その27

香貫公国海軍 第1太平洋艦隊 原子力攻撃型潜水艦 <ペトロザヴォーツク>(B-388)


「魚雷から探信音」ソナー員の一人が報告し、もう一人が妨害装置を作動させた。

「舵もどせ、進路0-3-3、さらにノイズメーカー発射」艦長・北堀中佐が命じた。

<ペトロザヴォーツク>が向かう先は、アシが無数に生い茂る中洲の端だった。北堀中佐は、増速した艦の勢いでアシの林を突っ切り、魚雷をかわすつもりだった。

「大丈夫です。行けます」副長・古羽少佐は、北堀中佐の意図を察知して言った。

「魚雷2本、方位1-2-8。距離50」

ソナー員の報告に、顔面蒼白の政治将校・峰尾中佐はぼう然と立ち尽くしていた。そんな峰尾中佐を尻目に、北堀中佐は次の命令を発した。「上げ舵いっぱい、深度10」

潜水艦と魚雷の死の競争だった。<ペトロザヴォーツク>がアシの林に隠れるのが先か、89式魚雷が追いつくのが先か。じりじりとした時間が過ぎた。

そして決着がついた。

勝ったのは<そうりゅう>が放った2本の89式魚雷だった。1発はスクリューの軸受け、もう一発は横舵前方で爆発した。特にスクリュー軸受けでの爆発は<ペトロザヴォーツク>に壊滅的なダメージを与えた。爆発の衝撃で変形したプロペラシャフトの振動で、頑丈な軸受けが破壊され、最後部の耐圧船殻はこれに耐えられなかった。これにもう1発の爆発が加わり、機械室は一瞬のうちに浸水した。

機械室前方の区画は原子炉区画だった。浸水はこの区画にも広がったのだが、軸受けよりもさらに頑丈な原子炉容器の中は無事だった。原子炉の暴走もまぬがれた。爆発の衝撃と同時に制御棒が自動的に落とされ、連続した核分裂に必要な中性子が吸収され緊急停止したのである。

浸水をまぬがれた前方の区画も被害は甚大だった。爆発の衝撃によって器材の一部は取り付け台座からちぎれて宙を舞い、配管はいたるところで外れ、亀裂が入った。

さらに、ちぎれた横舵が惰性で前進する<ペトロザヴォーツク>を右に回転させた。そして、アシの林に突っ込んで停止した。

乗員も被害をまぬがれなかった。ほとんどの乗員は爆発と同時に投げ飛ばされ、怪我しなかった幸運な乗員は一握りだった。それでも起き上がろうとした乗員は、右に回転する船体につられてコロコロと転げまわった。

「救難ブイを出せ、メインタンクブロー」北堀中佐は、弱々しく命じて気を失った。

北堀中佐の命令が聞こえたのは、北堀中佐の横に転げてきた掌帆長・木伏上級曹長だけだった。肋骨を骨折した木伏上級曹長は、痛む胸を押さえながら今では床となった右側船殻を通って発令所前方にある救難ブイ発射器を操作した。

艦内から放出された救難ブイは、浮力によって水面に向けて上昇していった。だが、途中でアシの葉に引っかかってしまった。アンテナが水面上に出なければ救難信号を発することができない。<ペトロザヴォーツク>は遭難を知らせる手段を失った。

数時間後、意識を回復した北堀中佐指揮の下、前部区画にある脱出ハッチから脱出を試みたのだが、どうしてもハッチを押し上げることができなかった。アシの幹がハッチを塞いでいたのである。彼らに残された道は、酸素欠乏による死しかなかった。

5年後、沈没した<ペトロザヴォーツク>を回収して調査する作戦が星川、酒匂合同で実施された。引き上げられて台船に載せられた<ペトロザヴォーツク>を調査した要員は、艦内に入るなり息を飲んだ。発令所と、前部脱出ハッチには遺体が整然と並んでいたのである。無理に脱出しても、生きたまま川虫や魚に食べられただけだろう。それならば、苦しむことなく仲間とともに死ねるほうがはるかにましだ。特に発令所では、艦長の制服を着た遺体を中心に、遺体が整然と並んでいた。争いの影も見えなかった。最後まで規律を維持した乗員と、そうさせたであろう艦長に星川と酒匂の調査員は涙を流して彼らの冥福を祈った。




酒匂王国連邦海軍 第6艦隊 通常動力型潜水艦<そうりゅう>(SS501)


