その31

板戸川 伊勢原駅南西約2キロメートル

香貫公国空軍 軍事輸送航空コマンド第6955基地第2航空群 イリューシンIl-76MD“山鳥-570”


清水大佐ら“魔女の食事”作戦部隊を載せた山鳥-570は、真っ暗な板戸川上空1メートルを北に向かって飛行していた。計器版だけが薄暗く照らし出された暗いコックピットでは、機長が土手に当たった強い風がつくる乱気流と戦いながら、通信士席に座る清水大佐と大声で話していた。

「ですが、風だけでよかったですよ。雨が降ればせっかく国籍マークを消した塗装が剥がれてしまいますから」機長は両手で操縦桿を押さえながら言った。

「剥がれてもかまわんさ。君たちには申し訳ないがこのような偽装は好きじゃないんだ」

「大佐は、何と言うか……正直ですね。私も正直なところ騙すようなまねはしたくないのですが、燃料代は支払うのですよね。それで勘弁してもらいましょう」

「そうだな、燃料代、着陸料などを含めて40万星川ドル。不足はないはずだ。向こうもビジネスとして割り切ってくれればいいんだが」

「現金を見れば態度が変わるかもしれませんね……小田急の橋が見えてきました。あの下をくぐったら上昇して、井崎レディオと交信を開始します。大佐」

「了解。私は後ろに行って準備を始める。よろしく頼みます」清水大佐はそう言って機長の肩を叩くと通信士席をKGB(香貫国家保安委員会)のパイロット、北村中尉に譲った。

小田急の小さな橋をくぐり終えた山鳥-570は上昇を開始した。上昇にともなって板戸川の北側にある工業団地に設置された街灯が山鳥-570を照らし出した。白い機体にブルーのラインが描かれた軍用機とは思えない美しい機体、本来なら国籍マークが表示された場所に千葉県の船橋共和国に本社を置く谷津ラインカーゴの“YATSU”というロゴが表示されていた。

コックピットでは、一瞬も気が抜けない低高度飛行から解放された機長が後ろを振り向いて通信士席に座る北村中尉に言った。「さあ、そろそろ始めようか」




相模川 寒川駅西約1.7キロメートル「ロース・ステーション」

星川合衆国海軍“ロストル・ブラボー”編隊(“ロストル009”、“ロストル010”)


空母<カール・ビンソン>を発艦したF-14D“ロストル010”のパイロット・緒方少尉は上昇しながら左に操縦桿を倒した。

「そのまま旋回、ヘディング1―7―2、5フィートまで上昇、ロストル009は見えてるか?」後席のRIO(レーダー迎撃士官)石川少尉は前方を覗きながら言った。

「あぁ、見えている。2番機位置につけるぞ」

「オーケー。次のウェイポイントは最初の橋の手前、172度、1600ヤード、ETE(所要時間)2分10秒、そこで292度に変針、給油機との会合点に向かう。あと、EMCON-B2(電波輻射管制レベルB2:データリンク以外の電波輻射制限)だから、無線は使えないぞ。いいな」

「ガチャ! よし! 2番機位置につけたぞ」

「くそっ! 2番機か。せっかくセクションリーダーになったのに今日は2番機だぞ」石川少尉はロストル009を眺めながら不満そうに言った。

「だけど、オレ達が一緒に飛べるだけでもよかったじゃねえか」緒方少尉はリーダー機であるロストル009から目を離さず言った。

「そうだな。ケツの穴の小さいスキッパー(飛行隊長)なら、オレ達は別々になって経験豊富な大尉殿と組まされてるもんな……まもなく変針するぞ」

2機のF-14Dは湘南銀河大橋の北側で西に旋回し、相模川の西側に広がる河川敷上空で高度を上げた。

ロストル009のパイロット・渋谷大尉は、首を限界まで回して左後方にいるロストル010を探した。いた。探すまでもなくロストル010は2番機の定位置を飛行していた。渋谷大尉は、ニヤリと笑うと操縦桿を握る右手の人差し指に力を入れてマイクのスイッチを押した。「高校生コンビはしっかり編隊を組んでいるようだな」と後席のRIO・中山大尉に話しかけた。

「あいつらはもうナゲット(新人搭乗員)じゃあねぇんだ。夜間編隊飛行くらい朝飯前だろ。とはいえ、あいつら本格的な戦闘は初めてだから面倒見ないとな。なんとか生きてボートに帰らせてやろうぜ」

