSH飛行による遠回りによって<カール・ビンソン>からハラミ・ステーションまで2時間もかかった。やっと着いたな。ハラミ・ステーションに来るまでの経緯を思い出した金城1等兵曹は口元を緩めた。


それは、先日のことだった。1日の仕事が終わってCVW-15陸上事務室を出ようとしたところ、突然CVW-15最先任上級曹長“チーフ”村居上級曹長が電話をかけてきた。「足が治ったなら、さっさと荷物をまとめて戻って来い!」チーフの命令を受けた金城1等兵曹は、徹夜で荷物をまとめると空母<カール・ビンソン>行きのCOD(艦上輸送機C-2)に飛び乗った。

CODのキャビンに設置された座席は、着艦の衝撃に備えて後ろ向きになっているので、後部のランプから機内に入った金城1等兵曹は先客と目が合った。先客は緒方少尉と石川少尉だった。

「やあ、お二人さん」金城1等兵曹は、そう言って二人の横に座ると、石川少尉が話しかけてきた。「金城さん、事務所にいないから休みだと思いましたよ。ボートに戻るんですか?」

「怪我は大丈夫ですか?」緒方少尉が付け加えた。

「えぇ、私の身体はステータスA(航空機の可動状態のことで“A”は、全ての機器に異常がなく全ての任務に使用できる状態)です。ところで、お二人さんは大活躍したらしいじゃないですか」金城1等兵曹は、左足を叩きながら言った。

「無我夢中だったんですけど、おかげで今度の作戦に参加させてもらうことができました」緒方少尉がそう言うと、石川少尉がすかさず横槍を入れた。「ちがうだろ! 学校をサボれてラッキーなんだろ!」

三人はそろって笑った。その後も三人の会話は弾んだ。

徹夜でボートに戻る準備をした金城1等兵曹は、本音では寝たかったのだが、話をすることで戦闘飛行前の不安と緊張を紛らわそうとする二人が気になり話に付き合うことにした。だが、おかげで<カール・ビンソン>へのフライトはアッという間だった。

緒方少尉と石川少尉は、艦橋の横で停止したCODを降りると、金城1等兵曹に挨拶して艦橋のドアに向かって歩き去った。

二人の後姿を見送った金城1等兵曹は、転落して骨折した付近を一瞥すると、キャットウォーク(フライト・デッキの周囲に設けられたフライト・デッキより1段下の通路)に降りるラッタルに向かいながら深呼吸をした。金城1等兵曹の肺の中は、ジェットの排気の臭い、オイルの焼ける臭い、タイヤの焼ける臭い、燃料の臭い、そして金属と金属が強制的に擦れるときの臭いが交じり合ったフライト・デッキ特有の臭いに満たされた。

懐かしい臭いに安らぎを覚えた金城1等兵曹は、キャットウォークのドアから艦内に入ると、チーフに会うためCVW-15司令部庶務室に向かった。

司令部庶務室のドアは、誰でも気軽に入れるように艦内閉鎖の命令がないときはいつも開いていた。

金城1等兵曹は、上体だけを傾けて開いたドアから司令部庶務室内を覗いた。チーフはデスクで書類に目を通していた。

金城1等兵曹は、その姿勢のまま壁をコンコンと叩き「失礼します。チーフ」と言った。

顔を上げたチーフは、金城1等兵曹を見るとにっこりと笑って「よく戻ってきたな。いつものようにコーヒーをとってそこに座れ」と言った。

「足は大丈夫か?」

「ありがとうございます。問題ありません」

「そうか。よかったぞ」チーフは、そう言いながら席を立ってドアを閉めた。

「さっそくだが、お前に行ってもらいところがある。その前に状況を説明しておく。いいか、これから説明する内容は他言無用。もちろん、お前に話すことは、お前のセキュリティ・クリアランスをチェックしたうえでボスの了解を得ている」金城1等兵曹が黙って頷いたことを確認したチーフは、ブルー・ドラゴンの概要を説明した。

「……この作戦を支援するためにホルモン・スモーク(香貫のR38基地)の東1100ヤードの鈴川沿いにヘリコプター支援の前進基地「ハラミ・ステーション」を造ることになった。そこにMH―60Sを1機派遣してシールズ隊員と負傷者を回収するらしい。酒匂も1機派遣するらしいが、何でもそいつの任務は核弾頭の回収だそうだ」