「連続した爆発音。艦長、2発とも命中しました」と、水測員長・矢島兵曹長はプロらしく落ち着いた口調で報告した。そして続けた。「金属破断音です」

「2次爆発は?」艦長・高原中佐が聞いた。

「ありませんが、気泡と金属が擦れる音が無数にします。ただ、浮上する気配も沈む気配もありません。」

深度に変化がない? 本当に撃沈したのか? 高原中佐に疑念が湧いた。「副長、露頂して撃沈地点の水面を確認しよう」

副長・新井少佐は、一連の命令を発して艦を露頂深度まで上昇させると、非貫通式潜望鏡を水上に出した。

非貫通式潜望鏡の画像を映し出すディスプレイに、アシの林が映し出された。

アシの林に絡まったか。深度が変わらないのも、これならわかる。高原中佐はそう考えた。

「撃沈できなかったとしても、船体が裂けるような被害を与えたのです。少なくとも戦闘能力はないとみて間違いないと思います」ジョイスティックで非貫通式潜望鏡を操作する新井少佐が言った。

新井少佐の言うとおりだ。高原中佐は同意した。「君の言うとおりだ。副長。よし! みんなよくやった」

「艦長、ヴィクターⅢ最後の魚雷、方位3-2-2度、60ヤード、探信音の反響間隔が急速に短くなります。間もなく対岸に衝突します」

「了解。爆発したら教えてくれ……副長、潜ろう」そう言うと、高原中佐はTDS(潜水艦戦術状況表示装置)の前に移動した。

「艦長、爆発音。魚雷の探信音も消滅。ヴィクターⅢ最後の魚雷が爆発しました」

高原中佐は「了解」と言ってから新井少佐に振り向いた「副長、阻害要因はなくなった。今からは<伊400>の救助に全力をあげる。まずは、電話がつながる位置まで接近しよう」と、命じた。

「はい、艦長。最大戦速で向かいます」新井少佐の報告に高原中佐はうなずいた。




星川合衆国海軍 CSG3(第3空母打撃群)攻撃型原子力潜水艦<カメハメハ>(SSN-642)


「発令所、ソナー、爆発音。シエラ2(<ペトロザヴォーツク>のこと)の魚雷が川岸で爆発。これで航走中の魚雷はありません」と、チーフの報告がスピーカーから聞こえた。

艦長・村田中佐は吊るされたマイクを取った「了解。ソナー。シエラ1(<伊400>のこと)に変化はないか?」

「いぜん様々な打音を発していますが。位置に変化はありません」

村田中佐は「了解」と答えてマイクを離すと、メモ用紙にCSG3司令に対する報告を書きなぐった。

書き終わった村田中佐は通信士官を呼んだ「これを電文にしてCSG3司令にフラッシュで送ってくれ」と言ってメモを通信士官に渡した。

「副長、報告の発信が終わりしだい潜航してシエラ1に近づこう。手助けが必要かもしれん。だが、気を抜くなよ。敵は1隻だけとは限らん」


香貫軍のミサイル基地をめぐる最初の戦闘は、航空戦でも地上戦でもなく潜水艦同士の水中戦だった。まさか潜水艦同士の戦闘が生起するとは誰も想像していなかった。この報告を受けたブルー・ドラゴン司令部幕僚の多くに動揺がはしった。だが、“歩くコンピュータ”星川軍J-3(作戦主任幕僚)・高須賀大佐は、片方の眉を吊り上げただけだった。こちらの想定どおりに進む戦闘などありえない。さあ、はじめよう。高須賀大佐は電話の受話器を取った。




鈴川と板戸川の合流点付近 伊勢原駅南約2.5キロメートル

香貫公国軍 R38基地


1機の輸送機イリューシンIl-76MDがR38基地に着陸しようとしていた。木々の間を最終進入する機内では、第331親衛パラシュート降下連隊第1大隊長・青木中佐が貨物室前方に座るKGB(香貫国家保安委員会)の大佐をにらみつけて、ため息をついた。

三谷とか言っていたな。あの大佐。KGB第3総局核防護課に属するお偉いさんらしいが、お前のせいで到着が3時間も遅れた。それだけでなく貴重な迫撃砲小隊をS33基地に置き去りにしてきた。特殊部隊と同じ戦闘服を着てエリートづらをしているが、お前の指揮する小隊は、それだけの実力を持っているのか? いざとなれば、核弾頭をかかえて一目散に逃げ帰るだけなんだろ。まあ、お手並み拝見といこう。そう思った青木中佐は、数少ない輸送機の窓から外を眺めた。


当初、第331親衛パラシュート降下連隊第1大隊の2個中隊と支援部隊、それにKGB第3総局核防護課は、2機のイリューシンIl-76MDに分乗して富士コロニーを飛び立った。