「そうだな」

昨日、渋谷大尉と中山大尉が攻撃の飛行命令を確認すると、高校生コンビがベテランと組まされることなくそのまま飛ぶことに驚いた。CVW-15以外ではほとんどしない配員だった。しかも彼らは自分たちのウイングマンとして指定されている。日頃の訓練で高校生コンビの技量を知っている渋谷大尉と中山大尉に異存はなかったものの、このような配員を許可するCVW-15の気風に感心した。


渋谷大尉と中山大尉は抜群の技量を持っていた。ただ、以前の所属部隊であるCVW-8にいたころの二人は高い技量を鼻にかけるところがあり、スキッパーとそりが合わず、そのあげく勤務成績不良として部隊を追われ、CVW-15に流れ着いたのである。そんな二人はCVW-15に来て気が付いた。自分たちが井の中の蛙であったことを。CVW-15には二人よりも技量の高い搭乗員が何人もいたのである。もっと技量を高めたい。二人は謙虚に人の話を聞き訓練に励んだ。

そんな二人を見ていた加藤中佐は、まだまだ荒削りだが磨けば光ると思い、二人をTOPGUN(星川海軍戦闘機兵器学校)に入校させる推薦状を出した。だが、推薦状は突き返された。加藤中佐は、TOPGUNに突き返す理由を尋ねた。CVW-15からの入校は認められない。それはTOPGUNの上級司令部であるNSAWC(海軍打撃・航空作戦センター)からの指示だとTOPGUNは答えた。

それならばNSAWCを説得しようと考えた加藤中佐は、同じ鎌倉コロニーにあるNSAWC司令部に何度も出向いた。担当者の話をよくよく聞いてみると「TOPGUNでの訓練期間中に問題を起こされると困る」というのが入校を認めない理由だった。そして、何度も訪ねてくる加藤中佐の熱意にNSAWCは心を動かしたのか、それとも早く厄介払いをしたいと思ったのかは分からないが、二人が問題を起こさないことを保証し、仮に問題を起こしたときはCVW-15が責任を持つという文書を推薦状に添付するのなら二人の入校を認めてもよいということになった。

こうしてTOPGUNに入校した二人は、加藤中佐の期待を裏切らなかった。TOPGUNを一番の成績で卒業した二人は、TOPGUNで得た新しい戦術、最新の武器情報をVF-111(第111戦闘飛行隊)のみならずCVW-15全体に広めた。加藤中佐はTOPGUNを一番で卒業したことよりも、TOPGUNで得たことを仲間に広め、CVW-15全体のレベルを引き上げようとしている二人の姿勢に喜んだ。二人は静かな自信と強い意志を持った真のプロに成長したのである。


「タリホー! ホットプレート(F/A-18Cにより構成された空中給油機編隊)を見つけたぞ。右から3機目が“ホットプレート003”だ。右に3度修正、ヘディング2―9―3」RIO・中山大尉がF-14Dの機首に装備されたIRST(赤外線捜索追跡装置)と、TCS(テレビカメラセット)を駆使して自分たちに燃料を分けてくれるホットプレート003を探し出した。




平塚駅北約3.7キロメートル「ハチノス・ステーション」

星川合衆国海軍“チャコールバーナー・フライト“、“ロストル・フライト“、“ホットプレート・フライト“


平塚駅の北側に広がる住宅街のはずれに1辺が300メートルほどの四角い畑があった。

その上空10メートルを6機のF/A-18Cが待機していた。中山大尉が見つけたホットプレート・フライトである。

6機のF/A-18Cは、いずれも燃料で満たされたドロップタンクを4本も翼に吊るし、機体の腹にはバディポットを吊るしていた。バディポットには巻き取られた燃料移送ホースが格納さていて、このホースを繰り出すことによって他機に燃料を送油できる。

それぞれの機は10メートルの間隔をあけて横一線に並び、陸上競技トラックのような経路を飛行してロストル・フライトとチャコールバーナー・フライトを待っていた。

その中の1機、一番西側で待機していた“ホットプレート006”のバディポットからホースが繰り出された。そこに加藤中佐が操縦するF-14D“ロストル001”が接近してきた。