金城1等兵曹は口笛を吹くと言った「正気ですか? 酒匂に核を渡すんですか。どうしてです?」

「アホ! しがない最先任上級曹長殿に理由なんか分かるもんか。ともかくハラミ・ステーションでヘリを整備する人間が必要だ。行ってくれるな」

「もちろんです」金城1等兵曹は二つ返事で引き受けた。

「お前以外の人選は済んでいる。整備員3名の面倒を見てくれ。問題は指揮官の士官だ。本来なら整備士官が行くところだが、酒匂との共同作戦ということで適当な士官が見当たらなかったらしい。山内少佐が指揮官だ」

「ボートの補給科にいる山内少佐ですか?」

「そうだ。いつも我々のことを気遣ってくれる山内少佐だ。いい人だし、いつも世話になっているんだが整備やヘリの運航に関してはど素人だ。誰かがフォローしてやらにゃならん」

「だからオレも行くことになった」

「あたり。正式にはお前のスキッパーからオーダーされるはずだ。準備を始めておけ……それとな……お前とは個人的な話しがあるんだが……このドタバタが終わってからだな」


自分の不注意で怪我をしてボートを降りたにもかかわらず、チーフやボートの仲間は自分のことを暖かく迎えてくれた。金城1等兵曹は、そのことが嬉しかった。だけど、チーフが言っていた個人的な話って何だ?

金城1等兵曹がそう考えながら“キャット03”の周りで支援に当たる酒匂の整備員を見ていた。酒匂の整備員も、なかなかいい動きをするじゃないか。

「おい! あいつらの動きを見たか! 負けるんじゃあねえぞ!」金城1等兵曹は、3人の整備員に向かって言うと、整備員は拳をあげて頷いた。




門沢橋駅東約1.2キロメートル「センマイ・ステーション」

星川合衆国空軍“トング46”、“ブッチャーナイフ・フライト“、“ウエットタオル・フライト“、空中給油機部隊


星川空軍機の空中給油ポイントである「センマイ・ステーション」でも空中給油が順調に進んでいた。


「君たちのおかげで、また飛行時間を延ばせそうだ」

空中給油機KC-135の後部キャビン。後ろ向きに腹ばいになった状態でフライング・ブームを操作する臼木2等兵曹は、AWACS“トング46” の機長が放った言葉にニヤリとして言った。「追加で(燃料を)入れますか? もっと飛行時間を延ばせますよ」

「飛行時間を延ばして経歴に箔をつけたいところだが、今日は遠慮しておくよ。これだけで十分だ」

「経歴に箔をつけたくなったら、いつでも呼んでください」

「ありがとう。そうさせてもらうよ」

「では、解除します。お気をつけて」

「トング46、準備よし。グッデイ!」

臼木2等兵曹は、フライング・ブームを“トング46”から切り離した。その瞬間、フライング・ブーム内にあった高圧の燃料が吐き出され、一瞬、燃料が霧となって飛び散った。


海軍と空軍では空中給油の方法が異なる。フライング・ブームによる給油法は、簡単に言えば臼木2等兵曹のような操作員が、伸びるストローを動かして受給機に備え付けられた給油用の穴に差し込み、それが確立したところで燃料を送り込む方式である。


燃料の送油が終わり、フライング・ブームを格納する一連のチェックリストを終わらせた臼木2等兵曹は、「これでよし!」と言いながら、小窓から周りを見渡した。そこには、暗くて機種まではわからないが、航空機が存在することを示す赤と青の航法灯が無数に見えた。

「キャプテン(機長)、ブーム・セキュア。異常なし。後ろでは、結構な数の航空機が燃料をもらっているようですよ。いったい何が始まるんですかね?」

「そのことは言わない約束だぞ! 俺たちは夜中に散歩がしたくなっただけで、それ以上でもそれ以下でもない。それより、そっちのセキュアが終わったのなら、こっちに戻って来いよ。ついでにコーヒーを持ってきてくれ。今夜の散歩は終わり。あとは帰るだけだ。帰る前にポットのコーヒーを全部飲んじまおう」機長自身もこの騒ぎの真相を知りたかったが、知らせる必要がない者には知らせない軍の掟を知っていた。