コロニーを出た2機の輸送機は、北に進路をとり北部軍事コロニーにあるS33基地に向かった。北東に進路をとれば最短でR38基地に着けるのだが、そうすると酒匂の領域を横切りことになり無防備な輸送機では飛行できない。このため、香貫本国からR38基地に向かうには、S33基地で燃料を補給して丹沢湖の上空で進路をR38基地またはA57基地に向けるのが標準経路だった。

到着が遅れる原因となったトラブルは、経由地であるS33基地に着陸する寸前に発生した。2番機の右外側エンジンに、季節はずれの羽虫が飛び込んだのである。羽虫によってエンジンは破壊され火を噴いた。

乗員の適切な対応で、火災はエンジンだけで済んだ。おかげでS33基地に着陸できたのだが、エンジンを交換しなければ再び飛び上がれない。

このため、青木中佐は1番機だけでR38基地に向かうことにした。ところが置き去りになる2番機に搭乗していた三谷大佐が異議をとなえた。

「我々は速やかにR38基地に赴かなければならない」三谷大佐は、そう主張した。

青木中佐は拒否した。どの輸送機が脱落しても空挺部隊としての任務が果たせるように慎重に搭乗割りを決めているのだ。搭乗割りを変えれば任務に支障が出ると反論した。だが、三谷大佐は一歩も引かなかった。三谷大佐は、「この書類を提示したものに最大限の配慮を要請する」とのKGB議長署名入り文書まで取り出して要求を迫った。KGB議長署名入りの文書を見せられては青木中佐も引かざるを得なかった。

こうして迫撃砲小隊28名と迫撃砲、そして砲弾を1番機から降ろし、替わってKGB第3総局核防護課12名と彼らの装備品を積み込んだ。この作業に3時間を費やした。


無駄な3時間だった。そう思った青木中佐が窓の外を眺めていると、突然建物の中に入った。そして着陸の衝撃とタイヤがきしむ音が聞こえた。「やっと着いたな」青木中佐は、イリューシンIl-76MDの減速が終了して滑走路を離れたのを確認すると立ち上がり、後部貨物ランプの端まで移動した。

ランプに到着したイリューシンIl-76MDはエンジンを停止した。

貨物室の前方では、すぐさま人員乗降用ドアが開けられ、三谷大佐とKGBの隊員は機外に出て行った。ゆっくりと下がる後部貨物ランプが地面に着いて青木中佐が機外に出たときは、すでにKGBの連中は彼ら専用の車両に向かって歩き始めているところだった。その横には、出迎えに来た堀内少将とR38基地の主要将校がいた。

青木中佐は彼らを見とめると、そちらに向かって歩き始めた。そして堀内少将を探した。

いた。あの方だ。青木中佐の歩調は早まった。青木中佐は堀内少将に借りがあったのである。ただ、二人に面識はなかった。二人が顔を合わせるのは、これが初めてだった。

「第331親衛パラシュート降下連隊第1大隊、青木中佐です」青木中佐は堀内少将の前に立って敬礼すると、そう申告した。

「よく来てくれた。司令官の堀内だ」と言って堀内少将は右手を差し出した。

「あなたのご恩に報いるためにやってきました」青木中佐は堀内少将の手を握った。

「恩?」

「はい。90日戦争で、コールサイン“1081-21”を覚えていますか?」

堀内少将は一瞬考えた「……あぁ、思い出した。君は、あの時の……」

「そうです。あの時、あなたに支援砲撃を要請した小隊長。それが私です」

「無事でなりよりだった。そうか。あの時は、勇敢に戦う君たちを見殺しにできないと思っただけだ。恩に感じることはないさ」堀内少将は笑った。

星川軍や酒匂軍では、小隊長が支援砲撃を要請するなど当たり前のことだが、香貫軍は違う。どちらも正しいドクトリンなのだが、砲撃とは上級司令部の綿密な計画に基づいて圧倒的な火力として運用するもので、現場の指揮官がそれぞれの判断で散発的な砲撃を要請するのではない。それが香貫陸軍のドクトリンだった。

このため、小隊長が支援砲撃を要請することはないし、仮に要請があってもそれに応じる砲兵隊指揮官はいなかった。下手に要請に応じれば規則を破ったとして首が飛びかねない。

それでも中隊長だった頃の堀内少将は、私の要請に応じてくれた。もし、あの時に砲撃支援がなければ自分の小隊は全滅していただろう。お礼を言わなければならないと思っていたが、なかなかその機会がなかった。だが、ようやくあの時のお礼が伝えられた。しかも、これから堀内少将の力になれる。青木中佐は、肩の荷が下りたような気がした。