バディポットから繰り出されたホースの先端には漏斗状のバスケットが取り付けられ、ホースの振れを抑え受給機のプローブ(パイプ)を入れやすくなっている。それでもバスケットにプローブを突っ込むには高い操縦技量が必要で、夜間ともなればさらに難しくなる。

この状態でさらにバスケットを押すと、プローブとの接続が確立し燃料が流れ込み空中給油ができるようになる。

加藤中佐はバスケットの手前で機体を安定させると、慎重にスロットルを押し出して機首の右側に展張させたプローブをバスケットに近づけていった。いよいよプローブがバスケットに入るとなった瞬間、気流が乱れバスケットが振れまわり、バチバチと“ロストル001”の機首を叩いた。

舌打ちをした加藤中佐はスロットルを少し引いて後ろに下がると、深呼吸して機体を安定させてトリムをとりなおした。そして、再度バスケットに近づいて行った。

2回目はスムーズにいった。バディポットに取り付けられたライトがアンバーからグリーンに変わった。改修型バディポットは、接続が確立すると送油機と受給機間で無線を使わずに交話できる。「やあ! お前の小便を分けてもらえないか」加藤中佐は“ホットプレート006”のパイロットに話しかけた。

「いいですよ。ボス! 臭い小便でよければどうぞ。」“ホットプレート006”のパイロットは、燃料ポンプの圧力を確認すると言った。

加藤中佐の後ろに座るRIO・中野少佐は、燃料計の数字が上がるのを確認すると頷いて頭の中で燃料が満タンになる時間を計算すると加藤中佐に報告した。「燃料移送時間は3分30秒。接続を解除するのは2回目の旋回が終わった時がよさそうです」

「了解。1回接続に失敗したから余計な時間をかけちまったな」加藤中佐は“ホットプレート006”から目を離さず答えた。

「接続に2回失敗した分の時間を加味して計画を立てています。十分に時間内にありますよ。ボス」中野少佐は、MFD(多機能ディスプレイ)に表示される時刻を見ながら答えた。

「そうだったな」

接続が確立した後の給油はスムーズに進んで2回目の旋回を終える直前に“ロストル001”の燃料タンクは満タンになった。

「小便で腹一杯になった。離れるぞ」

「ボス! 次は小便タンク屋じゃなくて攻撃に参加させてくださいよ!」“ホットプレート006”のパイロットは、攻撃に参加できず空中給油機役に甘んじることが不満だった。

「もうすぐF-35に転換するんだ。転換したら嫌だと言っても最初に出てもらう。それまで我慢してくれ」

「わかりましたよ」“ホットプレート006”のパイロットは、ため息混じりに答えた。

「じゃあ、離れるぞ」

「ボス……お気をつけて」

「ありがとう。ちょっくら行ってくるな」

加藤中佐はプローブを切り離すと“ホットプレート006”から離れて、その位置を2番機に譲った。その東側では加藤中佐に続く次のセクション(2機編隊)が給油を開始した。1分後には緒方、石川コンビが2番機をつとめるセクションも給油を開始する予定である。発艦と空中給油は計画どおり進んでいた。




金目川支流 渋沢駅北北西約4.1キロメートル

香貫公国軍 A57基地


漆黒の闇に包まれた倉庫。その倉庫はA57基地がある倉庫だった。梨園と林に挟まれた山の谷間にある倉庫の周辺に建物はなく、近傍の細い道路には街灯もない。まさに鼻をつままれるまでわからない暗い場所だった。

しかも、深夜ともなれば人も自動車も近寄らず、普段なら「しん」と静まり返った倉庫の周辺。そこは、厳しい冬を乗り切るために多くの獲物をしとめようと動き回る小動物にとって自らの生存をかけた戦いの場でもあった。

だが、今日は違った。

強い風によって木々は揺れ、葉と葉が擦れ合う音が獲物の動く音を消し、匂いも強いが風が遠くに吹き飛ばしていた。これでは狩ができない。戦いは風がやむまで休むしかなかった。

それでも、諦めの悪い一匹の野ねずみが揺れる草につかまって鼻をヒクヒクさせていると、倉庫から小さな青白い炎が現れたのを見つけた。野ねずみは、敵が現れたのかと身構えたが、敵でないことに気が付くと獲物を見つけるため別の草に移って姿を消した。