F-15C“ブッチャーナイフ01”の射出座席に縛り付けられた浜田少佐は、街灯に反射してきらりと光る“トング46”をチラリと見ると、目線を計器版のMFD(多機能ディスプレイ)に移した。

MFDには、先ほど“トング46”で指揮をとる後山空軍准将が頭の中で描いたのと同じ無数の矢印が表示されていた。この矢印は、それぞれがJTIDS(統合戦術情報伝達システム。いわゆるデータリンク)で結ばれた“ブルー・ドラゴン”のF-15、MC-130、そして海軍のF-14、F/A-18、さらには空母<カール・ビンソン>や<ハワード>を意味していた。

MFDを見つめる浜田少佐は、妙な胸騒ぎを覚えた。強い風。風上から攻撃されたら、よほど素早く反応しなければ間に合わないだろう。マスブリーフィングで海軍の誰かが言っていたようにホルモン・スモークへの飛行コースを南にずらすべきだった。奴らは風上から攻めてくる。なぜなら、オレが攻撃する立場ならこの強い風を最大限利用するからだ。くそっ! 相模川を過ぎたらブッチャーナイフ・フライトを少し風上にもって行こう。浜田少佐は、そのための修正コースを頭の中で計算を始めた。


“トング46”の機長は、空中給油機から3メートルほど離れると右に機首を振って上昇を開始した。

そろそろいいな。そう判断した機長は、操縦桿の機内通信ボタンを押した。「デッキ、フライト、レーダー・オペレーション・チェック」

“トング46”の背中で1分間に6回の速度で回転するロート・ドームから、AN/APY-2レーダーが発する電波が放射された。

“トング46”のコンピュータは、すでに保有しているJTIDSからのデータと、レーダーで得た探知情報を照合してコントローラー(機上管制官)のディスプレイに表示させた。同時にJTIDSにより結ばれた“ブルー・ドラゴン”共同司令部、各機、各艦にも照合結果が配布された。

JTIDSを装備した艦艇や航空機は、JTIDSを通じて指揮官と共通の情勢認識に立つことで、自分自身の判断で行動できるようになる。この結果、いちいち上級指揮官の指示を仰ぐ必要がなくなってリアクションタイムが短縮される。これが新しい星川軍の戦い方で“ネットワーク中心の戦い”と呼ばれている。ただ、様々な状況を想定した厳しい訓練を重ねなければ自らの判断で行動できるようにはならない。どれだけ技術が進歩しても、戦いの帰趨を決めるのはやはり“人”だった




門沢橋駅北西約600メートル 「第2ポイント」

香貫公国空軍“青鷹編隊“


第2ポイントである海老名南ジャンクションで待機を始めてすでに9分。MiG-31M“青の1番”のコックピットに座る長沢中佐と古川大尉は、互いに押し黙って星川のAWACSが発するAPY-2(AWACS、E-3のレーダー)のシグナルを今か今かと待ち構えていた。

二人の脳裏には、「星川の攻撃部隊は、すでに去ってしまったのではないだろうか」、「我々の燃料が尽きる前に来るのであろうか」、「そもそも出撃の情報は正しかったのだろうか」などの不安がよぎった。

古川大尉は、イライラしてレーダー画面を指でコツコツと叩いたり身体をモズモズと動かしたりしていたが、長沢中佐は長年かけて獲得した忍耐力と操縦に専念することで気を紛らわしていた。

さらに1分が経過した。

そして、ようやく“トング46”のロート・ドームから発射されたレーダー波が“青の1番”に届いた。

「よしきた! 探知! APY-2、方位安定せず、信号強度……中」古川大尉の声は、あきらかに安堵の気持ちが含まれていた。

「よし! あとは小柳(“青の6番”のパイロット)がうまくやってくれるだろう」古川大尉と違い長沢中佐の声は固かった。口では小柳少佐がうまくやってくれるだろうと言ったものの、小柳はAPY-2を探知したのか? 現段階で正確な位置もわからない星川のAWCSを攻撃するタイミングを失していないか? 指揮官の心配事は尽きなかった。

「小柳さんならうまくやってくれますよ。うちっちの発動も間もなくです」

そうだな。この段階であれこれ心配するよりも一つ一つ計画を実行に移していこう。長沢中佐はそう思いながら、頭上に架かる完成間もない海老名南ジャンクションの真新しいループ橋を見上げた。

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