「ところで、うちの1個小隊を別の任務に使用するそうですが、作戦計画には別令となっています……」

「その計画は、やっとまとまったところだ。なかなか面白い計画なんだが、この計画は規律の厳しい空挺隊員でなければ安心して任せられん。詳しくは司令部テントで説明しよう」堀内少将は、司令部テントに向けて手を振った。

精鋭を自認する空挺部隊の青木中佐はニコリとして頷いたが、次には顔をゆがめて言った「S33に残してきた隊員をここに運ぶ手配について、連隊本部から何か言ってきましたか?」

「その件なら、調整が済んでいる。今、君たちを乗せてきた輸送機がS33に戻って連れてくる。0130時に到着する予定だ」

「そうでしたか。ありがとうございます」青木中佐と彼の幕僚は、S33基地に残す空挺隊員をR38基地まで輸送する代替手段を連隊本部と調整したのが、離陸までに結論が出なかったのである。

S33基地に残された第2中隊と迫撃砲小隊の輸送にめどがついた。これなら計画を変更する必要はない。そう判断した青木中佐は、彼の横にいる第1中隊長・畑岡大尉に向かって言った「君の中隊を計画通りに配置につけろ。ただ、第1小隊はこのまま残してくれ」

「はい」と返事した畑岡大尉は、部下のもとに立ち去った。それを見届けた堀内少将と青木中佐、それにR38基地の主要将校は司令部テントに向けて歩き出した。




鈴川 平塚駅北西約3キロメートル

酒匂王国連邦海軍 開発隊群 通常動力型試験潜水艦<伊400>


全長35センチメートルの細長い艦が鈴川の中央部をさかのぼっていた。魚雷の攻撃によって艦首が3センチメートルほど欠落した<伊400>である。

浮上航行する<伊400>は、魚雷発射管室からの浸水を確認しながら、段階的に速力を上げていた。

「両舷前進原速。ゆっくりとな!」艦長・沢地大佐は、セイルで操艦にあたっていた。

「両舷前進原速、回転整定」セイルにいる伝令員が機関室からの報告を伝えた。艦は徐々に速度を増した。

「兵員室、浸水量変わらず。異常なし」

「弾薬庫、浸水量変わらず。異常なし」

「前部外観異常なし」

伝令員は各部からの報告を沢地大佐に伝えた。沢地大佐は、その度に手を挙げて答えた。よし!この速力で行こう。「発令所へ、この速度で行くぞ」

「発令所、この速度で行く」伝令員は発令所に伝えると、伝令員は続けて「発令所了解」と沢地大佐に伝えた。

「通信員! 発、<伊400>艦長。宛、<そうりゅう>艦長。増速異常なし。現速力を維持して潜航する。送れ」沢地大佐の命令で、通信員は信号灯のレバーをカタカタと操作して発光信号を送った。

折り返し<そうりゅう>からも発光信号が送られてきた。通信員は、その発光信号を読み取って報告した。「発、<そうりゅう>艦長。宛、<伊400>艦長。了解。本艦、潜航を開始する」

その報告に頷いた沢地大佐は「潜航準備」を命令すると、空を見上げた。天候は問題ない。これなら内殻はもちこたえる。よし! 降りよう。全員が艦内に降りたことを確認した沢地大佐は発令所に降りた。


潜航の儀式が終了し、露頂深度でトリムが安定すると、機関長・森住中佐が発令所に入ってきた。「艦長、内殻接合部分の点検が終わりました。やはり亀裂が見つかりました。2箇所です。1箇所は兵員室上部、もう1箇所は機械室下部。兵員室の亀裂は問題ないので溶接にかかりますが、機械室の亀裂は深刻です。見てもらえますか」


沢地大佐と森住中佐は、機械室の細い梯子を降りて低い天井の機械室最下層に降り立った。

「ここです艦長。亀裂から水が染み出しています」森住中佐はしゃがみこむと亀裂が発生した場所を指差した。

「浸水しているということは、この亀裂は表面だけではないんだな?」

「ええ。この亀裂は内殻を貫通しています。今、応力の方向を計測中です。その結果で応力を抑える方向に補強を入れます」

「帰投まで持ちこたえるか?」沢地大佐は森住中佐の顔を見た。

「正直言ってわかりません。最悪の場合は、いっきに亀裂が拡大する可能性があります。当面、これ以上深度を下げないほうがよいでしょう」

沢地大佐は唸った。ハラミ・ステーションまであと50分。応力が最小となるよう細かな操艦以外に方法はないようだ。あとは、亀裂が拡大した場合の処置を検討しなければならん。負傷者搬出のこともある。沢地大佐はそう考えながら発令所に戻った。

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