野ねずみが見た青白い炎は、全長6センチメートルのSu-27SMから噴射される炎だった。

Su-27SM“白の1番”を操縦する第586戦闘機連隊第1大隊長(白バラ隊)瀬奈ふぶき中佐は、右を見て障害物がないことを確認すると操縦桿を右に倒した。

右を見ても真っ暗なのにね。操縦訓練の初期の段階から「旋回前に、必ず旋回方向の障害物を確認しろ」と厳しく指導されて習慣になった安全確認に瀬奈中佐は皮肉な笑みを浮かべた。

瀬奈中佐は、機首が東に向くまで旋回させながら、乗機“白の1番”を高度500メートルまで上昇させた。この高度は伊勢原北西の山を越えるぎりぎりの高度だが、山の先に見える夜景に瀬奈中佐は息を呑んだ。「きれい。宝石をちりばめたようね」

瀬奈中佐の目の前には、伊勢原と、遠く茅ヶ崎や藤沢の光がきらきらと輝き、江ノ島が海に浮かんでいた。

「さあ、仕事をしましょう」瀬奈中佐は気持ちを切り替えると、機首に装備されたIRST(赤外線捜索追跡システム)を操作して前方を飛行しているSu-27SMを数えた。7機。「異常なさそうね」と、呟いて緩やかな編隊で東に向けて飛ぶ白バラ隊の8番機位置に“白の1番”を導いていった。

彼女たちの任務は、MiG-31Mが探知した星川空軍の輸送機を攻撃することだった。


同じ頃、倉庫からまた小さな炎が現れた。ただ今度の炎はオレンジ色で、それはMiG-31Mのエンジン排気口から噴射される炎だった。

MiG-31M“青の1番”の前席で、第458戦闘機連隊第1大隊長・長沢中佐も右を見て障害物がないことを確認すると、操縦桿を右に倒して機首を東に向けた。

長沢中佐は、白バラ隊と違って高度700メートルで水平飛行に移ると、機首下側からIRSTを引き出した。

長沢中佐の後ろに座るWSO(兵装システム士官)・古川大尉は、引き出されたIRSTによって前方を飛行しているMiG-31Mの機数を数えた。「隊長、8機、離陸した機は全機そろっています。壮観な光景ですよ」

不具合や点検のため、12機あるMiG-31Mのうち、実際に飛べるのは6機くらいだろうと考えていた長沢中佐もニヤリとした。平均可動率が40~50%のMiG-31Mが6機以上編隊を組んで飛ぶことはなかった。

今回は事前に警告を受けていたので、定期点検を前倒しで行っていた。それでも2機に不具合あり交換部品が届かないため飛行不能だった。このため、出撃が命令されたとき10機がエンジンを始動した。

だが、このうちの1機“青の4番”がエンジン始動と同時に大量の白煙を噴いて停止した。エンジンオイル系統の不具合だった。無事に離陸できたのは9機となった。

「了解。この時点で航空機不具合がなければ心配ないだろう。とはいっても、今日ばかりは小さい不具合で基地に戻る奴などおらんだろうな。よし! 前に出るぞ」長沢中佐はそう言って慎重に増速をはじめた。

MiG-31Mには2つの任務があった。1つは、星川空軍の神経中枢であるAWACSの攻撃。もう1つは、強力なザスロン・レーダーを作動させた4機のMiG-31Mが横に並んで星川の輸送機を探知、その情報をSu-27SMに知らせて攻撃を誘導することである。

編成は次のとおり。


“青鷹”

・第458戦闘機連隊第1大隊 MiG-31M 5機(“青の1番”~“青の6番”)“青の4番”欠

編隊長・長沢中佐

任務:星川空軍AWACSの攻撃


“衝撃”

・第458戦闘機連隊第1大隊 MiG-31M 4機(“青の7番”~“青の10番”)

編隊長・谷少佐

任務:星川空軍輸送機の捜索・攻撃、“白バラ隊”の攻撃誘導


“白バラ”

・第586戦闘機連隊第1大隊 Su-27SM 8機(“白の1番”~“白の8番”)

編隊長・瀬奈ふぶき中佐

任務:“衝撃”編隊の側面警戒、星川空軍輸送機の攻撃


強い北西風に背中を押された17機の香貫空軍機は、第2東名高速道路厚木南インター・チェンジに設定した第1ポイントに向けて飛び去った。今日の天気は、香貫空軍機の味方だった。

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